夢の続きが始まりました

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。挫折から22年の時を経て夢の続きが始まった。

「 夢の続きが始まりました【第十六章 (全う) 】」

2025-02-13 19:38:39 | 歌手デビュー・挫折・夢の続き

2022/8/18
石川善一51才です。

2000年、歌手デビューが決まった直後、
まさかのレコード会社倒産。
挫折から22年の時を経て、夢の続きが始まった。
オリジナル15曲がアマチュアのまま世界配信。

【大局着眼 小局着手】
……私の好きな言葉です。
【目標は大きくとらえ小さな事からコツコツと】
という意味だそうです。
 
私なんてちっぽけな存在です。
出来る事なんて限られています。
その中でどんな事ができるか考え着手する。
小さな事の積み重ねを惜しまず努力する。
そして壁にぶち当たり、悩み苦しむ。
頑張れない人には壁などなく、悩む事もない。
もしあなたが壁を感じて苦しんでいるなら、
それは努力して頑張っている証拠です。
 
でも…その先に成功があるとは限りません。
ただ全うする事も目標達成なんだと思います。
私は全うする為にコレを書いています。

皆さんも夢や目標を諦めず全うして下さいね。
 
【大局着眼 小局着手】
この額は22年前に歌の取材をしてくれた、
タウンニュースの方が 贈ってくれたモノで、
今でも大切に飾っています。
心が折れそうな時、励まされます。
 
若い頃、頑張って作り、
成功しなかった15曲を、よろしければ聴いてみて下さい。

初恋 
バイクと恋人
母よ
オパール
True blue
誰よりも
まぶしすぎる夏
ウェディングベル
You are shinning bright
ずっと君を守りたい
今だけがあればいい
あの日君と
過ぎたシナリオ
Love each other
僕と娘と天国のママ


「 夢の続きが始まりました【第十章 (アゲイン) 】」

2025-02-10 07:45:00 | 歌手デビュー・挫折・夢の続き

2022/8/7
石川善一51才です。

若い頃、学童保育の先生でした。
私の夢は歌手でしたが子供達との日々は楽しく、
夢と現実の狭間で揺れていました。
8年後デビューが決まり、
頑張ると約束したのにレコード会社が倒産。
あれから22年。
封印していた歌の配信を始めました。
大人になったかつての生徒に届きますように。

初恋
バイクと恋人
母よ
オパール
True blue
誰よりも
まぶしすぎる夏
ウェディングベル
You are shinning bright
ずっと君を守りたい
今だけがあればいい
あの日君と
過ぎたシナリオ
Love each other
僕と娘と天国のママ


「 夢の続きが始まりました【第七章 (分岐点) 】」

2025-02-08 18:31:52 | 歌手デビュー・挫折・夢の続き

2022/8/3
石川善一51才です。

若い頃作ったオリジナル曲が15曲、音楽配信サイトで配信されました。
その中の 【今だけがあればいい】 という曲が私の分岐点でした。
1998年に作りました。

2000年にセンチュリーレコードから発売された、
オムニバスアルバム【心音002】に収録されたのがこの曲です。
【第二章参照 】

あの時シングル発売されていたとしたら…
違う人生だったかもしれません。
 
世の中には何事もスムーズで、願いが叶う人がいます。
遠回りしかできない人もいて、
叶うかどうかも定かでない人がいます。
 
私は後者。
でも遠回りした事で得たモノがあるんです。
仕事でミスした時、日付けが変わるまで一緒に残業してくれた仲間。
夜中にミス(遅れ)を取り返した時、笑い合った事。 
… 人のありがたみ … 恩義 … 友情。 
そして、一人では何もできないという自分の弱さ。
挫折を知る事で、得られた優しさ。
 
そんな様々な経験が新たな人格を形成し
今の私になったのなら遠回りも悪くない。
だからこそ苦労もそこそこの当時ではなく、
今、この曲を発信できて良かった。
 
皆さんはスムーズですか?
遠回りですか?
どちらも、あなたならではの物語であり、
唯一無二の最高の人生だと思います。
 
この曲で勝負するのは22年ぶりで2回目です。
反応が…怖くもあります。
22年前はラジオにリクエストするか
CDを買うしか聞いてもらえるすべがありませんでした。
今は YouTube がある。
想いはFaceBookに発信できる。

