のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

田辺 元氏 / 「歴史的現実」

2012年11月04日 12時52分37秒 | Weblog
小賢しい人間は、

生死の問題に直面したときに

大義とか

悠久の生命といったものをなかなか信じることができません

(田中優・文「商売としての排外主義」

・月刊日本11月号所収参照)。

昔も今も、就活だの婚活だのと言ってる若者たちの

その辺りの事情は、

変わらないでしょう。

そこで、安倍や石原、はたまた大阪の橋下などが

徴兵制を採用すべく

スーパーパワーを発揮しています。

ただ、徴兵制をたとえ制度として採用しえても、

それを運用する人間が

軟(やわ)くてはお話になりません。

要するに、

「死にましょう」

と美しく誘い、

黙って死んでゆく者の肉を喰らへる、

所謂、強靭な人間の

層の厚さが

問われています。

戦前には

その役割を担う者として、

田辺 元(はじめ)氏という哲学の巨人がおりました。

実際、この人は、

戦時中、京都で「お前ら死んで来い」と

檄を飛ばしました。

その結果、若者たちは、

英霊となるため、祖国、美しい日本のために

我を争って太平洋に散っていきました。

田辺氏自身は、

演説の後すぐに軽井沢に籠りました。

なぜ、軽井沢なのかと言うと、

日本全土が

戦場となっても、

箱根と軽井沢だけが

各国の大使館・公民館という

外交特権を

持った機関があり、

攻撃対象にならない、

つまり、安全だからです。

そこは、

ただし学生に内緒です。

そしてもう一つ、

内緒にしていたことがあります。

学徒に

「君たちは、ここで死ぬことで存在が初めて承認される」

と説教する一方で、

敗戦を予期。

自分が戦後を好都合に生き抜くため

「懺悔道の哲学」

という弁明の書物を

この軽井沢で

ものにしたらしいです。

――自分ひとり安全なところにいる――

という為政者の有する当然の徳義が

非難されそうになったときは、

「全面戦争の現代において

前線も銃後も等しく死の危険にあり、

その意味では

特攻隊も我々も同じだ」

という屁理屈を振り回していたと言います。

田辺 元氏の

著作に

「歴史的現実」

という本があります。

特攻隊に志願した多くの学徒が

小脇に抱え、

玉砕してゆく際に

心の支えにした本です。

作家で元外務省主任分析官の

上掲、田中 優氏が

当時、出版元だった岩波書店に

「きけわだつみのこえ」

とともに、こちらも出版して欲しいと述べておられます。

同感です。

ちなみに、原子力村の村民が

許せないのは、

彼らも

たとえ幼児が相手であっても、

放射能で体を鍛えよとか

「絆」と言いながら、

放射性物質という究極の毒物を摂取させます。

その点、戦前の関東軍と同じだからです。

人命軽視です。

政治に騙されないためには、

朝日新聞という

官僚新聞に目を通した方がいい、

かもです。

官僚の下心が分かります

(この新聞社、本当に冗談抜きで

上から目線です。

官僚を意識して執筆されているだけあって、

帝王学としての

為政者に都合の良い考えが書かれてあります)。

官僚と判断材料を共にしないと

批判も迎合もできません。

蚊帳の外では置いてきぼりを喰らうだけです。

佐藤 優氏が

「日本の外交を動かしているのは、

朝日新聞だ。

いつ戦争が始まるかを知りたくば、

この新聞を読め」

とまで言い切ってます。

つまり、日本の官僚は、

この新聞社の虜なのです、戦前からね。

多くの人は、それを知りません。

もしくは、多くの人の目に触れないよう

隠されているということです。

「赤い、赤い朝日」などのキャッチフレーズが

その隠ぺい目的のため、

利用されていると言えるのかもしれないです。

ところで、佐藤氏によると、

政治家は、

朝日新聞以外では

「月刊日本」

を読んでいたりするそうです。

(ほんまかいな!!)とも思いましたが、

多分、事実なのでしょう。

スポーツ紙やサンケイ・読売新聞等は

思考停止するのが得策な情報弱者が

読者として

想定されています。

そのため、

政策決定者にとっては

質が低いと認識されているようです。

「変化を望まない自分にフィットしている」

というレベルで

読売やサンケイを読んでいる人は、

その段階で

支配される側の立場を選んでいまです。

被支配者階級というは、

変化を恐れます。

適応していく力を持たないからです。

自覚すべきです。

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