のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「南相馬の子どもたち」 / BBCドキュメンタリー「Children of the Tsunami(部分)」( March 1, 2012.)

2012年03月17日 20時45分05秒 | Weblog
日本語字幕付「放射能の子供たち」/"Children of Radiation" (partially English-subbed)




優れた海外のドキュメンタリ―が

日本に入り込まないように、

監視さえしてるんじゃないかと勘繰りたくなります。

上にアップした動画は、

もともとはもっと長かったものが

削除されたため、

短くまとめて

アップし直されたもののようです。

消された動画は、

それっきりでしょ?

この動画だって、

短くまとめ直したからと言って、

削除要請の対象にならない保障などありません。

消されても、

内容を検討しえるようにするには、

文字起こしという

記録の仕組みを利用するしかないでしょうね。

自衛手段ってわけですかね。

そこで、

Portirlandさんが

「『津波の子供たち』BBCドキュメント」として、

文字に起こされたものを

下記に転載させてもらいました。

動画に対応した

文字起こしのある部分については、

その箇所の文字色を、小豆色に変えてあります。



なお、このブログ記事のタイトルを

「南相馬と子どもたち」となっている点について。


番組中、

警戒区域(20キロ)圏外、しかし、遠くまで出たくない

という被災者心理を

反映して、こんなにもたくさん、

南相馬に子どもたちが集まっているんだ

ということを伝えてました。

それを踏まえて、

動画に付された「津波の子供たち」という

タイトルを修正しました。


動画が

別の人にアップされてないか

調べるのでしたら、

原題は

「Children of the Tsunami」

という番組名らしいので、

それで検索されたらよろしいかと思います。




      <以下、転載>


『津波の子供たち』


リク「なんか普通地震って、うぅってなるだけなんですけど、大地震の時は、自分がもう投げ出された感じになったんですけど、
で、それで、机に潜って、かなりゴオーッてなって、机が動いたから、鳥肌が立つような、うぅっみたいな感じで、なんかとても恐い感じ……。
海って、波見たことありますか?
ザバーンザバーンて、あれが、地震で揺れることによって、その波が増して、ザッバーンってくるのが津波です」

これは、子供達の目を通して語られた、原子力発電所の事故を引き起こした、あの日本の津波のお話です。

リク「あの、思いっきりバチャーンてなるから、自分がまず倒れるんですよ。
それで後から、引きずられて、死んでしまう、みたいな感じなんですよ」

ソウマ「川があって、川の先には海があって、それで川の前に学校があって、学校の後ろには山があった」

金曜日の午後の、ちょうど学校が終わるぐらいの時間に、津波は襲いかかってきた。
それは、日本の東北地域沿岸の、300キロメートルに及ぶ範囲に渡るたくさんの学校を壊した。
すべての学校の生徒達は、高台に避難した。ただ一校を除いて。
大川小学校。
北上川から2.5キロメートルほどの所に位置する。
10才の双子、ソウマとフウカは4年生。
ソウマ「えっと、1年生と2年生が近くて、そこが丸くなっていて、その脇にはプレイルームっていう所があって」
フウカ「わたしの一番好きな所は、中庭で、その理由は、みんなで一輪車をして遊んだり、四ツ葉のクローバーを探したり」
ソウマ「図工室から、体育館通路があって、途中から階段を降りるとプールがある」

津波を引き起こした地震は、3月11日、午後2時46分に発生した。

ソウマ「その日の天気は、雪……降っていた……と思う。寒かった」
フウカ「その時はえっと、マノちゃんの誕生日だったんで、もうひとりのお友達とおめでとうとか驚かしたりして、
わたしの一番仲良かった友達はマノちゃんで、すごく優しくて、明るくて、いつもにこにこしてて」
ソウマ「その後歌を歌うんだけれど、その歌を歌っている途中に地震があって」

地震はマグニチュード9の激しい揺れが、少なくとも2分以上は続いた。

ソウマ「なんか、すごい横にこうなってなんか、ゆっくり揺れてるような感じだった。
速くこう、細かくじゃなくって、あの、こう横だったから、すごくでっかく感じた」
フウカ「で、先生方もずっと廊下を走って、机押さえろ!とか言ってて」

津波は、大川小学校に到達する前に、海岸近くの他の二つの学校を襲いかかっていた。

そのひとつ、河口沿いに建てられた、真正面に海を臨む学校。

「海がすごく引いてて、で、あの、見た事も無いくらい、なんか引いてて、これはちょっと、おっきい津波来るなあと思ってて、結構足が震えて」

この学校の教師は、生徒を高台に安全に避難させた。

「津波が、あの思いっきりザブンで来るんじゃなくて、静かになんかどんどん増えてくる感じで」
「家も海の近くだったから、基礎しか残んなくて、全部流された」

今や津波は、北上川を逆流し、二つ目の学校に迫っていた。

「津波は、えっとすごい速さで上に上がってきました。一、二年生の教室の前の木が呑み込まれていってました」

この学校の教師と生徒は、校舎の屋上に避難した。

「屋上の踊り場近くにも水が押し寄せてきたのを見たので、もう音楽室に居たら、みんな死んじゃうっていうぐらいでしたね。
みんなが思ってるなんだろう、おっきい怪物みたいな感じの、風景だったと思います」

