日本でまともな選挙が
行われていたのは、
「ムサシ」
という開票機が
導入されるまででしょう。
しかし、
かくも大きな問題、
すなわち、民主主義が
日本で機能しているのか
という深刻な問題を巡って
議論が活発化してません。
その理由として、
第一に、
陰謀論者の関与があります。
「人工地震」だとか
何だか荒唐無稽な上に
選挙に出馬、
不正選挙を断ずるなら、
この行動理解に苦しみます。
その辺りの説明がないとことへ持ってきて、
「陰謀論」を振り回すの中から出た
脱落者が、
不正選挙を否定しているという
話から逆に、
「不正選挙は、陰謀論を主張する立場性の表明そのもの」
という理解がされてます。
第二は、仮に不正選挙であったとしても、
不正が認められた時点で
――すべてが引っくり返る――
という「無効」への期待です。
だから慌てる必要はないということです。
しかし、無効な選挙で選ばれたから
何もしないわけではないのです。
過剰な楽観は、
危険です。
現に、安倍某は、
クーデターであることを承知で、
政策を打ち出しているにじゃないでしょうか。
そのすべてが
選挙無効が判明した段階で引っくり返るという理解は、
見方が甘すぎじゃないでしょうか。
たとえば、集団的自衛権による武力行使を政府が認め、
派兵が決定された場合、
死者も出ることでしょう。
選挙が
無効であったと確認されたところで、
死者が
蘇るわけじゃないのですよ。
法的な無効の法理は、
為政者の
行為をすべて否定しないでしょう。
そのことを承知すべきです。
さて、3つ目の
不正選挙が無視される理由は、
「虐め」と
共通点があるような気がします。
すなわち、
「虐め」って、
多様性を認めない社会において
不正選挙より、
あって当たり前のものです。
しかし、
学校へのアンケート調査などでは
必ずて言っていいほど
「ありません」。
自殺者が出て
漸く、
「調査中」
の返答が得られます。
この現象、
異様と思いませんか。
さて、僕は、
この問題を考えだすと、
事件を
迷宮入りにしてしまった
刑事になったような気分になります。
(犯人はここにいるはず、なのに…)
と思うものの、
特定できなきゃ逮捕できません。
なぜ、虐めの
存在に学校はこうも否定的なのか――。
思うに、
虐めを暴き、矯正する学校より、
“虐めのない”学校の方が
世間の覚えが目出度いからでしょう。
しかし、虐めがないのではなく、
白日の下に
晒されていないだけです。
不正選挙も
同じです。
大騒ぎすれば、
日本を自ら未開国家扱いする
恐怖が
あるような気がしますな。
自国に自信が持てない。
したがって、
誤りを認め、それを質して行くより、
何の
欠点や失敗、愚行の
類がない
という方が
評価が高いという誤った発想から
抜け出せないんでしょう。
リベラル派に対し、
売国派が
「日本は、正しい」
と言い張るのと根底において
通じるでしょう。
日本という
売り飛ばす「商品」に瑕疵を認めたら
値が下がるというわけです。
行われていたのは、
「ムサシ」
という開票機が
導入されるまででしょう。
しかし、
かくも大きな問題、
すなわち、民主主義が
日本で機能しているのか
という深刻な問題を巡って
議論が活発化してません。
その理由として、
第一に、
陰謀論者の関与があります。
「人工地震」だとか
何だか荒唐無稽な上に
選挙に出馬、
不正選挙を断ずるなら、
この行動理解に苦しみます。
その辺りの説明がないとことへ持ってきて、
「陰謀論」を振り回すの中から出た
脱落者が、
不正選挙を否定しているという
話から逆に、
「不正選挙は、陰謀論を主張する立場性の表明そのもの」
という理解がされてます。
第二は、仮に不正選挙であったとしても、
不正が認められた時点で
――すべてが引っくり返る――
という「無効」への期待です。
だから慌てる必要はないということです。
しかし、無効な選挙で選ばれたから
何もしないわけではないのです。
過剰な楽観は、
危険です。
現に、安倍某は、
クーデターであることを承知で、
政策を打ち出しているにじゃないでしょうか。
そのすべてが
選挙無効が判明した段階で引っくり返るという理解は、
見方が甘すぎじゃないでしょうか。
たとえば、集団的自衛権による武力行使を政府が認め、
派兵が決定された場合、
死者も出ることでしょう。
選挙が
無効であったと確認されたところで、
死者が
蘇るわけじゃないのですよ。
法的な無効の法理は、
為政者の
行為をすべて否定しないでしょう。
そのことを承知すべきです。
さて、3つ目の
不正選挙が無視される理由は、
「虐め」と
共通点があるような気がします。
すなわち、
「虐め」って、
多様性を認めない社会において
不正選挙より、
あって当たり前のものです。
しかし、
学校へのアンケート調査などでは
必ずて言っていいほど
「ありません」。
自殺者が出て
漸く、
「調査中」
の返答が得られます。
この現象、
異様と思いませんか。
さて、僕は、
この問題を考えだすと、
事件を
迷宮入りにしてしまった
刑事になったような気分になります。
(犯人はここにいるはず、なのに…)
と思うものの、
特定できなきゃ逮捕できません。
なぜ、虐めの
存在に学校はこうも否定的なのか――。
思うに、
虐めを暴き、矯正する学校より、
“虐めのない”学校の方が
世間の覚えが目出度いからでしょう。
しかし、虐めがないのではなく、
白日の下に
晒されていないだけです。
不正選挙も
同じです。
大騒ぎすれば、
日本を自ら未開国家扱いする
恐怖が
あるような気がしますな。
自国に自信が持てない。
したがって、
誤りを認め、それを質して行くより、
何の
欠点や失敗、愚行の
類がない
という方が
評価が高いという誤った発想から
抜け出せないんでしょう。
リベラル派に対し、
売国派が
「日本は、正しい」
と言い張るのと根底において
通じるでしょう。
日本という
売り飛ばす「商品」に瑕疵を認めたら
値が下がるというわけです。
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