この曲は【心音002】の音源ではなく
他の曲同様、自身のオリジナル音源です。


「 夢の続きが始まりました【第二章 (願い) 】」

2025-02-06 16:19:59 | 歌手デビュー・挫折・夢の続き

2022/7/17
石川善一51才です。

2000年10月にタウンニュースの「人物風土記」に取り上げてもらいました。
歌手デビューできるかどうかの記事の内容でした。
その時の記事をまず見てください。

当時私は29歳でした。
記事の中にあるオムニバスアルバム「心音002」は
とっくに廃盤。
売れなかったアルバムですが
タワーレコードと紀伊國屋のネットショップでは
まだ売られているようです。
 
当時このアルバムが発売され、反響のあった曲が
シングル発売される事になっていました。
 
発売元 : センチュリーレコード
販売元 : ポニーキャニオン
 
私と、もう一人が選ばれ、正式デビューの話になり
シングルのカップリング曲を選んでいた矢先
センチュリーレコードが倒産してしまいました。
プロデューサーやスタッフも何も知らなくて…。
私も一緒に弁護士会に行って相談しましたが…。
………………………………  
その後は応援してくれていた友人に声をかけ
本厚木駅、近辺にあったライブハウス「FUZZY」に出演し、
仲間内で盛り上がるイベントをしていました。
中学生、高校生に成長した学童時代の生徒も、
保護者と一緒に来てくれました。
半分、同窓会です。
 
しかしライブハウス「FUZZY」が閉店した2003年10月を最後に
新曲も作らなくなりました。
その時私は33歳です。
 
それまで作ったオリジナル曲は20曲ほど。
作詞、作曲、編曲、歌、レコーディングを
シンセサイザーを使い全て一人で製作し、
自宅でレコーディングをしたもので、当時はMDに保存していました。
著作権はレコード会社にも渡していません。
 
デビューの為に仕事を辞め、歌の夢もやぶれ
派遣社員になり、這いあがれないまま22年がたちました。
 
派遣で転々とする中、研究が好きな友人と出会い
MDに保存したオリジナル曲はCDに変換してもらえました。
その時わたしは37歳でした。
 
派遣社員として生活していくだけで精一杯。
中年になって夢を語ってる場合でもなく…
ただ若い頃、懸命に作った楽曲がCDとして手元にある。
それだけでどんなに嬉しかった事か。
CDの表紙を作り、100均でCDケースを購入し
友人たちに自分のCDを配りました。
それで私の音楽人生は完結できたのです。
 
20歳で買いそろえたシンセサイザーは劣化し使えなくなりましたが
10年以上捨てられずオブジェに…。
今はもうふっきれ廃棄してから数年がたちます。
 
でも…音楽人生完結したはずなのに…
やはり一人でも多くの人に聴いてもらいたい。
情熱を持って作った楽曲たちは我が子のようなモノ。
自己満足になりさがってしまったオリジナル曲たちを
不憫に思う時もあります。
でももう芸能界を目指す熱意もなくなっているのです。
………………………………
現在51歳。
ひょんな事から…私の曲を審査してくれる会社と出会い、
結果、 配信を請け負ってくれる事になりました。

まずは5曲。
①初恋 ②バイクと恋人 ③母よ オパール ⑤True blue
 
実際に音楽配信サイトで配信されている事を確認できました。
各サイトで200円。
購入されれば、それは私の利益になりますが…お金ではないのです。
我が子のような楽曲たちが誰かに届く。
それが嬉しいのです。
自宅に埋もれていたオリジナル曲が世界のどこかで聴いてもらえる。
私自身ではなく曲が評価してもらえる。
 ………………………………
YouTubeでの再生回数 →
→ スポンサーからの利益は請負会社に入ると思われます。
それでもYouTubeを見てほしい。
 聴いてもらう事が私の夢。
22年を経て夢の続きが始まりました。
 
ただ … 石川善一 … 誰も知りません。
検索すればヒットするのに…
私の夢を手伝ってもらえませんか。
 
学童保育の先生をやっていた時の生徒(小学生)は
現在29歳~43歳になっています (2022年現在)
学童保育は8年務め、関わった生徒は500~600人。
あのとき 「先生は歌を頑張るよ」 と言った約束を果たすには
知ってもらう事が必要なのです。

(配信先の詳細は【第一章】参照してください)