今や津波は、被害に遭った学校の中で一番内陸にある大川小学校に到達しようとしていた。
地震発生後、三十分以上が経っていた。
約100人ぐらいの生徒達がまだ、校庭で待機していた。

フウカ「そん時にずっと車を見ておかあさんが来るかなって、あの、不安で不安でしょうがなくって、
来た瞬間ずっと泣いてて、おかあさんもずっと泣いてて」
ソウマ「もうみんな並んで、あの、先生が前に立って話したりしていた」

教師達は、校舎の裏山にある自然道に登るか、あるいは、橋のたもとの、少し勾配が上がっている所に避難するかを協議していた。

ソウマ「それで学校で、ここでいた方が安全だった言われたけど、おかあさんが、ここにいるより、家に帰った方が高いから安全だって言って」
フウカ「マナちゃんもほんとに近くにいたんで、そのプレゼントはほんとはバスケの帰りに渡すって言うことを言ってたんだけど、渡せなくなったねっていう話をしてて、ごめんねって、いいんだよって言ってて、
もう逢えないっていうのは思ってもいなかったから、なんにも言わないで、バイバイって言うのも言わないで終わってしまった」

半時間の間に、津波は、太平洋沿岸の300キロメートルに及び地域を破壊し、1万9000人もの命を奪った。
津波が収まった頃、大川小学校から160キロメートル南にある福島で、新たな災害が起ころうとしていた。
津波が、福島第一原子力発電所の冷却システムを破壊していたのだった。

ニュースアナウンサー『一号機の原子炉の天井が崩落しているということです』

三基のうちの一基の原子炉の燃料が、メルトダウンを開始した。
電力会社が、なんとか収集しようと躍起になっていた時、そのうちの一基が爆発した。

「おばあちゃんとおかあさんが、なんかあの、爆発したよとか言われたんで、中に入ってました。
で、初めて聞いた時は、なんだろうと思ってました」

初めの爆発があった二日後、二度目の爆発があり、放射能雲を生成するほどに高く吹き上がった。

「原発が水素爆発したって区長さんから言われたので、それであの、一回避難しました。
わたしはオダカで生まれ育ったので、なんかずっとオダカにいたかったんだけどこんなことになるとは思わなかった」

ニュースアナウンサー『半径20キロから外へ避難するよう指示しました。この範囲の中の方は速やかに避難してください』

津波の26時間後、政府は、原子力発電所から半径20キロ以内に住むすべての人々に、避難するよう勧告した。
二日以上かけ、約8万人の住民が家を放棄した。

「放射線を測ったん……次の日に。それでわたしはちょっと高かったから、テントの中でシャワーを浴びて、それで、着てた服はもうぜーんぶ捨てられて、髪の毛もよく洗って、顔もよく洗って、それで靴も全部捨てられたから、なんか……大事な服だったから悔しかった」

政府は、事故が起こった原発から20キロ以内を立ち入り禁止区域にし、それにより町は、外の世界から見ると空っぽになってしまった。

リク「なんかこう、警戒区域っていやだなーみたいな、なんか、警戒区域っていうことがあるということは、危ない所がそこにあるっていうことだから、イヤな気持ちです」

10才のリクは、立ち入り禁止区域となった、冨岡出身の子供。
多分、子供達がこの町に帰れるようになるには、何代もの年月が必要になるだろう。

リク「えっとまず富岡町は、ともかく助け合いのような感じがあったんですよ、僕にとっては。いい町だと思いました。
で、僕の家とかも普通の所なんだけど、宝物のようなものだから、汚染とかされちゃうとちょっとイヤな気持ちになっちゃう。
あとは、シスコーンっていう、美味しいやつが売ってて、牛乳につけて食べるやつなんですけど、あれがすごく美味しくて、食べてました。
あの、前、ちょっと焚き火とか、まだ避難している時に焚き火やってたんですよ。
その時に、おとうさんが、あの、煙が出るじゃないですか、それが、風によって放射線が来たり来なかったりするっつってたんですよ」

放射能汚染は、政府が指定した警戒区域だけに留まらず、福島の広域に渡って拡大した。
原発から半径20キロ以内に、ゴーストタウンが次々とできあがった。
多くの子供達や家族は、それぞれ、日本国内の遠方へと避難していった。
しかし、この、ギリギリのところで強制避難区域から外れている南相馬では、動けずにいる人々がいる。
警戒区域に指定された所の子供達は、この南相馬の学校に越境通学している。

