子供は大体、5〜6歳くらいまでは、自分の絵にコンプレックスを抱くことなく
のびのびと自由に画を描きます。
しかし、小学校の高学年(9歳から〜10歳)頃から自分の絵を幼稚な絵と判断し、リアルな絵に興味を持ち始めます。 なんとかして現実に近づこうと努力しますが、上手く描けずに、自分の腕に絶望し、最後には絵を上手く描くことを諦めてしまいます。
大人になるにしたがって、言葉や知識、学力が成長していきますが、絵を描くことだけは、その絶望した時点から取り残されてしまうのです。 なぜなら、絵が描けなくても別に困らないから、自分の画力を完成させようとは思わないのです。
大人になっても、中年になっても、老人になっても、描けない人はいつまでたっても幼稚な絵しか描けない。 幼年期の絵を断念した時のままなんです。
漫画という文化が大きく発展した日本は、小さい頃からその環境や周囲は漫画で満ち溢れています。 幼年期にあたって自分の絵に絶望したあと、その絶望感の隙間を埋めるのが漫画なのです。
のびのびと自由に画を描きます。
しかし、小学校の高学年(9歳から〜10歳)頃から自分の絵を幼稚な絵と判断し、リアルな絵に興味を持ち始めます。 なんとかして現実に近づこうと努力しますが、上手く描けずに、自分の腕に絶望し、最後には絵を上手く描くことを諦めてしまいます。
大人になるにしたがって、言葉や知識、学力が成長していきますが、絵を描くことだけは、その絶望した時点から取り残されてしまうのです。 なぜなら、絵が描けなくても別に困らないから、自分の画力を完成させようとは思わないのです。
大人になっても、中年になっても、老人になっても、描けない人はいつまでたっても幼稚な絵しか描けない。 幼年期の絵を断念した時のままなんです。
漫画という文化が大きく発展した日本は、小さい頃からその環境や周囲は漫画で満ち溢れています。 幼年期にあたって自分の絵に絶望したあと、その絶望感の隙間を埋めるのが漫画なのです。
漫画は、面と空間(スペース)で描く絵画と違って、輪郭画の発展系で単純線の記号で描きます。 頭を悩ませていた難しい絵画に比べると、日頃読んでいる漫画やアニメなどから、好みの目や鼻や口を引っ張ってきて、自分流に組み立ていくだけだからとても描き易く感じます。 こうして、リアルで正しい絵を収得する代わりに、カッコイイ絵、かわいい絵、ユーモラスな絵を手に入れ、充実感を満たします。 こうした誤った学習が、その先のステップへ進む障害になるのです。
今の子供の多くは、学校の美術の時間に友達の顔を描いても、どうしても漫画っぽくなってしまう。 見たものを写実的な信号で脳に伝達しているはずなのに、描かれている絵は
なぜか事実とは別物のマンガ絵の余波が残る絵になっている。 マンガ絵からリアリズムへの切り替えがもう出来なくなっているのです。 実はこの時、脳は、モチーフの部品の位置を目でなぞっているだけで、 ここは左目、その隣が右目、左右の目の間の下に位置するのが鼻…というぐあいに位置を確認しているだけなのです。
肝心の鼻のディテールを描き込む時には、実際には鼻を見ずに、自分の記憶言語の中から引っ張り出して描きます。 その記憶されたものが漫画だから、描かれる絵は、どうしても漫画っぽいパーツの絵の集合体になってしまうのです。
それは絵を学ぶという一番大事な時期に、日本の子供は漫画絵を吸収してしまっているから、それが根としてこびり付いているのです。 本物の絵を断念しているので、いくら記憶の回路を探しても、リアルな絵の情報は出て来ない。
★姑娘&百々笑道士
脳の視覚言語の本に、こんなことが書かれている。
