日暮しトンボは日々MUSOUする

青空の煙の下で

ベテランのスタッフによる打ち合わせが終わった後、 帰りがけに新しいケアマネージャーが
私にだけそっと告げた。お母様は介護ネグレクトですね、と。 ネグレクトとは、子供に置き換えると児童虐待という意味に使われるが、介護の場合は無視すること、放棄することの意味で、介護をしない人のことを言う。 介護の放棄にはそれぞれの家庭の事情がある。大体は
金銭的な問題や、介護に困難な身内しかいないなどの要因があるが、ウチの母みたいに、子育てが終わった時点で、夫婦の役目が終わったと思い、旦那の世話までしたくないというケースは結構あるそうだ。 ウチの両親は見合い結婚だから、親同士に無理やり結婚させられたクチなのだろう。 昔好きな人がいたけど、親同士で勝手に決められたと、そんなような話を以前にチラッと母に聞いたことがある。 社宅の団地に入るために、家庭持ちの方が有利だというので、急きょ結婚する人たちが多かったというのは、高度成長期の団地ブームに有りがちな
話だ。 もう一つ、ケアマネージャーが言った言葉が気になっていた。 お母様はひょっとしたら精神疾患に該当するかもしれないので、いちど心療内科に診てもらった方が良いと…    
そのケアマネはあくまで父の担当なので、そう忠告すること以外は何もできない。 病院嫌いの母に心療内科に連れて行くなんて絶対無理な話だ。 だったらなるべく介護のプレッシャーを与えたり、興奮させないようにするのが得策かと思われたので、母の言うことや行動は全て無視、あるいは受け流すことにしていた。 喧嘩をすると父が心配するので、それを避けるためという理由もあった。 それから何年か経って、父は完全に寝たきりになった。 背中にも床ずれができ始めて、背中に500円玉くらいの穴がいくつもでき始めた。そのクレーターのような穴から黄緑色の膿(うみ)がドロドロ流れだすので、それを拭き取って薬を塗ってガーゼで蓋をする。 そんな処置を1日に何回もやるのだ。 時々体の向きを変えてやらないとどんどん床ずれが増えていくので。 そのために私は仕事を断ることが多くなった。 そんな付きっきりの生活が五年くらい続いたかな。 気がついたら仕事の依頼がさっぱり来なくなった。 まぁそれは当然のことだろう。 でもそれで父の世話に集中できたので良かったと思ってる。 
母はというと、相変わらず父の介護には全く関与しない。 私が父のオムツを取り替えてる時も、隣の部屋で「臭い臭い!」と言いながらふすまをピシャリと閉める始末。 私はこの時、
この人(母)が動けなくなっても、絶対介護なんてしてやらないと心に決めた。 

そして介護を始めてから11年目の9月の蒸し暑い夜に、父は永眠した。
享年80歳だった。

母は喪服姿で集まった近所の人たちに、介護の苦労話しを語っている。 何もしなかったくせにいかにも一番苦労したみたいにお茶を注ぎながら堂々と嘘を振舞っている。 近所の人たちはそれを鵜呑みにして、ウンウンわかりますわかります…と、うなづきながら涙ぐんでいる。
私はもう母に対して怒りの感情すら湧かなかった。


斎場の玉砂利の敷いてある庭園のベンチに腰掛け、疲労感を身体中に回しながらボ〜っと
する。 最後の方は結構長いこと入院していたので、入院費とか葬儀代とか、全て支払ったら我が家の財産は一体いくら残るのだろうか…  と、青空にそびえる煙突の煙を見つめながら、そんなことを考えて時間を潰していた。 何にしても、長男としての役目の一つは無事終了したのだ。


親戚の人が呼びに来たので、私は建物の中に入り、父に別れを告げた。



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「家族」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事