「こないだは、遠くにいる友達のことを思って、毎朝歌ってきました」
歌「友達はいいもんだ」

警戒区域に家がある子供達は、いつまた元の家に戻れるのか、政府の決定を待っている宙ぶらりんの状態。
原子力発電所の事故は、子供達から家を奪っただけではなく、子供なりの世界、そして友達のほとんどを奪ってしまった。
当面の間、子供達はこの、原子炉の爆発が引き起こした暗い(奇妙で新しい)世界に適応していかなければならない。

10才のサキの寝室の窓からは、立ち入り禁止区域の入り口が見える。
サキ「えっと、あそこに見える風景は、赤いのが光っていて、その中に入ると危ない。放射線とかで危ないから、中に入らないようにあそこで守っています。
夜、あそこが光っているから、よく見えるから、その時見て、また帰りたいなとか思ったりしています」

サキの家がある町は、立ち入り禁止の柵により封鎖されている。

サキ「家が借りるのがなくて、まあ、20キロから近いけど、ここしか無かったから、ここ借りた。
心配になるけど、他に行く場所が無いから、まあ我慢するしか無いなと思って、ここにいます」

福島の子供の、放射線被ばくの脅威は、徐々に高まっている。

リク「子供とかって背低いから、あの、地面に近いっていうことだから、つまり、地面に放射線とかっておとうさんが、雨でホットスポットっていうやつがあるっていうので、それで地面に近いから、やっぱそのなんつぅんですかね、
地面についてるのはやはり近いから、近いと強いからそのやつが、それで浴びやすいんじゃないかなと思います。
おとうさんとお風呂に入る時に聞いたんですけど、あの、なんか、被ばくすると癌とかになったり苦しくなるから、被ばくしちゃうともう死んじゃうからダメだよって言われたんですけど」

福島の子供達は全員、外部被ばく量を測定する個人積算線量計(ガラスバッジ)を配布され、それを装着している。

マナミ「これは、多分福島だけだと思うんですけど、ガラスバッジっていって」

マツミ「これ、ここ(首)につけてると、ここの縫い目がちょっとチクチクするから、だから下着とか短い時には、ここにつけるんじゃなくて、ここ(腰)に巻いてつける。
だからお守りみたいなもの」

「いつもと変わんないなーっていう感じです」

アヤカ「いずれみんな見えるかなーってあの、言ってたけど、それはあの、自分では見れなくて、東京とかそういうあの、大学の所に届けられて、あっちの大学の人達が結果出して送ってくれるから、あの、自分達では見れないよっていうふうに話してくれたんで、あの、うちはけっこう興味あった」

校内放送「Good morning everyone. How are you? Please have a nice day」

アヤカ「マスクは、あの、外の放射線とか埃とか吸い込まないようにマスクして、帽子はなんだろ?帽子は、なんか理由はわかんないんだけど、帽子はあの、初めて来た時にかぶってくださいって言われて」

アヤカとクラスの子供達が、歌を歌っている。子供達が体育の授業で元気に運動している。
マスク姿で、下校する子供達。

アヤカ「多分、一号車だと思う」

アヤカは、立ち入り禁止地区からの避難者。
彼女にはもう、戻る場所はどこにも無い。
彼女の家は、津波によって壊された。
彼女の祖父は、津波が襲ってきた時に家の中に居た。

アヤカ「なんか、不思議というか、どこにいたんだろっていう、なんか謎っていうか、わからないので、うちたちも、あの、まあただ悔しいだけです」
アヤカは、手をすり合わせながら、祖父の遺影を前に拝む。

週末になると、あやかは外で遊ぶ事が許される。
ただしその場所は、父親が線量を測り、大丈夫だと判断された所に限られている。

アヤカ「0.7……0.8……」
父親 「およそ0.8ぐらいかな」
アヤカ「0.7、0.7……」
父親 「0.7か、まあ0.8ぐらい」
アヤカ「0.8ね……」
アヤカ達がマイクロシーベルトの値で測っている通りの放射線量は、事故後、以前の線量の15~20倍の高さになった。
アヤカ「放射線の測る機械はあるけど、あんまり、英語で書いてあっからあんまり、最初の方でしか測ってないから、ちょっとうちにはあんまりわかんないけど、あの、1.0マイクロシーベルトは高くて、で、0.3とかはちょっと高いぐらい……」

父親 「あの、これ一応あの、ウクライナ製で、インターネットで買ったんで、オークションっつかあれで、とりあえずスィッチ入れて、まあだいたい1メーターのとこ測って後は、まあ、だいたい1センチか2センチぐらいのとこに当てて」
アヤカ「くるまくるま!くるま!くるま!」
父親 「どれぐらいか確認してから、◯◯(聞き取れず)ようにしてるんですけど」
アヤカ「自分の部屋だけ測ったりする、時々……ふふ」
父親 「水回りとか草木がある所は高いんで、なるべくはこういう、アスファルトとか、その上で遊ぶようにはしてます」
アヤカ「なんか、あっち行くと怒られそう」彼女の視線の向こうには、きれいな公園がある。
アヤカ「木がいっぱいあってあの、放射線高そうだから」
アヤカ「おとうさんに、ここの駐車場で遊べって言われてるから、ここでしか遊んだことない」
父親 「まあそれも、長時間でなくて短時間で、はい。長くても30分程度、ですね」
駐車場でボール蹴りをするあやかちゃんとおとうさん。

