のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

堕ちきることができるであろうかって、あなた、堕ちきる必要ないよ。「底つき感」という言葉、知ってるかい。あれは、体験できないものなんだよ。正確には、底抜け感だから

2018年06月24日 16時45分33秒 | あらまほしきこと
masaya[09マニフェスト再び]@tomaruseiyaさんのツイート。

――「日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによってのみ自分自身の道を発見し、救われなければならない」坂口安吾。結局敗戦によって日本は堕ちきることができなかったことを、安倍政権が証明している。日本は更に堕ちることが必要だが、しかし、堕ちきることができるであろうか。〔16:38 - 2018年6月24日 〕――

坂口安吾の

「堕ちきることによってのみ自分自身の道を発見」云々は、

妄想だよ。

安倍晋三は、

「敗戦によって日本は堕ちきることができなかった」から

出てきたのじゃない。

むしろ、事態は、逆だろう。

祖国が「敗戦によって堕ち切るところに落ちた」

にもかかわらず、

我関せずと、同朋を堕とした責任を問われなくすむ方法を見つけた

為政者の子孫だから、

その方法、すなわち、虚偽を述べる人心操縦術を実践してるに過ぎないんじゃないか。

麻薬でも、

アルコールでも、

あるいは、歴史の逆行でも堕ちきらない前に道を発見しなきゃ。

「底に着いた」という感覚は、

実際に味わえるというより、堕ちる時の流れから脱したとき手にする

「伝説」だよ。

つまり、語り草になったとき初めて味わえる

思い出の感覚だよ。

今苦しんでいる、堕ちている最中に味わえるもんじゃない。

そんな生易しいものじゃないんだよ。

大体、「堕ちきる」の意味は、

亡国だろ?

国がなくなって、それで何が道を発見だ、

と思うな。


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