Story
1823年、冷たい雪が降り積もるウィーンの街。一人の老人が自殺を図り、病院へと運ばれた。老人の名はアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム )。かつて、宮廷作曲家として王の寵愛を受け、音楽家としての尊敬を集めた人物だった。年老いたサリエリを訪ねた若い神父・フォーグラー(リチャード・フランク)は、サリエリに告白を促す。そしてサリエリは、彼が生涯心に持ち続けた、一人の天才作曲家・ヴェルファング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)への複雑な感情を語り始めるのだった。(goo映画より)
1984年/アメリカ/ミロシュ・フォアマン監督作品
評価 ★★★★★
「映画鑑賞の記録」のmiriさんから、ブログDEロードショーのお誘いを受けました。作品の選定は
「ラジオ・ヒッチコック」のロッカリアさんです。ありがとうございました!皆で同時期に同じ映画を観て語り合うという企画ですが、3回連続で遅刻してしまいました(汗)。めげずに、レビューをアップです。
ちょうど「アマデウス」が公開された時期。ポップス界ではファルコの「ロック・ミー・アマデウス」がヒットし、SF小説ではサイバーパンクの旗手ブルース・スターリングがモーツァルトを主人公にした短編SFを発表しました。異なるカルチャーで同時多発的にモーツァルトが取り上げられる不思議な偶然(こういうのを「シンクロニシティ」というそうな。)に当時唸らされた記憶があります。
さて、映画についてです。モーツァルトの天才的才能に嫉妬したサリエリが彼を死に追いやるというのが粗筋。しかし、サリエリの怒りはモーツァルトよりも神に向けられているようです。天才的な音楽の才能というギフトを与えられたモーツァルト。不公平な現実に直面して、神の創造物であるモーツァルトを殺害することで神への復讐を果たそうとする訳ですね。
「ドンジョバンニ」を観て、モーツァルトに覆いかぶさる父親の幻影を見破り、それを利用して彼を死に追いやることを思いつくところが圧巻。モーツァルトに対するサリエリの感情は、憧れと嫉妬がないまぜになったまさにアンビバレント。ここの所をマーリー・エイブラムスが、一見無表情でいながら頬の動き一つで表現するのは、まさに名演の名に値するものだと思います。
下品なモーツァルトのキャラ設定には色々と異論もあるかと思いますが、私としては幻滅する反面、彼もただの人間だったんだなと安心したのも確か。
「レクイエム」の作曲で徐々に憔悴して行くモーツァルト。集団墓地に埋葬される彼は哀れでしたが、その天才も神の目から見れば一瞬の輝きにすぎなかったのかと、私はこの場面で人間の儚さをすごく感じました。
最後に、我々凡庸な人間の守護神になってしまったサリエリには笑うしかないです。しかし、凡庸な人間が彼を天才と認識するからこの世に数々の天才が存在するのであって、認識されなければただの変人です(馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったものです)。ここに凡庸な人間の存在意義があるわけで、こうして天才を畏敬しながら文明は進歩して行くのかなと思ったりしました。
ともあれ、音楽、衣裳、セット、役者、ストーリー展開と、どれを取っても一流の映画で、極上のエンターティメントを堪能してしまいました。
(「アマデウス」1985年 仙台市 青葉劇場にて初鑑賞)
1823年、冷たい雪が降り積もるウィーンの街。一人の老人が自殺を図り、病院へと運ばれた。老人の名はアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム )。かつて、宮廷作曲家として王の寵愛を受け、音楽家としての尊敬を集めた人物だった。年老いたサリエリを訪ねた若い神父・フォーグラー(リチャード・フランク)は、サリエリに告白を促す。そしてサリエリは、彼が生涯心に持ち続けた、一人の天才作曲家・ヴェルファング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)への複雑な感情を語り始めるのだった。(goo映画より)