『3月13日、日曜日、
今、地震や津波はとっても恐いです。
家族と一緒に、白瀬さんの家に避難しています。
でも、じいちゃんの行方がわかりません。
家族でみんな、恐くて仕方がありません。
放射能も恐いです。
もうこんな暮らしは恐いです』

アヤカ「この本は、あの、日記帳です。
なんか、書きたくて、書きたくて、おとうさんに買ってもらいました。
なんか、悩みを自分で持っているよりなんか、伝えたり書いたりした方がすっきりするから。
話すっていう気持ちがなんか、勇気っつうか、わいてこなかった……家族なんだけど……。
恐かったから……」

福島の子供達が避難して新しい暮らしを始めた所から160キロメートル北の町は、津波の被害が最も酷かった地域で、今もまだ、4000人もの方々が行方不明のままである。
北上川近くにある大川小学校では、10人の教師と74人の生徒が、あの金曜日の午後に亡くなった。

ソウマ「僕のクラスでは17人いたけど、その中でも4人が残っている。多分僕の上で僕を見てると思う。
あの、学校では僕と一緒にみんな勉強してると思う。みんなそばにいてくれてると思う。友達だから離れたくない。
みんないなくなって欲しくない」

津波が襲ってから二ヵ月経ってもまだ、ひとりの教師と、6人の生徒達が行方不明のまま。

ナオミ「コハルの教室はそこの、あそこの所です」
ナオミの娘、12才のコハルは6年生。
ナオミ「ほんとに、自衛隊の方々が、それこそ何百人って入って、片付け方をしてくださった。
でも、こうやってきれいになると、ここにもう子供達は戻ってこないので、きれいになりすぎてることによって、すごく逆に哀しくなったりもします。
娘のなにか、思いがある所に食べ物を置くと、早くみつかるって、そういうふうに言われたので、ロッカーにあげます。
早く見つかりますように。コハルが早く、家に帰ってきますように」

対策本部が救助活動を一旦終了した後、ナオミをはじめとする数人の親達は、自分達の手で捜索を始めた。

ナオミ「まだ見つかってない6人の子供達の親は、自分の手で掘れる所にもう子供達がいないので、重機を使ってしか子供達を探すことができない。
おとうさんは、仕事を辞めて、息子さんを見つける作業を一生懸命やってくれています」

子供を見つけようと懸命になる親達がいる一方で、起こったことに対する説明を探し求めている親がいる。

サヨミ「今だにわかってないです。今だに、どうして、行ってきますって言って出て行った子が、ヘドロまみれで真っ黒になって帰ってきたのか、今だにわからない。今だに信じられない」

大川小学校は、災害に遭ってから4週間後になってやっと、何が起こったのかを説明する会を開いた。
「助かった教師を我々の前に出せないのか?」
「エンドウジュンジ先生より、ただ今から説明をさせていただきます」

津波が襲った時、大川小学校には11人の教師がいた。
その中のたった一人が助かった。
エンドウジュンジ。
エンドウ「すみません、助けられなくって、本当に申し訳ありませんでした」

サヨミ「ひたすら願ったのが、エンドウジュンジ先生、ひとり残った先生の証言が、知りたかった、聞きたかった」

エンドウ「ものすごい高さの津波が、波が道路に沿ってくるのが見えました。
それですぐに、『山だ!山だ!こっちだ!」というふうに叫んで、で、山の方にやりました」

サヨミ「結果的には、エンドウジュンジ先生は、いかにして自分が助かったか、っていう説明に留まってしまって」
保護者「よそのひでえとこ皆助かってんだぞ、なんでここの子供達だけが死ななければならなかったんだ?」
サヨミ「怒り以外の何ものも無い、なんでこういうことになったのか、説明しろっていう、もう感情がもろ出しの状態で」
エンドウ「ほんとに、まさか、あんな大きな津波が来るってのはそこまで考えられなかったので」
サヨミ「質問に、こちら側の質問に対して、何も答えられない状況で、口ごもったり、黙り込んだり、説明にならない言葉を、ただ、私たち遺族の怒りをぶつけただけの会で終了してしまって」
保護者「殺されたんだぞ!」
保護者「学校に殺されたってことなんだぞ!」
保護者「この靴を見ろ。靴だけしか帰ってこねえよ。こんなめちゃめちゃに壊れて。俺の娘はクズか?」
サヨミ「そこが疑問です、すごく。
校庭以外の安全な場所は、1メートル高い所は、すぐ目の前にあったはずなんですよね。
公の立場である人間達だって、自分の子供が犠牲にならなければ、自分が、放射線のその危険地域内に住んでいなければ、他人事なんですよね」

ニュースアナウンス『福島第一原子力発電所で進む復旧作業の状況ですが、また想定外の事態です。
燃料棒は、すべて露出しているか、溶けてしまっている可能性があります。
ただ、圧力容器の温度は安定していて、水を送り込むことで冷やす……」

