日暮しトンボは日々MUSOUする

苦悩の始まり

私の両親への介護生活が終わったのは3年前の春。 
父の介護に12年、父が他界してすぐに母が要介護になり、それから母の介護に約9年。
その介護生活も母が亡くなり、長かった介護生活もようやく終わった。

私は長男なので、親の面倒をみる覚悟はしていたが、これほど大変だとは正直思わなかった。父は後半寝たきりになったが、比較的協力的だったので、あまり苦労したという印象はなかったが、問題は母の方だった。今まで隠れてた厄介な性格が露呈し、連日苦しめられる羽目になるとは思いもよらなかったのだ。

最初に父が倒れたたのは20数年前、母と父がデパートへ買い物に行った時。 地下食品売り場でいきなり父が倒れた。 私はそのことを母からの電話で知り、仕事が終わってから病院へ駆けつけたのだが、倒れたときのすり傷が少しあるくらいで、ベットの中の父はわりと元気そうだった。 自分がどうなったか、全く記憶がないそうで、何かキツネにつままれたようなキョトンとした感じだった。
原因は軽い脳梗塞だということで、わりとすぐに退院できた。 母が言うには、倒れた時、
野次馬がいっぱい寄って来て、もう大変だった…と。 そして母は、お父さんのせいで恥をかいたからもうあそこのデパートには行けない…    そんなことを呟いていた。
その後、父はいつもの生活に戻り、多少食べ物に気を使い始めた程度で数ヶ月がすぎた。 ある日、母からの電話があり、父のことでなんか怒っている。 何を言っても父が、母の言うことをちゃんと聞いてくれないらしく、素っ気ない返事でバカにしているとの内容だった。 様子がちょっと気になったので、父に電話を代わってもらい、少し話してみると明らかにいつもと様子が違う。 何を言っても覇気のない返答。 魂の抜け殻のような抑揚のない言い方。 これはおかしい。 嫌な予感がしたので翌日の朝、実家へ行ってみた。 当時の私のアパートは川崎で、相模原の実家は電車で1時間30分くらいのところにある。 朝10時くらいに実家に着き、台所で洗い物をしている母が、あ、来たの…という顔をして、昨日からず~っとあの調子なのよと、居間でボ~ッと座っている父を顎で示す。 私が父に話しかけても私の方を見ようともせず、ああ… としか言わない。 この反応はやはりおかしい。
脳梗塞の後遺症か… あるいはひょっとして認知症というやつか!  私は急いでタクシーを呼び、近くの総合病院へ父を連れて行った。 すると再度入院することになってしまった。 
医者が言うには血管に毒素が入り、これが脳に回ったら危なかったと言う。 私の判断で
すぐに病院へ連れて行ったのが良かったらしい。 私は母に危ないところだったと言うと、母はまるで他人事のように、ヘェ~そんなことになってたなんてねぇ、私、医者じゃないからわかるわけないじゃん と、まるで責任逃れをするような言い方をした。 私がもし実家に行かなかったらどうなっていただろうか… そのまま放って置かれて、もっと重症になっていたかも知れない、あるいは… 

この頃は、母の緊張感の無さに少し疑問が湧いた程度だった。


コメント一覧

ocyamakura35
コメントありがとうございます。
私の場合は母です。 ほとんどの方は息子にとって母親は良いイメージが
あるようなので、あまり正直に書きたくはないのですが、同じような思いを
されてる方がいれば少しでも励みになればと思い、部分的に暴露します。 
母の日に向けて…
joiner7
20年以上大変でしたね。
私も長男です。
家でも祖母、母とそれはそれは大変でした(´ー`)┌
一人残った父の世話が思い出したくもないほど大変でした。
長男の嫁としてカミさんにはかなり助けてもらいただただ感謝です。
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