のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

差別とは何か。また、誹謗中傷と批判をきちんと区別できるか

2015年08月08日 05時03分36秒 | いじめ根性
ネトウヨの毒舌な伯父さんbot @NTUY_uncle_bot さんのツイートに

こんなのがありました。

――「差別」という言葉の意味をわかってない人が多い。とくにネトウヨに。顔の醜さを嘲笑うのは差別だが、心根の醜さを軽蔑するのは差別でもなんでもない。〔14:31 - 2015年8月7日 〕――

これは、

一方が差別であり、他方がそうでない

根拠を

しっかり理解しておく必要があります。

理解できていますか?

顔の醜さを嘲笑うのは差別だというのは、

本人が

気持ち一つでどうにもならない

事柄だからです。

他方、

心根の醜さを軽蔑するのは差別でもなんでもないというのは、

考え方の問題だからです。

見方を

変えてしまえば、

済んでしまうので差別ではないのです。

たとえば、

昨日、話題になっていた

櫻井よし子さんの

次の講演会のことを思い起してください。



この講演会の趣旨で

嫌悪感を催すのは、

山崎 雅弘‏@mas__yamazaki さんが指摘するような、

――日本会議の櫻井よしこ氏が、広島への原爆投下からちょうど70年目に当たる2015年8月6日に、広島で行う講演。憲法改正という政治的主張を通すためなら、被曝した人やその遺族の心を踏みにじっても平気なのか。ここまで傲慢になれるのがすごい。 〔13:28 - 2015年8月6日 〕――

感覚ゆえでしょう。

ただ、こういう感覚を共有できない人がいます。

そんな人は、

八月六日、同日にあった

広島・原爆ドーム前の安倍打倒のデモに対する拒絶感を

同居させているでしょう。


転載元:8/6広島闘争へ!法政大学文化連盟 @hosei_bunren さんのツイート〔8:06 - 2015年8月6日

自分では気づいていないのだろうけど、

心の中に

ちっちゃな櫻井よしこ氏がいるのじゃないですか。

デモに参加する人たちは、

被爆者と心を一つにしたいから

デモをするわけでしょ。

それは、

櫻井さんの「被曝した人やその遺族の心を踏みにじっても平気」ということを

伝えるのと、方向が真逆です。

そこをはっきり理解したとき考え方がかわるでしょう。

だから櫻井よし子さんのアジテーションの醜さをいくら指摘しても

差別にはなりえないってことです。

もう一度、

まとめておきます。

差別とは、

当人の意思ではどうしようもない

生まれや知的な能力、

美醜などで

人を一括して卑しめることです。

誹謗中傷につながる。

批判は、

これとは、根本において全く異なる

言葉の働きかけです。

批判は、

相手の立場に即し、

考え方の欠陥を指摘することです。

事柄の性質上、

人格の否定にはつながりません。


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