福島第一原子力発電所の事故により、避難を強いられている子供達は、いつ家に戻れるのか、もしかしたら永遠に戻れないのかと考えている。

エイイチロウ「寝ようとした時に(両親の話し声が)聞こえたりします。おとうさんとおかあさんの中ではおとうさんの方が、まあ、怒りみたいなの持ってます。
テレビで原発の話なんか観てても、ウソだ、みたいな信じなかったりしてて」
父「国がもはいっきに、無理ですって言った方が、あきらめがついていいんでねえの」
母「でもさ、無理ですってば、多分言ったらまたなんか言われるんで」
「手探り。無理ですとも言えず、かといって、いつまで経っても帰れます、とも言えず」
エイイチロウ コウセイは、立ち入り禁止区域に隣接する南相馬の、祖母の家に避難している。
町は、福島の山並みに近く、放射線量は高い。

エイイチロウ「僕たちの庭は、ばあちゃんが色んなやつ好きだから、葉っぱとかいろんなやつ植えてっから、それに放射能がついてっから、もう少しでないとダメって言われる。
おとうさんが会社から放射能測る機械を持ってきたから、それで測ったら、家の中で二階の方が一番高かったから、行っちゃだめって言われました。
ほとんどばあちゃんとかしか行かない。
お姉ちゃんと二階で遊んだりしたい。なんか、相撲みたいな、ことして遊びたいです。
家の蛇口から出る水は、なるべく飲まないでって言われています」
ミノリ「やっぱり、野菜とかもなんか放射能とかなんか、いろんなこと言ってるから、おかあさんとかばあちゃんは、買い物すっ時、なるべく福島県でできた野菜とか買わないようにしてくれてるし」
エイイチロウ「玄関に行って、マスクをかけて、放射能をあんまり吸いたくないとかそういう気持ちで走って車に乗ります」
ミノリ「おとうさんとおかあさんは、多分避難とか、もっと遠い所に行きたいと思ってるんだろうけど、やっぱりなんか、アパートもいっぱいだし、なんか仮設もそんなになくていっぱいだから、住む家が無くて多分行けないんだと思います」

タクヤ「仮設住宅は、家が無くなった人が、借りて住んでる所です」

立ち入り禁止区域になっている小さな町からやってきた10才のタクヤにとって、住んでいる仮設住宅は異世界だ。

タクヤ「外側から見える風景は、色んななんか長方形が、なんか次々並んでて、ひどいとなんか、自分の家の番号間違えたりします」

マツミ「仮設っていうのは、みんなが、っていうか、工事する人が、おうちをつなげて作って、それでみんなが隣同士で住むっていうこと」

7才のマツミは、ふたりの姉、メグミとマナミと一緒に暮らしている。

マナミ「前の家はなんかあの、とっても広くて、まあ二階もあったんですけど、仮設住宅ではちょっと狭くて、あと二階もなくて、
なんかあの、うるさくなって、聞こえちゃうので、なんかあの、おかあさんとかに静かにしろとか言われます」
クミコ「うーん、おかあさんわたしって赤ちゃん産めるの?何人ぐらい産める?とか、っていうのちょっと最近聞くので、
それなりになんかこう、体に悪い影響がある、だから赤ちゃん産めなくなったりとか、うーん、好きな人と結婚できなかったりとか、なんかそんなこともあるのかな?っていう、多分、ちょっとした疑問、っていうんですか、持ち始めたのかなーなんては思いますけど。
政府では大丈夫だって言ってるけど、ほんとにそれで大丈夫なのかどうなのかは、誰も経験したことが無いんだもんって、いつも思ってます」
マツミ「これから生きていくために、赤ちゃんとか産むから、だから人が増えるっていうか、安全にしなきゃいけないから」

津波発生から6ヵ月後、福島から北に160キロの所で、ナオミの、娘を探し求める作業は終わった。

ナオミ「この、ナブリ湾の漁港の作業をされてる方が、作業する際に、浮いているものを見つけて、それをカモメが突いていたっていう話でした。
うちの娘は、頭が無い状態で、見つかりました。体の一部も、手足が無い状態で、見つかりました。
それだけここまで来るまでには、長い距離を流れてきたんだと思います」
ナオミ「コハルが見つかってそれで終わりっていうことじゃなくて、残り4名の子供が見つかっていないということは、わたしにとってそこが、終わりではないんですね」

街頭演説をする政治家「私は、この先の警戒区域から避難している候補の高野みつじです。
これからの政治生活の中で、きちっと皆さんに答えられるように、私は……」

事故後、福島の立ち入り禁止区域から避難している避難民の人々に、一時帰宅の許可が下りた。
帰宅時間は4時間と、厳しく定められており、皆、特別に設置された所から入って行かなければならなかった。
彼らがそこから出る際には、車をはじめ、すべてのものの放射線量の測定が行われた。

