本田由紀
@hahaguma さんのツイート。
――日本の働き手はいかにも無防備だ。仕事の有無も、仕事の中身も分量も、賃金も、雇う側に一手に握られてしまっている。頼みの綱は人手不足が働き手の側に一定の交渉力を与えることだが、それだって過重労働の理由づけにされてしまっている。働き手が雇手にきちんと対抗できる仕組みが必要なんだってば。〔2:32 - 2016年1月24日〕――
本来の仕事って、
楽しいもんだと思う。
しかし、
日本では「道」とか「修行」と結びつけて
考えられやすいため、
我慢が強いられるということが
往々、起きる。
非正規の者の境遇が
お粗末なのは、
その我慢の
気持ちが足りないため
と見做されているからではないか。
雇う側が
従業員が楽しければ困る
という事情を抱えているから、
仕事って、
苦役という観念が
働き手に植え付けられていると思う。
では、
「従業員が楽しければ困る」っていう事情とは
何だろう。
それは、
雇う側の「支配欲を充足させたい」という我儘ではないか
と思う。
抗い方としては、
支配欲の土台を奪い去ってやることだろう。
まずは、
楽しく働こう。
そして
苦役に耐えるのは、
美徳ではない
という労働観をしっかり身につけよう。
そうしたならば、
働かないでいることも
「働く」
行為の一環だという
常識が
できるように思う。
すなわち、
セイフティ・ネットのお世話になるのは、
昼間働くには
夜、ぐっすり眠ることが必要だ
というビジョンの下に構想されるべきだ。
今の日本の社会は、
「働かない」
という状態をサボタージュと考えるから、
罰しようとするんだと思う。
その現れが
生活保護を受けるのは
「生きるか、死ぬかの瀬戸際にいる人」
だというような烙印だ。
思うに、
燃え尽きた人を
支えるシステムが生活保護の制度だ。
もし、仕事は楽しい
という誇りが皆の心にあれば、
生活保護を受けている者がパチンコに行ったからと言って、
(怪しからん)
と憤慨する気持ちを持たないだろう。
なぜって、
ギャンブル依存に陥っている人からすれば、
心の中に
隙間風が吹き荒んでいるからだ。
よくよく考えて、
気の毒な人が実に多い。
演歌のようだけど、
酒に
救いを求める人が
本心では、
酒を断ちたいと案外に願っているように、
ギャンブルが好きで
家屋敷を手放したと見えたとしても、
心の内では、
泣いているんじゃないだろうか。
その根っこにある気持ちが
もし、ありのままに見えるようになれば、
憤慨する前に、
救けてやりたいと願えるようになるだろう。
すなわち、
想像の翼を広げ、
保護の状態を
引き剥すのでなく、
その人なりの生きる力の回復を支えると思える
きっかけとして、
セーフティネットの運用を受け止めるべきだ
(なお、子どもの貧困につき、
拙稿「福祉に金を使いたがらな日本。子どもの貧困率を見れば、いかに貧困大国かが分かる」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/eb2a1eacb76e13e441381a10ce7fc4ac)。
こうやって、
発想の逆転をすれば、
利他的だというばかりでなく、自分自身が生きやすくなる。
これは、本当だ。
多くの人は、
そのことを知らなさ過ぎる。
@hahaguma さんのツイート。
――日本の働き手はいかにも無防備だ。仕事の有無も、仕事の中身も分量も、賃金も、雇う側に一手に握られてしまっている。頼みの綱は人手不足が働き手の側に一定の交渉力を与えることだが、それだって過重労働の理由づけにされてしまっている。働き手が雇手にきちんと対抗できる仕組みが必要なんだってば。〔2:32 - 2016年1月24日〕――
本来の仕事って、
楽しいもんだと思う。
しかし、
日本では「道」とか「修行」と結びつけて
考えられやすいため、
我慢が強いられるということが
往々、起きる。
非正規の者の境遇が
お粗末なのは、
その我慢の
気持ちが足りないため
と見做されているからではないか。
雇う側が
従業員が楽しければ困る
という事情を抱えているから、
仕事って、
苦役という観念が
働き手に植え付けられていると思う。
では、
「従業員が楽しければ困る」っていう事情とは
何だろう。
それは、
雇う側の「支配欲を充足させたい」という我儘ではないか
と思う。
抗い方としては、
支配欲の土台を奪い去ってやることだろう。
まずは、
楽しく働こう。
そして
苦役に耐えるのは、
美徳ではない
という労働観をしっかり身につけよう。
そうしたならば、
働かないでいることも
「働く」
行為の一環だという
常識が
できるように思う。
すなわち、
セイフティ・ネットのお世話になるのは、
昼間働くには
夜、ぐっすり眠ることが必要だ
というビジョンの下に構想されるべきだ。
今の日本の社会は、
「働かない」
という状態をサボタージュと考えるから、
罰しようとするんだと思う。
その現れが
生活保護を受けるのは
「生きるか、死ぬかの瀬戸際にいる人」
だというような烙印だ。
思うに、
燃え尽きた人を
支えるシステムが生活保護の制度だ。
もし、仕事は楽しい
という誇りが皆の心にあれば、
生活保護を受けている者がパチンコに行ったからと言って、
(怪しからん)
と憤慨する気持ちを持たないだろう。
なぜって、
ギャンブル依存に陥っている人からすれば、
心の中に
隙間風が吹き荒んでいるからだ。
よくよく考えて、
気の毒な人が実に多い。
演歌のようだけど、
酒に
救いを求める人が
本心では、
酒を断ちたいと案外に願っているように、
ギャンブルが好きで
家屋敷を手放したと見えたとしても、
心の内では、
泣いているんじゃないだろうか。
その根っこにある気持ちが
もし、ありのままに見えるようになれば、
憤慨する前に、
救けてやりたいと願えるようになるだろう。
すなわち、
想像の翼を広げ、
保護の状態を
引き剥すのでなく、
その人なりの生きる力の回復を支えると思える
きっかけとして、
セーフティネットの運用を受け止めるべきだ
(なお、子どもの貧困につき、
拙稿「福祉に金を使いたがらな日本。子どもの貧困率を見れば、いかに貧困大国かが分かる」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/eb2a1eacb76e13e441381a10ce7fc4ac)。
こうやって、
発想の逆転をすれば、
利他的だというばかりでなく、自分自身が生きやすくなる。
これは、本当だ。
多くの人は、
そのことを知らなさ過ぎる。
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