Mさんの転勤は、スケープゴートだったと思う。もし、過ちがあったとしたら、それ
はH君を自分の跡継ぎのようにみなしたことだろう。
さて、Mさんが姿を消して、僕の監視役をしていたN君も任務を解かれ、別の仕事を
与えられた。僕は、晴れて自由に身だ。しかし、それは、Y君等の介助においてで
あって、相変わらず下積であることには変わりない。
さて、ここで少し僕の仕事内容に触れておく。
僕のしていた仕事は、グループホームの泊まり勤務だった。二人一組で男性利用者4
名の世話をしていた。Y君は、既に述べたように、処遇困難な人ではあるが、危険な
人ではない。機嫌が悪いと、一定のリズムで耳障りの悪い声を出す。もっと機嫌が悪
いと、手を打つ。本当に怒ると、足でドンと床を打ちつける。それでも相手(介護
者)が自分の気持ちを察してくれないと、たとえば、「おサルのかごや」などを歌い
だす。何しろ絶対音階の持ち主だから、メロディが綺麗だ。
(オルゴールみたいやな・・・)と感心してると、洗剤をラッパ飲みしてくれたりす
る。漂白剤を飲んだりすることもある。僕が一緒にいるときは、そのような事故は起
こらないのだが、日中、下手な介護をしてる連中が、Y君を怒らせ、度々、救急車を
呼んで、大騒ぎになっていた。
もう一人の重症心身症者の人は、介護の経験のある人なら分かると思うが、いわゆる
食事介助等の「世話」で大変なだけだった。誘導の際、転倒骨折をさせてしまう危険
性とか、注意点があるにはある。しかし、自分に危害が及ぶわけではない。
その点、僕とは直接関わりのない、残りのもう二人は、介護者が危険に晒される可能
性がある。二人は、身体的には何の問題もない。むしろ強健だ。一人は、僕が働き始
めの頃、包丁を振り回していた人だ。もう一人は、成人するまで素っ裸で育てられた
という文字通りの”裸族”だ。
二人は、ブルース・リーとジェット・リーのような男を想像してくれたら、大体のイ
メージはつかめると思う。包丁を振り回していたブルース・リーの君を、P君。裸族
の君を、T君としておく。
この二人を介護するため、Mさんの代わりに入った人は、某大学の超有名なラグビー
部でならした青年だった。風貌は、ジャキー・チェンだ。体つきが完全な逆三角形
で、大学時代はさぞチームに貢献したであろうことは、体つきを見ても簡単に頷ける。
ジャッキー・チェンがジェット・リー相手に壮絶なバトルを開始。床の揺れの激しさ
から、二人の力比べのすさまじさが伝わってくる。僕は、専ら自分の担当する利用者
を寝かしつけるべく、「眠れ~♪ 眠れ~♪ 愛しわが子よ」などと子守唄を歌って
いた。しかし、生きた心地がしなかった。もし、寝かしつけるのに失敗し、Y君が起
き出して、美空ひばりのご登場という段になったら、ブルース・リーも暴れだすに違
いなかった。床が揺れる中、どうにか寝かしつける。
リビングに行くと、テレビが木っ端微塵に破壊されていた。それはまだいい。トイレ
の便器が剥がされていた。根元から外された便器が部屋の中央にでんと置いてある光
景は、シュールな芸術作品を見るようだった。
(わし、おしっこがしたい・・・これは、放って置くわけにはいかない!)
で、ジャッキー・チェン君に声をかけることにした。
「任してくれるか? 介護は、腕力でやるもんと違うねん。よく見とき」
K君に近づき、とりあえず便器を固定するボルトを取り上げる(ここは腕づく)。
しかし、この後はまったくの無抵抗。殴られたら、殴られるまま。蹴られたら蹴られ
るままだ。K君の場合は、噛み付いてきた。僕は、肩の辺りに噛み付かれながら、K
君を煽った。
「もっと強くや! 肉を食いちぎれ」
K君なりに全力で、その声にこたえた。痛みが体を貫く。しかし、それでも僕は
「こんなもんで止めるな。もっと噛まんか」と自分の肩を差し出した。3分ぐらいか
けて、K君は、僕の肩の肉を引き裂こうともがいた。僕の方は、ただその間、K君の
背中をひたすら撫で付けてやりながら、「Mさんがいなくなって寂びしいんやな。好
きやってんな。僕と同じや」
と、彼の気持ちを察し、代弁してあげた。
ふっと、僕の肩をチューインガムを吸うように引きながら、噛むのを止めた。その後
は何事もなかったように、向こうを向いて大人しくなった。それで、
「僕は、君の話を聞いた。今度は、君が僕の話を聞く番や。トイレがなかったら皆が
困るねん。元に戻してくれるか」と尋ねる。
K君は、ぱっと立ち上がるや、トイレの取り付け直しをしてくれた。
ラグビー部の好青年は、
「ありがとうございます。今日のことは生涯、忘れません。介護の原点というものが
身に沁みて分かりました」と言っていた。これで一件落着だ。Mさんの仕事を無事、
引き継ぎ終えれた。騒動が治まり、僕がトイレに直行したのは言うまでもない。
はH君を自分の跡継ぎのようにみなしたことだろう。
