沢田 研二の「我が窮状」、
いい曲です。
下記のサイトにアクセスすれば聴けます。
http://www.dailymotion.com/video/x6ws77_yyyy-yyyy_news
歌詞は、こちら。
以下、転記しておきます。
「我が窮状」
作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫
1.麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ
(短い間奏)
2.麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない
(間奏)
(リフレイン)
この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう
聴いていて、何だか涙が止まらなくなりました。
ただ、僕は、
他の人と違った理解をしていたようです。
実は、「窮状」を「窮状にある福島」の意に解して
涙しました。
しかし、多くの方は、「窮状」は
憲法「9条」の語呂合わせだと納得されているようです。
作詞者の沢田 研二さんが
この立場だからです。
彼は、こう述べます。
国家の威信をかけた戦いは
俺とお前の喧嘩という、個人レベルでのそれとは異なるんだ、と。
戦争は、戦いたくない人まで巻き込むからです。
確かにその通りでしょう。
しかし、どんな詩歌も
作品として発表された時点で
原作者の手を離れます。
歌詞には「窮状」とあるだけで、
どうしても
憲法九条との語呂合わせと
解しなければならない必然はないと考えます。
したがって、この辺りは、
作詞者の思い云々より、しっくり感が大切でしょう。
棄民思想を受け入れるか否かが
問題の核心にある、
と思います。
福島を守りたいという発想は、
「子どもを守りたい」
という衝動に敵対するかもしれません。
神国日本を守るという発想が
「子どもを戦争に巻き込ませない」志向と矛盾したように。
結論は、
九条の論点に一脈通じるものがあるなら、
そしてそれが
人々の平和を願うものなら、
福島を歌った曲として理解しよう、ということです。
なぜ、そうしたいか――。
今現在、
福島が悲鳴を上げているからです。
手当てが必要です。
その手当ては、
次のような歴史認識の中で
手に入ります。
玉砕(棄民)によって
得る勝利は、幻想――ということです。
同じ過ちをしてはいけない、と強く思います。
この歌、案外に
多くの人の心を癒すのではないでしょうか。
困難が何時まで続くか分かりません。
この歌を聴きながら、
(放射能に組み敷かれてたまるか)
と心新たにしえるのなら
「窮状(にある福島)」
の意味で歌詞を了解して、別に、構わないと思います。
いい曲です。
下記のサイトにアクセスすれば聴けます。
http://www.dailymotion.com/video/x6ws77_yyyy-yyyy_news
歌詞は、こちら。
以下、転記しておきます。
「我が窮状」
作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫
1.麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ
(短い間奏)
2.麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない
(間奏)
(リフレイン)
この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう
聴いていて、何だか涙が止まらなくなりました。
ただ、僕は、
他の人と違った理解をしていたようです。
実は、「窮状」を「窮状にある福島」の意に解して
涙しました。
しかし、多くの方は、「窮状」は
憲法「9条」の語呂合わせだと納得されているようです。
作詞者の沢田 研二さんが
この立場だからです。
彼は、こう述べます。
国家の威信をかけた戦いは
俺とお前の喧嘩という、個人レベルでのそれとは異なるんだ、と。
戦争は、戦いたくない人まで巻き込むからです。
確かにその通りでしょう。
しかし、どんな詩歌も
作品として発表された時点で
原作者の手を離れます。
歌詞には「窮状」とあるだけで、
どうしても
憲法九条との語呂合わせと
解しなければならない必然はないと考えます。
したがって、この辺りは、
作詞者の思い云々より、しっくり感が大切でしょう。
棄民思想を受け入れるか否かが
問題の核心にある、
と思います。
福島を守りたいという発想は、
「子どもを守りたい」
という衝動に敵対するかもしれません。
神国日本を守るという発想が
「子どもを戦争に巻き込ませない」志向と矛盾したように。
結論は、
九条の論点に一脈通じるものがあるなら、
そしてそれが
人々の平和を願うものなら、
福島を歌った曲として理解しよう、ということです。
なぜ、そうしたいか――。
今現在、
福島が悲鳴を上げているからです。
手当てが必要です。
その手当ては、
次のような歴史認識の中で
手に入ります。
玉砕(棄民)によって
得る勝利は、幻想――ということです。
同じ過ちをしてはいけない、と強く思います。
この歌、案外に
多くの人の心を癒すのではないでしょうか。
困難が何時まで続くか分かりません。
この歌を聴きながら、
(放射能に組み敷かれてたまるか)
と心新たにしえるのなら
「窮状(にある福島)」
の意味で歌詞を了解して、別に、構わないと思います。
沢田研二の大ファンとしては聞くたびに胸に歌声が迫って来て熱くなります。
歌唱力、ご本人の思い、そして変わらぬ声が
聞く人を感動させるのでしょうね。
九条であろうと今は窮状を思い浮かべます。
麗しの国、この福島の窮状を訴える為にも
もっと歌って欲しいと思います.
そんな方からのお墨付きなんですね。「窮状にある福島」という解釈でいいんだということで、自信を頂きました。
ありがとです!
♪Bad Bad Bad Tuning ずれてるほうがいい♪