リク「子供は入れないんですよ。あの、なんでかっていうと、子供は、子供用のその服が作られてないし、それに子供が行くと、どうしても暑くなって脱ぎたくなったりするから、ダメって言ってました」

サキ「えっと、おかあさんは、オダカ?20キロ圏内の方に行って……入りたいです。あと、家の周りとか町がどうなっているのかとか」
キリコ「誰も居ない町はやっぱり淋しいですよね。ここが体育館で、そっちがオダカ小学校です。
で、子供達の昇降口がこっちです。
0.51(マイクロシーベルト)です。思ったよりも数値は低いです。
靴を上履きに履き替えて、学校に入って行く所です。まだ、上履きが入ったままの子達もいますね」
「ここです家は。ここの勝手口の下の所、あそこから水が入って。
津波はうちの中では1メートル40センチぐらいの高さまで来た場所もあります。
あそこの、あの額を取ってきたいんですけど、どうしようと思って。
ここがわたしの机でした。
終わりました」
「この次の帰宅がいつのなるかは、わたし達にはわからないです。
この警戒区域の住民の方は皆そうなので、津波の影響が無い所でも、もう家の中はカビ生えてるとか、盗難に遭ってるとか、そういう状況ですから、
それを、賠償を、どうして国や原発の方で支払ってくれるのかな?というのは不思議でいます。
どうしていいかわからない状況ではありますけれど、みんなが困っている状況なので、ただ早く安全なオダカになって戻って欲しいと思います」

「それはなんといいましても、放射能の問題をきちっと解決をし、それは表土を一部剥ぐ、そしてまた、50センチ程度の土盛りをして、復興機関住宅を建てますと、現在の放射線から10分の1以下の放射線になりますから、
子供達やおかあさんが、安心して戻れる地域になるんです。どうもありがとうございます。お仕事ご苦労さまです」

トシハル「除染を見る時はとても楽しくて、僕も運転したくなるなあって感じです」

立ち入り禁止区域に隣接する南相馬市では、校庭の汚染された表土を5センチ剥ぎ取り、汚染されていない砂をそこに被せる作業が行われている。
汚染された土は、校庭を浅く掘って埋められる。

トシハル「それで重機とかが、とても大好きです。一番運転したいのはホイルローダーです。二番目に運転したいのが、小型のショベルカーか、あ、大型のショベルカーです」

放射能の被ばくの影響が子供達の健康に、いつ出るのか、その可能性の有無さえも、誰にもわからない。
しかし、心理的な影響はすでに出ている。

トシハル「僕のトシユキは年令は4才です。僕のおかあさんはトシユキのことを少し心配し、震災になってなんかちゃんとしゃべられなくて、
オダカの家に居た時はちゃんとしゃべってたんだけど、なんでここに来るとちゃんとしゃべられないのかなと思いました。それが不思議でわかりません。
料理とかも、少しうまく作れないけど、ホットケーキとか作ってくれて美味しかったです」

津波から9ヵ月経ち、福島第一原子力発電所は、ついに廃炉の決定が下された。
しかし、立ち入り禁止区域から避難している8万人の人々は、今も、自宅に戻れる許可が出るのを待っている。

サキ「いつ、今年は行けないと思います。なんかテレビとかの人は、もう20年とかかかるって言って、みんなはそんなの信じなくって、早く帰れるように復興を祈っています」
「時々心配になるけど、もう慣れちゃったって感じだから、もういいやと思って。だからもうここが家だと思って、もう気に入りました」

アヤカ「もうなんか、福島、日本全体がなんか、他の国から信用されなくなったというか、逆にひどくなったっていう感じがします。
もうまずうちの生活は、うーん、なんか家の中に閉じこもるようになった。外で遊べないから。
福島県では逆に、がれきをまだ片付けられないことです。まあ一応、そこ場所で通ってるので、そこ見んのがちょっと辛いです。
なんか、うちはあの、30年以上ぐらいだと思う。あの、そんなに広がっているんだったらば、すぐに消えないし、あの、いくら除染したってすぐには無くならないものだから。
あの、放射線はすぐには無くならないと思う」

トシハル「友達とは、放射線のことはあんまりしゃべりません。でも、遊びのことではけっこうしゃべりますが、でも放射線のことはあんまりしゃべりません。
なんかまた地震が来そうかなあと思うからです。
大人になったら、新幹線とか電車の運転手になりたいです。
トシユキは警察か、いや、電車の運転手と思います。
それでも僕は夢がかなうといいと思います。

マツミ「パテシエをやりながら、土日とかはボランティアとかをやる。
うーん、こういうふうに被害受けてる人達が、なんか、かわいそうっていうか、辛い目に遭ってるから、だから、助けてあげるっていう感じ」