1984年/アメリカ/ミロシュ・フォアマン監督作品
評価 ★★★★★
「映画鑑賞の記録」のmiriさんから、ブログDEロードショーのお誘いを受けました。作品の選定は
「ラジオ・ヒッチコック」のロッカリアさんです。ありがとうございました!皆で同時期に同じ映画を観て語り合うという企画ですが、3回連続で遅刻してしまいました(汗)。めげずに、レビューをアップです。
ちょうど「アマデウス」が公開された時期。ポップス界ではファルコの「ロック・ミー・アマデウス」がヒットし、SF小説ではサイバーパンクの旗手ブルース・スターリングがモーツァルトを主人公にした短編SFを発表しました。異なるカルチャーで同時多発的にモーツァルトが取り上げられる不思議な偶然(こういうのを「シンクロニシティ」というそうな。)に当時唸らされた記憶があります。
さて、映画についてです。モーツァルトの天才的才能に嫉妬したサリエリが彼を死に追いやるというのが粗筋。しかし、サリエリの怒りはモーツァルトよりも神に向けられているようです。天才的な音楽の才能というギフトを与えられたモーツァルト。不公平な現実に直面して、神の創造物であるモーツァルトを殺害することで神への復讐を果たそうとする訳ですね。
「ドンジョバンニ」を観て、モーツァルトに覆いかぶさる父親の幻影を見破り、それを利用して彼を死に追いやることを思いつくところが圧巻。モーツァルトに対するサリエリの感情は、憧れと嫉妬がないまぜになったまさにアンビバレント。ここの所をマーリー・エイブラムスが、一見無表情でいながら頬の動き一つで表現するのは、まさに名演の名に値するものだと思います。
下品なモーツァルトのキャラ設定には色々と異論もあるかと思いますが、私としては幻滅する反面、彼もただの人間だったんだなと安心したのも確か。
「レクイエム」の作曲で徐々に憔悴して行くモーツァルト。集団墓地に埋葬される彼は哀れでしたが、その天才も神の目から見れば一瞬の輝きにすぎなかったのかと、私はこの場面で人間の儚さをすごく感じました。
最後に、我々凡庸な人間の守護神になってしまったサリエリには笑うしかないです。しかし、凡庸な人間が彼を天才と認識するからこの世に数々の天才が存在するのであって、認識されなければただの変人です(馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったものです)。ここに凡庸な人間の存在意義があるわけで、こうして天才を畏敬しながら文明は進歩して行くのかなと思ったりしました。
ともあれ、音楽、衣裳、セット、役者、ストーリー展開と、どれを取っても一流の映画で、極上のエンターティメントを堪能してしまいました。
(「アマデウス」1985年 仙台市 青葉劇場にて初鑑賞)
ほんとうにその通りですよね。信心深い彼なら、”神の音楽を生み出すモーツァルトを助ける事が自分の役目”と考える事もできたかもしれない・・・。でも、ときに嫉妬の心に飲まれてしまうのも人間なんですよね。
それを考えるとやるせないです・・・。
凡庸な人間でも、天才でも、紙一重でも、人間の価値は同じだと私は思います。
神の目から見れば同じと・・・。
まぁ簡単に言えば、この世では皆お互いさまなのではないでしょうか?
この映画は、やっぱり神を賛美しているのだろうな~と再び思い始めました。
wancoさんのレビューで気付かせて頂き、感謝です☆
では、いつもの記録にリンクさせて頂きますネ!皆さまの記事も読んで頂けると嬉しいです☆
では、次回も宜しかったらご一緒に~☆
コメント、ありがとうございました。
サリエリの信心深さが逆にモーツァルトへの嫉妬に繋がったのでしょうね。
あんな下品な若者に才能を与えて、私には見向きもしなかった、という具合に。モーツァルトを助ける道もあったかと思うと、彼の選択は残念でした。
コメント、ありがとうございました。
>神の目から見れば同じと
というのは、集団墓地の場面が暗示しているような気がします。亡くなってしまえば皆同じと。
リンクありがとうございました。
次回も参加したいと思います。