想田和弘@KazuhiroSoda さんのツイートです。
――二重行政、二重行政って、まだ言ってる人がいるんだなあ。そういう人は「国」と「府」があることは問題にしないんですかね。二重行政が原理的にだめなのなら、都道府県や市町村も全部廃止して「国」に統一したほうがいいよね。でもそれじゃうまくいかないから、入れ子構造になってるわけで。〔0:30 - 2015年5月16日 〕――
――ちなみに国と都道府県の二重行政は棲み分けができてるから問題ないけど、大阪府と大阪市はできてないから大阪市分割構想が必要だという理屈は破綻してますよ。国と都道府県がうまく棲み分けられるなら、それは制度ではなく分担の問題だ。ならば同じように府と市でも分担を協議すればよい。それだけ。〔0:48 - 2015年5月16日 〕――
「協議では解決できない」
という理屈で、
想田さんの見解に
いちゃもんつける人が沢山いるようです。
この人が仰っておられるのは、
原理的なお話で
行政が機能する現場で
棲み分けが可能なように「役割り分担」につき、
協議すればよいということです。
すなわち、中央政府と地方政府の棲み分けを是認するなら、
原理的に地方政府同士の棲み分けもまた
否定しえないわけです。
問題は、
役割分担につき、
きちんと話し合いがつくかということですね。
つかないと決めつけるのは、
論理に飛躍があります。
これ、個人に当てはめれば、
飛躍があるのが
よく了解できます。
次のような具合です。
AさんとBさんは、
同じように協議能力があり、
話し合いで、棲み分けができている。
Cさんも同じように協議能力があるにもかかわらず、
Bさんとの間で
棲み分けができていない。
とすれば、
話し合い次第で、
BさんとCさんが棲み分けができるようになると考えるのが自然です。
できないと決めつけるのは、
そこに飛躍がある、
換言すれば、論理的に破綻しているとしか言いようがないのです。
また、地方公共団体同士で衝突するからと言って、
協議不能と断ずるのは、
仮に、棲み分けが出来ていれば、
団体同士での衝突がないはずだと言っているようなものじゃないでしょうか。
それは、妄想といってよいレベルの思い込みです。
実際、棲み分けができているはずの
政府組織である「省」や「庁」同士の間でも
不都合なことの押し付け合いのようなことはあるわけで、
私的な生活場面でも
衝突はあります。
たとえば、向こう三軒両隣、
常に仲がよいという方が珍しいでしょう。
しかし、だからと言って、
自分の家を明け渡さねばならないというわけではないでしょ?
棲み分けについての話し合いは、
仲がいい、悪いは別にしてできるのです。
破壊は、
鬱憤晴らしにはなります。
橋下氏の場合は、
破壊した、
その後の設計図に白紙なところがままあります。
しかし、質問すると、
議論を避けて返答しようとしない、
そんな人の「協議」能力を鵜呑みにできることの方が
むしろ、不思議ですな。
なお、
上に述べた
原理的に「大阪市と大阪府の棲み分けが可能」という
判断に対して、
棲み分けは不能だから
という根拠に、
現実の協議不調を挙げ、
机上の空論は相手にしたくない。
従って、
自分は大阪市の廃止も已む無し
と考えるという人がいて可笑しくない。
その人たちに対して、
最後に一言。
どうしても協議を整わせ、
二つに一つの
選ばせるというのは、
詐欺師たちの常套手段である旨、
指摘しておきたい。
無理にどちらかを選ぶ必要のないことは、
信用保証協会の事例を見れば、
明らかだと思う。
「債権回収を焦げ付かさない」
という選択肢、
必ずしも絶対善ではないことが理解できると同時に、
曖昧なままに残すことの
意義が了解できる
(拙稿「角を矯めて牛を殺す『二重行政』悪玉論を正す」
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/b7f381e0eb98b337f0754e29bd92f422)。
――二重行政、二重行政って、まだ言ってる人がいるんだなあ。そういう人は「国」と「府」があることは問題にしないんですかね。二重行政が原理的にだめなのなら、都道府県や市町村も全部廃止して「国」に統一したほうがいいよね。でもそれじゃうまくいかないから、入れ子構造になってるわけで。〔0:30 - 2015年5月16日 〕――
――ちなみに国と都道府県の二重行政は棲み分けができてるから問題ないけど、大阪府と大阪市はできてないから大阪市分割構想が必要だという理屈は破綻してますよ。国と都道府県がうまく棲み分けられるなら、それは制度ではなく分担の問題だ。ならば同じように府と市でも分担を協議すればよい。それだけ。〔0:48 - 2015年5月16日 〕――
「協議では解決できない」
という理屈で、
想田さんの見解に
いちゃもんつける人が沢山いるようです。
この人が仰っておられるのは、
原理的なお話で
行政が機能する現場で
棲み分けが可能なように「役割り分担」につき、
協議すればよいということです。
すなわち、中央政府と地方政府の棲み分けを是認するなら、
原理的に地方政府同士の棲み分けもまた
否定しえないわけです。
問題は、
役割分担につき、
きちんと話し合いがつくかということですね。
つかないと決めつけるのは、
論理に飛躍があります。
これ、個人に当てはめれば、
飛躍があるのが
よく了解できます。
次のような具合です。
AさんとBさんは、
同じように協議能力があり、
話し合いで、棲み分けができている。
Cさんも同じように協議能力があるにもかかわらず、
Bさんとの間で
棲み分けができていない。
とすれば、
話し合い次第で、
BさんとCさんが棲み分けができるようになると考えるのが自然です。
できないと決めつけるのは、
そこに飛躍がある、
換言すれば、論理的に破綻しているとしか言いようがないのです。
また、地方公共団体同士で衝突するからと言って、
協議不能と断ずるのは、
仮に、棲み分けが出来ていれば、
団体同士での衝突がないはずだと言っているようなものじゃないでしょうか。
それは、妄想といってよいレベルの思い込みです。
実際、棲み分けができているはずの
政府組織である「省」や「庁」同士の間でも
不都合なことの押し付け合いのようなことはあるわけで、
私的な生活場面でも
衝突はあります。
たとえば、向こう三軒両隣、
常に仲がよいという方が珍しいでしょう。
しかし、だからと言って、
自分の家を明け渡さねばならないというわけではないでしょ?
棲み分けについての話し合いは、
仲がいい、悪いは別にしてできるのです。
破壊は、
鬱憤晴らしにはなります。
橋下氏の場合は、
破壊した、
その後の設計図に白紙なところがままあります。
しかし、質問すると、
議論を避けて返答しようとしない、
そんな人の「協議」能力を鵜呑みにできることの方が
むしろ、不思議ですな。
なお、
上に述べた
原理的に「大阪市と大阪府の棲み分けが可能」という
判断に対して、
棲み分けは不能だから
という根拠に、
現実の協議不調を挙げ、
机上の空論は相手にしたくない。
従って、
自分は大阪市の廃止も已む無し
と考えるという人がいて可笑しくない。
その人たちに対して、
最後に一言。
どうしても協議を整わせ、
二つに一つの
選ばせるというのは、
詐欺師たちの常套手段である旨、
指摘しておきたい。
無理にどちらかを選ぶ必要のないことは、
信用保証協会の事例を見れば、
明らかだと思う。
「債権回収を焦げ付かさない」
という選択肢、
必ずしも絶対善ではないことが理解できると同時に、
曖昧なままに残すことの
意義が了解できる
(拙稿「角を矯めて牛を殺す『二重行政』悪玉論を正す」
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/b7f381e0eb98b337f0754e29bd92f422)。
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