ほらふきにっき

発作的な日記です

各地に勧請された荒澤(荒沢)不動尊 備忘録

2021-03-27 | つれづれ
羽黒山の奥之院とされる荒澤寺の荒澤不動尊(荒沢不動尊)は各地に勧請されている。
三山開山能除聖者(蜂子皇子)が羽黒山中の荒澤の地において護摩の法を授かったお不動様として、古くから羽黒山の修験者が信仰するお不動様=荒澤不動として大切にお祀りされる。
そのため非常に力のあるお不動様として羽黒山に縁のある地域、遠くは関東各地においても御堂、祠、石碑等様々な形で現在も残されている。

今回は荒澤不動として調べてみたが、荒澤不動という名前であってももともと荒沢という地名は各地にあり、羽黒山とは全く関係しないお不動様もあること。
それよりも歴史の中で荒澤不動であること自体が忘れ去られてしまった、また都合上消去されてしまったお不動様もあると思われる。
江戸時代にあっては水戸藩の祈祷系寺院の排斥、明治時代では廃仏毀釈、関東大震災、太平洋戦争、高度成長による都市化の急激な変化等々、様々な要因がある。

おそらく羽黒山に関わりがあるのではないかと思われるものについてその規模に拘らず備忘録として記載。
まだまだかなりの数があると思いますので情報がありましたらお教えいただければ幸いです。


〇日光裏見の滝の荒澤不動
(栃木県日光市日光)
https://goo.gl/maps/6QdMnXEEzkdtLkVk7
https://opac.city.nikko.lg.jp/nikko/manage/contents/upload/00003_20110309_4166.pdf
http://nikko.4-seasons.jp/festival/function_detail.shtml?0:45
「寛永元年(1624年)奥州の出羽三山から荒沢不動尊が迎えられ、名僧天海の命によってこの滝のところに安置
されました。」看板より

〇東河内町 荒澤不動
(茨城県日立市東河内町荒沢1030番地)
出羽三山を勧請した御岩山参詣に向かうかつての道中に位置する。
御岩山は常陸国の出羽三山信仰の中心地であることから出羽の荒澤不動が勧請された可能性が高い。
旧入四間道という峠道の中腹、崖地にある模様。登山装備が必要。詳細不明

〇飯坂町平野 荒澤不動尊
(福島県福島市飯坂町高石仏1−1)
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荒沢不動尊

寺院・礼拝所 · 飯坂町高石仏1−1

荒沢不動尊

 


近くの教法院(天台宗・信達三十三観音13番)が別当となっている模様。旧修験のお寺のため、羽黒派であった可能性が高い。
https://goo.gl/maps/ihqd6zwqS9qB9zKj8


〇荒沢不動尊
(埼玉県新座市馬場2-12)
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荒沢不動堂(馬場2丁目)

★★★★★ · 寺院・礼拝所 · 馬場2丁目12

荒沢不動堂(馬場2丁目)

 

https://www.city.niiza.lg.jp/site/niiza-kenbunroku/bunkazai-kenbun016.html
「にいざ見聞録(第16回 屋根がけを嫌う不動さま)「荒沢(あらさわ)のお不動さま」で知られる荒沢不動堂(あらさわふどうどう)の建つあたりは、かつては畑中にある東福寺の「奥の院」の跡です。 不動堂の本尊は、高さ2メートル余りの石造の不動明王立像(ふどうみょうおうりつぞう)で、江戸時代の延宝2年(1674年)に造立されました。 刻文には「水火持戒行者(じかいぎょうじゃ) 長性院久海(ちょうしょういんきゅうかい) 干時(ときに)廷宝二甲寅二月二十七日敬白」とあり、今から325年前に行者久海によって建てられたことが判ります。矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制咤迦童子(せいたかどうじ)を従えて、火焔(かえん)のなかを左手に羂索(けんじゃく)、右手に宝剣(ほうけん)を持ち、正面を見据えて立っています。
 この不動尊については不思議な言い伝えがあります。 村人がいままでに何度か、不動さまに屋根をかけてその中に祠(まつ)ろうとしましたが、そのたびに屋根が火災で焼けてしまいました。人々は「これはどうやら、修行中の不動さまだから屋根がけの下には入りたがらないのだろう」と思い、それからは屋根をかけるのをやめたそうです。 荒沢不動尊のもつ寡囲気は、霊験を感じるのに十分です。」新座市HPにいざ見聞録より

水火持戒行者、長性院久海という「海号」の付く行者であることから羽黒山の中でも湯殿行を行う荒澤寺系統の行人であった可能性が高い。
現地は護摩堂を前にして屋外で樹木を笠にするように大きなお不動さんが立っている。



〇赤羽根荒沢不動尊 荒沢不動堂
(埼玉県さいたま市西区指扇2501−25)
https://www.city.saitama.jp/nishi/001/003/001/p006338_d/fil/bunkazai_guide.pdf
「赤羽根の台地の先端部に建てられた不動堂に安置され、現在、周辺地域の21軒で講を結んでいます。正面の急な石段のほか、ゆるい女坂の二つの参道があります。江戸時代に奥州出羽山から行者によって勧請(かんじょう)されたものと考えられます。赤羽根の荒沢不動石仏は、舟形の光背に右手に剣、左手に羂索(けんさく)を持つ普通の姿を浮き彫りとしています。光背の上部に滝を、下部に波形を、さらに台石に向かい合った犬を表しています。出羽山荒沢の様子を表しているものとみられ、信仰の伝播(でんぱ)が考えられます。総高167㎝。」さいたま市西区文化財ガイドブックより
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荒沢不動尊(西区指扇)