ソウマ「山に行けば多分、みんな大丈夫だったと思う。そしてもうちょっと早く避難していれば、助かったと思う」
フウカ「マノちゃんを思い出したりする時は、すごい悲しい気持ちになったり、その時はほんとに涙が出てきたり、うーん、夢であって欲しいなって思います。
まあ、逃げなかったっていうのもあるんだけど、この地震がなって、あの、自然がなんかそういうふうにならなければよかったと思う。
でも、怒る気持ちはまだあります」
ソウマ「怒ってはない。あの、自然は助けてくれることもあれば、悪いこともあるから、それはしょうがないことだと思う。
海だって、魚がいっぱい泳いでいるから。魚だって僕たちが食べているものだから。
みんなを助ける仕事をしたい。震災の時に助けてもらったから、みんなを助けたい」

アヤカ「あのー放射線の研究者になりたい。なんでかというと、うちたちは経験してて、それをならないための薬とかあの、スプレーとかで、子供、あの、これから生まれてくる子供とか、そういう子供達の安全を守りたいから、放射線の研究者になりたいと思ってます」

リク「今には科学者とかいるじゃないですか。だから、やっぱりその風とか嵐とかで、放射線を外国とかに行かない、海の中心部に置いとけば。
それで、科学者とかに、巨大扇風機とか作ってもらえれば、できると思います。
あの、僕の大人になってからの夢は、やっぱり、安全な物を作ったりする、まあ、安全を考える人になりたいです、はい」

―――***―――

「Children of the Tsunami」という動画に、

英文による文字起こしがついているものを見つけました

(動画は、削除され、再生不能ですけど)。


the Passionate eyeというサイトです。


参考のため、英文による文字起こしを

下に転載しておきます。




   <以下、転載>


One year on: the Japanese tsunami through the eyes of its youngest survivors.

Directed by BAFTA and Emmy Award-winning director Dan Reed, and produced by UK based Renegade Pictures.

On March 11th Japan was hit by the greatest tsunami in a thousand years. Through compelling testimony from 7-10 year-old survivors, the film reveals how the deadly wave and the Fukushima nuclear accident have changed children’s lives forever.

The story unfolds at two key locations: Okawa Primary School where 74 children were killed by the tsunami; and a school that lies close to the Fukushima nuclear plant called Odaka Primary, attended by children evacuated from the nuclear exclusion zone.

Radiation and its possible long-term effects are a constant worry for parents and children who choose to remain in Fukushima. Many parents have placed severe restrictions on where their children can go, how they dress and what they can eat and drink.


Ayaka Kamada
Ayaka KAMADA-10
Ayaka lost her home and her beloved grandfather to the tsunami on March 11th. After the nuclear accident her hometown and school were evacuated. Both now lie with the 20-km exclusion zone, and may be off-limits for another 30 or 40 years until the entire zone can be decontaminated. Ayaka has moved to a semi-deserted town on the edge of the zone. Most of Ayaka’s friends have left Fukushima Prefecture because of the radioactive contamination.

Higher than normal radiation levels in the streets mean that Ayaka is allowed to play outside for no longer than 30 minutes at a time, and only once her father Hitoshi has conducted careful radiation measurements in the car park outside their house. It takes a while and Ayaka bounces her ball expectantly, peering over her father’s shoulder at numbers on the Geiger counter. Dad finally pronounces the car park safe – but the lush park behind it is off limits as he considers the radiation levels there too high.

‘My home life is such that I've become locked up in my own house. As I can't play outside anymore’ – Ayaka

Kosei KOSHITA- 8
Kosei has evacuated to his grandmother’s house. The house is near the mountains, which were hit by the radiation due to the wind direction on the day of the explosion. Kosei, and his sister are unable to enter the second floor of the house where radiation levels are higher, which he longs to do. He has to run to the car in the morning to minimise his exposure to the radiation, he can’t drink water from the taps, or touch the flowers blooming in the garden.

‘The radiation has stuck to the leaves so we’re told we can’t go in the garden without a mask’- Kosei

Kosei knows his parents worry about him and his sister. Late at night, he overhears talking about if they should leave Fukushima through the thin partition dividing the bedroom and living room.

‘When I’m trying to sleep I overhear them. They say, “Maybe we should move away from here”, stuff like that’- Kosei

Saki YAMAGUCHI- 9
Saki escaped to the second floor of her house when the tsunami swept through her neighborhood. After losing her house, and evacuating from the zone, Saki and her mother Kiriko moved into a rented house on the edge of the zone. It was the only available apartment they could find. The previous tenants and their children had fled Fukushima because of the radiation.

From her bedroom window she can see the flashing red lights of the police cars that man the zone’s entrance gate. Quietly, she peers out at the lights; a constant reminder of the home she cannot return to.

‘In the evening the lights stand out so I look over there and I think, “I want to go home” – Saki

Saki’s mother, Kiriko enters the exclusion zone on a rare government approved ‘home visit’ to fetch belongings from their house. Clothed in gloves and protective gear, she drives down the empty roads of her town; shadows of a former life. Collapsed buildings are untouched, starved cows roam the street.

On her video camera, she films her daughter’s abandoned school to show her daughter. As she picks out valuables from the mud-covered remains in her tsunami-hit house, she wonders when and if they will be able to return home.

