昨日の反省を活かして、今日はお出かけしようと思いましたが、なかなかオシッコが出ないので
仕方なく、かっちゃんの足で歩いて2分くらいの我が妹のところへ
外をかっちゃんと二人だけでシルバーカーも押さず歩くのは勇気が要ります
やっとの思いで到着したけど、やっぱりオシッコは出ず
今日の外出は断念(^_^;)
よっさんとかっちゃんの話がどこまでだったか???
デイサービスに通い始めたよっさんは『冗談を言って笑う』という家族が見たこともない人になっていました
肝臓の異変からか、全身痒みがあり、ベッドの上は皮膚がはがれ白い粉だらけ
一番の悩みは痒みだったのではないかと・・・
そのことも忘れて気持ちよくお風呂に入らせてもらったり
畑までドライブに行って採りたてのトマトを食べさせてもらったり
楽しかったようです
ゆっくり休む時間をとってもらいながら楽しく過ごしていたのだと思います
ほんの2か月の間、13回の利用でしたが・・・
よっさんは、かっちゃんの事を最後まで「くそばばあ」「うるさい」って言っていました
アルツハイマー型認知症の自分でも忘れる事がつらかった時期に、家族からは優しい言葉もなく
なのに、痒いからと、かっちゃんに背中を掻いてもらったり
私が買い物に出ている間に、よっさんがトイレに行きたいとかっちゃんに連れて行ってもらっていたこともありました
トイレで困惑しているかっちゃんを見て驚きました
あの頃の、かっちゃんは元気だったので「お父ちゃんがトイレ行きたいって言うから」って頑張っていました
判断がつかない、二人を残して買い物に出かけたら、こんなことになるんだと思いました"(-""-)"
かっちゃんがデイサービスに行っている間に、車椅子を積んで、よっさんとよく買い物に出かけてはいたのですが、出先で嘔吐したこともありました
よっさんは、再び食べる事がしんどくなりました
暑くなってきて、雨も多い夏でした
痙攣のような震えが何度もありました
自分でも怖くなってきて『死』を意識してよく泣いていました
内臓の出血からタール便という真っ黒な便が出るようになり
事が起きるたびに自宅でいいのかと考えました
昼夜問わず、いろんなことを言うし、便意も尿意もあったので頻繁に呼ばれました
夜中、10分おきに、オシッコの時もありました
横で寝ている私には云わずコールボタンを押して2階から他の家族が下りてくることもしばしば
その頃の体重は30キロ少しになっていました
でも何故か、お風呂が好きで、デイサービスで入ってきても家でも入る
体力がいるのになぁって思いましたが、亡くなる前々日までお風呂に入りました
褥瘡も出来ずきれいな身体だったのでお風呂のおかげかな
そして、さすがにトイレに座る事はできなくなっていましたが、最後のおしっこもうんこも声に出して「とって欲しい」と言いました
へんなじいちゃんで困らせられましたが、やる時はやるやん(#^^#)
少し、はしょって最期を書きました
死ぬ前の体重は26㎏でした
昼間は私一人だったので、一度息が止まったのですが何とか戻り、夜に家族が帰ってから息を引き取りました
自宅で看取る事は大変だったのかどうかわかりませんが
みんな事情が違うから出来る事を、思うことを・・・
よっさんの事は、又思い出したら書きますがとりあえずは、最期までかけました
読んでいただいた方に感謝します
そして、よっさんやかっちゃんのようなご家族と過ごしている方々
みんな、しんどくてしんどくて辛くなりませんように
私もまだまだ、真っ最中
アドバイスもサポートも要らない、聴いてくれるだけでいいっていう人もいました
アドバイスやサポートは勿論、聴いてくれる人も必要だと思います
長くて先が見えないから
横山なをみ