★★★☆☆ · 仏教寺院 · 指扇2501−25

荒沢不動尊(西区指扇)

 


指扇駅の北側を線路沿いに行き線路を渡って旧道を行くと、すぐ近くに指扇氷川神社という少し大きな神社がある。かつてこの神社の別当をしていた神宮寺が管理していたという。小山状になった上にお堂がある。お堂にお知らせの貼紙があり、夏冬8/28、2/28に縁日をやっていたが、令和2年から8/28は諸般の事情により中止という貼紙がしてあった。


ここから少し離れたところにもう一つの荒澤不動堂がある模様。こちらは詳細不詳。
荒澤不動尊(西区指扇)


〇浅草寺 荒澤不動堂
(場所不明)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/socialstudies/1978/41/1978_1/_pdf/-char/ja
かつて浅草寺境内にあったとされる。
『浅草寺志』に収められている「金竜山浅草寺荒沢堂不動尊略縁起」によると慈覚大師の御作、下野国日光山の荒沢において慈覚大師がまみえたお不動様をうつしたとされている。
「寺社書上」にも荒澤不動が慈覚大師御作とある。
日光の荒沢不動は羽黒山から江戸時代に勧請されたものでありそれから裏見の滝のある沢は荒沢とされたため、慈覚大師との整合性がなくなってくるが、ミステリアスなものはミステリアスなままでいいと思う。羽黒山から日光を経由して来られた荒澤不動尊として考えてもよいのだろうか。

〇十条荒澤不動尊
(東京都北区中十条3-35-26)
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荒沢不動

★★★★☆ · 寺院・礼拝所 · 中十条3丁目35−26

荒沢不動

 

http://hotyuweb.starfree.jp/yudono/kitaku/kitaku.html#%E8%8D%92%E6%B2%A2%E4%B8%8D%E5%8B%95%E5%B0%8A
「荒澤不動由緒 往昔此の地疫病が流行医術が現代の如く発達せざりし当時にあってなすべき術なく村民の伝染病による苦難は容易でなかりきここに出羽の国羽黒山中の荒澤不動は霊験ありというこれによって住民十条にこれを勧請せりと。特に四月十五日を卜して「祈祷」するとし村田一斉に農事を休み「ボンゼン」を作り村人池にて「水ごり」をとりホラの貝を吹き鳴らし厄病災難より悪魔払いに全村を巡廻せる行事年々行われ近年に到れる。しかるに急激なる都市の発展に伴い不動様の敷地ならびに池は鉄道線路敷地と化せしにより馬坂の下の現在平和橋となりたる旧地より西音寺境内の当地に移転安置する。」看板より

現在もかつての十条村の方々により大切にお祀りされている。西音寺様によるとかつては羽黒講と呼ばれていた模様。4月15日は全村農事を休み、祭礼を行いこの日をさかいにして田植え作業の始まりとされたという。近隣では法幢院の三山碑などもあり、かつて王子のあたりに出羽三山系統の修験が居たようで関連があった可能性もあるという。

〇徳丸出羽三山神社の荒澤不動石碑
(板橋区徳丸6-34-3徳丸北野神社)
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徳丸出羽三山神社

神社 · 徳丸6丁目29−11 徳丸グループ

徳丸出羽三山神社

 

http://hotyuweb.starfree.jp/yudono/itabashi/itabashi.html#%E5%BE%B3%E4%B8%B8%E5%87%BA%E7%BE%BD%E4%B8%89%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
こちらのサイトを拝見すると「荒澤不動明王」と刻まれた石碑と「常火不動」と荒澤不動の版木と同じ御姿が刻まれた石碑がある様子。常火不動は荒澤寺常火堂を指すので間違いなく羽黒山のお不動様であろう。
徳丸出羽三山神社は4月8日が例祭の模様。
すでに現地では祭礼が八日である意味が忘れ去られている可能性もあるが、八日は湯殿山大権現(大日如来)の縁日のため、その日にちはかつての湯殿山を中心としていた出羽三山信仰の古い形が残されている。足立三丁目と辰沼に梵天祭りも4月8日とされていることから、意外にもかつての祭礼の日にちまでは変更されなかったのかもしれない。
https://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/chiikibunka/hakubutsukan/manabu-bondenmatsuri.html


〇杉山神社
(横浜市港北区樽町4-10)
http://www.komainu.org/kanagawa/yokohamasi/kouhokuku/SugiyamaTaru/sugiyama.html
「杉山社、字大下にあり石階十二級を設く、本地荒沢不動を神体とす、例祭は年々8月2日、隣村師岡村法華寺の進退する所なり、社内に棟札あり、其中に応永年中鰐口を鋳す事を記す、この鰐口は故あって昔村民の方へあづけ置きしと言伝ふるのみにて今は在所さだかならず、かかる古きものありしなれば、定て古きものなるべけれど社伝も見へず、且つ石碑に残ることさへなければ今よりはただし難し云々」新編武蔵風土記稿より
詳細については不明。

〇荒沢不動尊
(神奈川県横浜市中区根岸町3丁目156白滝不動尊)
白滝不動尊 (横浜市) - Wikipedia
根岸の滝「不動滝」の水源はどこ!? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
白滝不動尊の御堂の中に併せて荒沢不動尊がお祀りされている模様。詳細については不明。

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