人間の脳は右脳と左脳に分かれているのは誰でも知っていると思うが、人は普段、言語的で分析的な左脳で生活をしている。 論理に基づいて結論を導く左脳の機能によって規則正しい常識的なサイクルを産み出す。 それに比べ右脳は、非言語的で物事を認知し、知覚したものを処理する。 比喩的な関係も理解する。 ゆえに曖昧で自由奔放である。
芸術家は、そのほとんどが右脳でものを見ているらしい。 目で見た情報を言語に変換して理解する左脳の偏った常識が、正しいモノの見方の判断を鈍らせていると言うのだ。
リアリズムへの切り替えが出来ないのなら、開き直って、マンガ絵のままでオリジナルの漫画を描けばよいと、お思いでしょうが、それも思うように行きません。いくら自分の絵で描いているつもりでも、ここでもまた 脳は他人の絵を拝借してしまうのです。
脳が他人の絵を拝借する仕組み
たとえばカッコイイ男の子の絵を描いていたとしよう。
切れ長のクールな目が描けた。すらっと高い鼻も描けた。ニヒルな口元も描けた。
ここまでは順調に描けて脳は大変満足しています。描くのがとっても楽しいです。
しかしヘアースタイルが決まりません。 髪の毛の質感は
どうやって描いたらいいのだろう… わからない、どうしよう どうしよう……
だんだん焦り始めてきました。 脳の思考回路がパニックを起こし始めています。
そこで左脳は錯乱した脳の状態をいち早く押さえようと活動を始めます。
今まで見て感じてきた情報の中から、一番条件に合うデータを記憶の中から探します。
いつか見た漫画に出ていた主人公の髪型がカッコよかったナァ… と、その時の
映像を引っ張り出してきて、ヘアースタイルをいつの間にか真似して描いているのです。
よし! 上手く描けた。 それで脳のパニックは収まります。 満足感がえられます。
しかしそれは、人の真似をしたのであってオリジナルではない。そのことに気付き、
自分が絶望しないために、左脳が、いかにも自分で考えたオリジナルの髪型です、と
いう情報に刷り変えて、何事も無かったかのようにしら〜ん顔します。
次からは、カッコイイ髪型を描く時は、この描き方をすると上手く描けるという
データがインプットされているので、もう迷いません。
脳が二度とパニックを起こさないように、代わりの処理情報をいち早く持ってきて、
空いたパズルのピースをはめ込んでゆくような作業を、左脳は行います。
何も見ないで記憶だけを頼りに絵を描こうとすると、自分でも気付かないうちに、
記憶の底からたぐり寄せた他人の絵を 自分のものに変えていきます。
たとえばカッコイイ男の子の絵を描いていたとしよう。
切れ長のクールな目が描けた。すらっと高い鼻も描けた。ニヒルな口元も描けた。
ここまでは順調に描けて脳は大変満足しています。描くのがとっても楽しいです。
しかしヘアースタイルが決まりません。 髪の毛の質感は
どうやって描いたらいいのだろう… わからない、どうしよう どうしよう……
だんだん焦り始めてきました。 脳の思考回路がパニックを起こし始めています。
そこで左脳は錯乱した脳の状態をいち早く押さえようと活動を始めます。
今まで見て感じてきた情報の中から、一番条件に合うデータを記憶の中から探します。
いつか見た漫画に出ていた主人公の髪型がカッコよかったナァ… と、その時の
映像を引っ張り出してきて、ヘアースタイルをいつの間にか真似して描いているのです。
よし! 上手く描けた。 それで脳のパニックは収まります。 満足感がえられます。
しかしそれは、人の真似をしたのであってオリジナルではない。そのことに気付き、
自分が絶望しないために、左脳が、いかにも自分で考えたオリジナルの髪型です、と
いう情報に刷り変えて、何事も無かったかのようにしら〜ん顔します。
次からは、カッコイイ髪型を描く時は、この描き方をすると上手く描けるという
データがインプットされているので、もう迷いません。