‘We don't know when we'll be allowed back again. Everyone within the "exclusion zone" is in the same position’- Kiriko


Toshi Shindo
Toshi SHINDO- 8
Toshi loves watching the shovel trucks decontaminate the local park next to his apartment block. Decontamination is a process of removing the radioactive topsoil, and replacing it with fresh soil. The radiated soil is then buried on site and covered with sheets to absorb the cesium. It’s tremendous fun, seeing the rollers scrape away at the soil, making it feel fresh.

‘It makes me wish I could drive a machine too ...the one that I most want to drive is the roller’- Toshi

The trauma of the disaster has rendered his four year old brother mute. His mother Miyuki sighs sadly as she packs away a pile of compensation forms from the nuclear plant. No amount of money can return her children to how they were before the disaster.

‘Mum is a bit worried about Toshiyuki. Since the disaster he can’t speak properly anymore” – Toshi


Soma Sato
Fuka and Soma SATO– 10
Fuka and Soma are twins who lost most of their classmates to the tsunami at Okawa Primary. Their school was not evacuated after the earthquake. No one thought the tsunami would reach the school, which was located 4km from the sea.

When the earthquake hit, Fuka’s mother rushed to fetch the twins from the school, warning the teachers to evacuate to high ground. The twins went home without any idea of the impending disaster awaiting their friends. It was Fuka’s best friend, Mano’s birthday that day. She wished her ‘Happy Birthday’ when they got to school and had planned to give Mano her gift later that day.

‘I didn’t know I’d never see her again, so I left without even saying bye bye’- Fuka

Junji ENDO- Surviving teacher at Okawa Elementary
The only teacher to survive as the tsunami engulfed the school is Junji Endo. At a parent’s meeting organised by the school authorities, he attempts to explain why the children were not taken up the hill behind the school, which could have saved their lives.

In a dramatic and intense piece of video footage taken by one of the grieving parents, Junji leans forward weakly. He stutters a plea for forgiveness, before collapsing at the table while angry parents shout accusations at him. A broken man, all he can do is apologise.

‘We heard that a tsunami was coming, one option was of course to go up the hill’- Junji Endo

Naomi HIRATSUKA- Daughter Koharu- still missing
Naomi’s daughter Koharu, was one of the 74 children who died. She hasn’t found her daughter’s body, but knows the authorities aren’t going to help.

Desperate to find her, she had learned to operate a mechanical digger. Everyday she is joined by a handful of parents. They scour the muddied surrounds of the school, its demolished remains in the distance.

‘We whose children are still missing, have taken the search into our own hands. But we’ve found nothing so far’ – Naomi Hiratsuka

Naomi watches as the school is cleaned up, but the cleaner it gets the more it reminds her that the children are never coming back.

Sayomi SHITO- Lost her daughter Chisato
Sayomi lost her daughter Chisato at the school. She sits in front of smiling pictures of her daughter which adorn the colourful shrine she has created for her. Anger and sorrow wash over her. She feels a deep sense of betrayal towards the authorities that handled the disaster so badly, and have simply put a lid over something rotten.

‘For people in public positions, so long as it's not their own child who's dead, so long as they're not the ones living in radiated areas, they don't care’- Sayomi Shito

In both narratives the children draw their own unique conclusions from the disaster. While their parents struggle to come to terms with life after the tsunami, the children demonstrate reliance and adaptability. They have begun to move forward already.

Shiori (10) from Okawa Primary and classmate of Fuka and Soma, clutches a photo of her school friends who she lost to the tsunami. She carefully folds up a manga cartoon and packs it in a bag along with hair bands and key-rings; all reminders of her friends who she feels are with her everyday.

‘I think all my friends who’ve died would probably want me to be cheerful, like I used to be. So, I’m trying to be cheerful’ – Shiori

In Fukushima, Saki draws her eyes back from the window. She is starting to like her new house on the edge of the zone, and the radiation is something she is learning to live with.

‘I do worry sometimes, but I’ve gotten used to it now. I’ve gotten used to the radiation, so it’s okay’- Saki

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2 コメント

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こんばんにゃん☆ (魔女猫)
2012-03-17 18:37:22

ぬまゆさんにゃんブログにゃん復活していたにゃん☆
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☆魔女猫さんへ (忠太)
2012-03-17 22:23:31
復活してるとらな。

ぬまゆさんのことで不思議と思ったのは、彼女が塾経営をしていることら。なんで、経営ができるほど子どもがいるの、と。

でも、この記事で紹介しているBBCのドキュメンタリ―で謎が解けたトラな。警戒区域の外と言っても、“この線の向こう、一歩出たところ”にみんなが集まった状態なんだ、とらな。その内、この番組に出ていた子ども等が、ぬまゆさん同様、訳のわからない症状に苦しむことになるとらな。

それにしても、BBCは、よく子どもの証言を集めてドキュメンタリー番組を作ったとらな。
(子どもは嘘をつかない)
という思いの強さから考えて、この手の番組の反響は、想像を超えるとら。
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