さて、Mさんが姿を消して、僕の監視役をしていたN君も任務を解かれ、別の仕事を
与えられた。僕は、晴れて自由に身だ。しかし、それは、Y君等の介助においてで
あって、相変わらず下積であることには変わりない。
さて、ここで少し僕の仕事内容に触れておく。
僕のしていた仕事は、グループホームの泊まり勤務だった。二人一組で男性利用者4
名の世話をしていた。Y君は、既に述べたように、処遇困難な人ではあるが、危険な
人ではない。機嫌が悪いと、一定のリズムで耳障りの悪い声を出す。もっと機嫌が悪
いと、手を打つ。本当に怒ると、足でドンと床を打ちつける。それでも相手(介護
者)が自分の気持ちを察してくれないと、たとえば、「おサルのかごや」などを歌い
だす。何しろ絶対音階の持ち主だから、メロディが綺麗だ。
(オルゴールみたいやな・・・)と感心してると、洗剤をラッパ飲みしてくれたりす
る。漂白剤を飲んだりすることもある。僕が一緒にいるときは、そのような事故は起
こらないのだが、日中、下手な介護をしてる連中が、Y君を怒らせ、度々、救急車を
呼んで、大騒ぎになっていた。
もう一人の重症心身症者の人は、介護の経験のある人なら分かると思うが、いわゆる
食事介助等の「世話」で大変なだけだった。誘導の際、転倒骨折をさせてしまう危険
性とか、注意点があるにはある。しかし、自分に危害が及ぶわけではない。
その点、僕とは直接関わりのない、残りのもう二人は、介護者が危険に晒される可能
性がある。二人は、身体的には何の問題もない。むしろ強健だ。一人は、僕が働き始
めの頃、包丁を振り回していた人だ。もう一人は、成人するまで素っ裸で育てられた
という文字通りの”裸族”だ。
二人は、ブルース・リーとジェット・リーのような男を想像してくれたら、大体のイ
メージはつかめると思う。包丁を振り回していたブルース・リーの君を、P君。裸族
の君を、T君としておく。
この二人を介護するため、Mさんの代わりに入った人は、某大学の超有名なラグビー
部でならした青年だった。風貌は、ジャキー・チェンだ。体つきが完全な逆三角形
で、大学時代はさぞチームに貢献したであろうことは、体つきを見ても簡単に頷ける。
ジャッキー・チェンがジェット・リー相手に壮絶なバトルを開始。床の揺れの激しさ
から、二人の力比べのすさまじさが伝わってくる。僕は、専ら自分の担当する利用者
を寝かしつけるべく、「眠れ~♪ 眠れ~♪ 愛しわが子よ」などと子守唄を歌って
いた。しかし、生きた心地がしなかった。もし、寝かしつけるのに失敗し、Y君が起
き出して、美空ひばりのご登場という段になったら、ブルース・リーも暴れだすに違
いなかった。床が揺れる中、どうにか寝かしつける。
リビングに行くと、テレビが木っ端微塵に破壊されていた。それはまだいい。トイレ
の便器が剥がされていた。根元から外された便器が部屋の中央にでんと置いてある光
景は、シュールな芸術作品を見るようだった。
(わし、おしっこがしたい・・・これは、放って置くわけにはいかない!)
で、ジャッキー・チェン君に声をかけることにした。
「任してくれるか? 介護は、腕力でやるもんと違うねん。よく見とき」
K君に近づき、とりあえず便器を固定するボルトを取り上げる(ここは腕づく)。
しかし、この後はまったくの無抵抗。殴られたら、殴られるまま。蹴られたら蹴られ
るままだ。K君の場合は、噛み付いてきた。僕は、肩の辺りに噛み付かれながら、K
君を煽った。
「もっと強くや! 肉を食いちぎれ」
K君なりに全力で、その声にこたえた。痛みが体を貫く。しかし、それでも僕は
「こんなもんで止めるな。もっと噛まんか」と自分の肩を差し出した。3分ぐらいか
けて、K君は、僕の肩の肉を引き裂こうともがいた。僕の方は、ただその間、K君の
背中をひたすら撫で付けてやりながら、「Mさんがいなくなって寂びしいんやな。好
きやってんな。僕と同じや」
と、彼の気持ちを察し、代弁してあげた。
ふっと、僕の肩をチューインガムを吸うように引きながら、噛むのを止めた。その後
は何事もなかったように、向こうを向いて大人しくなった。それで、
「僕は、君の話を聞いた。今度は、君が僕の話を聞く番や。トイレがなかったら皆が
困るねん。元に戻してくれるか」と尋ねる。
K君は、ぱっと立ち上がるや、トイレの取り付け直しをしてくれた。
ラグビー部の好青年は、
「ありがとうございます。今日のことは生涯、忘れません。介護の原点というものが
身に沁みて分かりました」と言っていた。これで一件落着だ。Mさんの仕事を無事、
引き継ぎ終えれた。騒動が治まり、僕がトイレに直行したのは言うまでもない。
勉強になりました。
こんな場合は、こう、というような信念がおありなのではないですか?
今は対面して感じるままに受け止めることから始めています。