脳が二度とパニックを起こさないように、代わりの処理情報をいち早く持ってきて、
空いたパズルのピースをはめ込んでゆくような作業を、左脳は行います。
何も見ないで記憶だけを頼りに絵を描こうとすると、自分でも気付かないうちに、
記憶の底からたぐり寄せた他人の絵を 自分のものに変えていきます。
プロだってどこかで得た情報を無意識に拝借してるからね・・・ 気付きにくいんですよ。。。
俗にオタク絵を描く人は、そのコピーした絵を、さらにデフォルメをして
描こうとします。 人のデフォルメした漫画にデフォルメを加えるので、
デッサンの枠を飛び越えた、たいへん現実離れしたキャラクターが出来上がります。
瞳がやたらでかく強調されたり、足が異様に長かったり、猫耳が生えていたり、(笑)
とても、本物の人間(現実)を見て描いたとは思えませんね。
描けてる 描けてないとか、正しい 正しくないとかの常識の概念が完全に消し飛んでます。
そうした視覚技法を全く無視した、彼らの描く絵には、逆に自信とパワーが
みなぎっている様にも思えます。自分の描く絵に何の疑いも揺るぎも無いのでしょうね。
恐らく右脳全開で思いっきり楽しんで描いているのでしょう。
海外の有名なコミック作家は日本の漫画家と違って、きちんと絵の勉強から入ります。
基本となるデッサンを経過した絵です。だから日本の漫画は、海外のコミック作家にとって
とても驚異に映るのです。 どうしてあんな風に見えるのか(絵が描けるのか)と…
フランスでは日本の「MANGA」がピカソ並の芸術だという人たちもいるくらいです。
マンガ絵は基本的には記号だから、引用しやすい。
あまり 他人の絵のパターンを引用して絵を描いていると、基本から自力で、その絵柄に到達したという実績が無いので、応用が利かなくなります。
では自分だけの記号で構成された絵を描くにはどうしたらよいか。
やはり 本物(現実)の情報を脳にインプットし直さなければなりませんね。
私の場合、最初は見様見真似でマンガのようなモノを描いていたが、仕事がら劇画家のアシスタントで培った技法を取り入れることができた。 つまり空想と現実をうまいこと取り入れることができた。 要するに右脳と左脳の真ん中で描くことになります。 荒技です。 今の若者はそういったフットワークが柔軟で、器用に漫画絵の中にリアルを取り入れてます。 実に巧みです。 現在のアニメ映画の主流になりつつあるCGアニメ(映画)なんかがそうですね。 でもセンスが悪いと「バト○○○ーナ」みたいに酷い結果になる。(苦笑)
★水滸伝のキャラクターから 呼延灼 孫立 藩金蓮
★ドクロとボギー 9割カケアミで描いた
★魔女ケイティ
なんだかんだ御託を並べましたが、要するに素人が個人的に楽しんで描く分なら、下手でも真似でも何でもいいんです。 臆せず描くことが大事です。 描いて楽しいのならそれでオッケー!
参考文献 「脳の右側で描け」「絵を右脳で描く」他書物より 漫画&イラスト お茶枕
★おまけ 日テレで働いてる友人の依頼で、私がデザインした視聴者プレゼント用のテレカです。 88'〜89'放送のニュースデスクの番組内で紹介されました。 当時のメインキャスターは小川邦雄と戸田信子さんです。
当時はまだ色指定だったので、版下のミスで色ヌケが多かった。 小川さんの右耳の肌色が抜けてるんです。 戸田信子さんは2018年に肺がんで亡くなりました。とても可愛らしい方だったのでとても残念です。
80'〜90'年代はいろいろな事をやった。 「スケバン刑事」の脚本家(橋本以蔵監督)の自主映画のポスターを描いたり、ストーリーボードを描いたり、1981年公開の映画「北斎漫画」(緒形拳、田中裕子主演)のエキストラに参加したり。(商人の格好で一瞬だけ映ってます)一番青春していた時期でもある。