下記は沖縄郷土誌「青い海」1975年10月号 川満信一さんの論評
例えば『根間の主のあやぐ』は、つぎのようにうたう。
大洋に出でいす ばなんな
航中行きす ばなんな
雨がまぬ 降すばず
風がまぬ 吹きすばず
雨がまや 吾が涙
風がまや 吾が息
ここでは、波荒い沖を航海している夫が事象、雨、風に心情を託し、わたしの内面がどうあるかは直接うたわれることがない。人頭税によって、機織りを織る娘のうたも、また番所の役人から、横恋慕された人妻のうた『石嶺のあこう木』も、いずれの『あやぐ』を例にとっても、発想の仕方は同じであり、叙情と抒事が未分化なままでうたわれている。
なぜ、宮古では八重山や沖縄のように、個の情念に沈潜していく発想が発展しなかったのか。
(省略)
いずれにせよ琉球弧の各島々は、それぞれの個性に溢れた文化を持っているが、それらの個性は、基層において「おおらかさ」という南島文化の共通項を持ち、さらに言語の祖型的な共通性によって、日本文化圏に外延を広げる。そしてまた、南へ目を向ければ台湾、南中国、東南アジアへと連続する。
文化の個性で、差別、被差別、優位、劣等などあり得ないし、異質集団間の接触体験の欠如を克服する開かれた社会への条件は、ますます整ってきているのだから、乾きの思想に鍛えられた宮古人の進取性「アララガマ精神」を農民闘争の歴史的遺産によって、さらに前進させ、新たな社会創造の可能性を切り拓かねばならない。乾きから豊饒への歴史的願望を達成し、共生の世界を実現することが、宮古島の原思想を活かす道だと考える。
乾きの思想に鍛えられた進取性の島。
2018年始動。