仏教て?
2024-03-12 | 日記
3月12日 火曜日 外気温 最低10℃ 最高17℃ いつもの曇り代わり晴れ
久しぶりに仏教 とは
人生皆苦という有名な言葉を教えてくださった方
パーリ語の発音に基づいてゴータマ・シッダッタ
(巴: Gotama Siddhattha) 巴=パーリー語
皆苦なんて聞きたくないという人も多いと思う。
それはそうだ苦はいらね!苦と書くから間違える
「人生は自分の思い通りにならない」と理解すると、これならわかる。「でもな、苦ばかりだけじゃないぜ、楽しいこといっぱいある」
その通り!
楽しく生きる人は苦などサッと解決して
すぐに楽しいほうに歩みを進められる人もいるし
中には悩む人や考えすぎる人は苦しみの中で
のたうちまわっているかもしれない
「楽しい」を作れる人もやがて苦に出会い解決出来ず苦しむ
今のひと時はその人の人生の残った時間の中の
ほんの一瞬でしか過ぎない、一寸先は闇という言葉があるくらいだ
未来は想像できるかもしれないが想定外が多く起きるのも事実である。
例えば89歳まで楽しく元気で過ごせて91歳で
痴呆になれば人生皆楽であろう
苦をポジティブに解決できる知恵の働く、陽気で五体満足な健康体を
持ち合わせていればの話
よく例に例えられるのは 愛別離苦
誰でも別れたくない欲望がある 別れは苦にもつながる
身近なものとして
恋人ができた嬉しい!楽しい! 毎日出来る・・モトイ!
毎日がバラ色!(ピンク?)だと
言っていても慣れれば、飽きが来れば、必ず別れが来てしまう
この時多くの人は苦しむ嘆き罪をも犯す事さえある。
これが楽しいに隠れている苦と教えている
多くのことには大なり小なり長く続いたり短く済んだりは
有るが常に苦は付きまとう。
生きるということは必ず苦が付きまとうという事実
ゴータマ・シッダッタはこう説いている
「苦しみに翻弄されずにひと時ひと時を安穏に生きていきなさい」
少し表現が違うかも
誰もが幸せに生き生きと生きる為の生命の哲学である
仏陀とは「真理、本質、実相を悟った人 」
この仏陀(ゴータマ・シッダッタ)の「今を幸せに生きるために」と
言う教えを仏教という。
仏教=仏の教え=真理、本質、実相を悟った人の教え
死んで浄土に行くのではないのだ。
日本の仏教は鎌倉仏教ともいい天台宗から出て
でた本人なりに解釈したものが多いといわれる
確かに後になるほど訂正が多くなる。
いわゆる葬式仏教とも呼ばれ政治を行う者に上手く
利用されたものが多い気がしてならない。
仏教の歴史をたどれば西の国の影響も受けた”大乗経成立”あたりから
鳩摩羅什の音写を漢訳したあたりは中国動乱期の影響もあった気がする
そして日本に5世紀に罽賓国よりもたらされたとする説
西暦538年(日本書紀では552年)に百済よりもたらされたとする説
宗派により伝来時期や伝来元の地域が異なる
来るまでに仏陀の「誰もが幸せに生き生きと生きる為の生命哲学」は
都合よくその時代の権力に書き替えられてきたのであろう。
唯一、南伝仏教と呼ばれるとこに本来に近い教えがあるという
ここを突き止めていってみたい
遅くなった 寝よう
今日は曇天で風が強いわよ
ジッちゃんたらまた仏壇の供え物買いに行ったし
もうオハギは勘弁して欲しいですわん。