らんまりのラクガキ。。。 初めて遊びに来てくれた方は コチラ→☆click☆ “帝王切開だった自分を反省し 生まれた子供を 全身全霊をかけて守りましょう。 障害の子どもも同じです。 障害の子どもさんが 生まれるというのは いかに産む前妊娠前に 両親が食と生活が乱れているかの証。 それは一生をかけて 反省しなければなりません。 それを抱えてその子を一生 守り続けることが 真の親に課せられた試練なのです♪” ある医師が書いた文章。 ほかにも “反省しているふりをして 正当化しているだけの自分の醜さを 思い知るがいい。 どうしようもない嘘つき。 子どもを生む資格ねぇ。” “福祉の無駄遣い” “自分の食生活が悪くて 子どもを病気にさせたのに 被害者ぶって この子の病気を治せ 医学を進歩させろとせっつく” “もし本当に反省できる親がいるとしたら
決して障害を認めるとか
個性であるとか
正当化を繰り返したりとか
言い訳をしたりとか
障害は個性であるという
業界がふりまいた嘘など見抜き
決してそんなことは言わない”
“障害をもって生きていくことを
美学にするな”
というニュアンスの言葉の数々…
思想は自由だとは思う。
ここで言う“正当化”とは
おそらく
“障害児は神様が
育てられると判断した
しっかりした両親にだけ与えた天使”
的な言葉を指しているのだろう。
この医師の思想に
賛成の人の
“障害児の親は加害者なのに
被害者面をして
献身的に健気に
障害児を支え頑張っている親ぶるな”
という意見や
反対にこの医師を批判している人たちの
“自分の子どもが障害をもっていても
同じことが言えるのか”
“他人の気持ちがわからない
障害者以下のクズ”
“障害児に人生ぶっこわされるのは
当の親なのに…
(そんなことを言ったらかわいそう)”
私はこの医師の思想に
違和感を覚えるだけでなく
全ての人ではないが
周りの一部の意見にも
違和感というより嫌悪感というか
全てにおいて的を得ていないというか
ベクトルが異次元というか…
この件を通して
私が感じたこと。
ー無知が引き寄せた悲劇ー
この医師も
医師に賛同している人たちも
一見障害を持つ者の擁護を
してくれているように見える人たちも
現実を知らなすぎる。
現実を知らなすぎる者たちの間で
繰り広げられている
机上の空論にすぎない。
取るに足らない問題のように感じる。
まず
“障害児は
神様が育てられると判断した
しっかりした両親にだけ与えた天使”
的な障害児を持つ親の
自己正当化という点。
私は旺ちゃんが
心疾患を持っていると 胎児診断された後 全ては笑顔のために。など こういう系の本を何冊か読んだ。 “ママが大好きだから ママを選んだんだよ” というニュアンスの言葉は よくでてくる。 障害児の親に 突然任命された
精神状態の中で目にした
この言葉たちに
心が救われたのは事実。
だけど
ちゃんとわかってるんだよ。
この本が
母親、父親の気持ちを想って
作られた本だということを。
私たちだってばかじゃない。
わかっている上で
救われているんだよ。
その言葉たちに救われて
何が悪い。
我が子を守れるように
強くならなきゃ
この子が不安にならないように
しっかりしなきゃと
自分に鞭を打って
何がいけない。
自分の心すら
コントロールできぬままに
急いで“障害児の親”に
ならないといけない。
闘い方もわからぬまま
戦場に放り込まれ
我が子を失うかもしれない恐怖に
真っ向から立ち向かわなければ
ならないのだから。
それが例え
自分の責任であったとしても…
そんな状況で
お涙頂戴しようとか
考える余裕があるはずもなく…
そんなしたたかさを
持ち合わせていたら
「闘っているのは我が子なのに
泣いている場合じゃない」
と自分の無力さに嘆いたりしない。
“子どもを生む資格ねぇ”と言う前に
そんな現場も知らずに
“障害は個性だなど
障害をもって生きていくことを
美学にするな”なんて
言う資格はない。
だいたいその“美学”とやらの
現実を知らないでしょうが。
それに何?美学って。
私たちだって
できれば避けて通りたい道よ。
こうなってくるとまるで 『健常者』vs『障害者』 の図に成りかねないが 襟を正す。に書いたように 誰かを想うことに 『健常者』も『障害者』もない。 相手は人だ。 実際のところ 障害の原因は明確にわかっていない。 「だから自分を責めないでください」 という言葉は適切だろう。 だけど少なからず 特に母親は自分を責めるもの。 私も旺ちゃんに 「ちゃんと生んであげれなくてごめん」 幾度となく思ってきた。 この気持ちはおそらく消えない。 だけど
ごめんねと言われ続ける子どもは 果たして幸せなのか。 私たちはその場所に立ち止まって 謝り続ける程 いい意味で暇じゃない。 幸せなことに 病気に屈することなく 自ら未来を掴み取るように 子どもは成長していくのだから。 それに子どもも 謝り続けられる程 退屈な時間を共有しようだなんて 望んでいないのではないか。 少なくとも私は 旺ちゃんを見ていてそう感じている。 それにこれもまたわかっている。 強がり。に書いた通り。 「原因不明」という言葉に 黙って甘えておけないものが 母親なんだから。 「そっか! 旺ちゃんは私たちが
しっかりしてるから
病気をもって私たちのところに
きてくれたのねー!」
「この子なら病気と闘えるって
神様に選ばれたのねー!」
なんて
そんな生ぬるい世界で
ウキウキしてるわけがないでしょうが。 正しい決断。に “「健康に産んであげれなくてごめんね」 と自分を責め続けている人がいたら 自分を責めるということは それだけその子を愛してる証拠だと 私は思う。 その子が生まれてきた意味。 きっと愛されるために 生まれてきたんだよ。 人一倍愛されている。 意味はある。 自分を責めるあまり 本当にこの子を産んでよかったのかと 悩んでいるママもいるかもしれない。 でもそれは
親の身勝手なうぬぼれ” とまで言い切ったんだから! 何も知らない人から “一生かけて反省しろ” なんて言われる必要が無いほど 私たちは子どもの病気との 壮絶な闘いの中で現実の世界で 見い出した今がある。 到底その人たちには知り得ない 幸福を手にして 笑顔で生きている。
この旺ちゃんの表情。 私が自分を正当化して わざとっぽく作り笑いをしながら 被害者ぶってこの子を育てていると 思いますか? 花の名。に書いたように 私は長い入院中幾度となく 誰にも心配かけまいと 夜身をひそめ声を殺し 体を震わせながら泣いている 母親をたくさん見てきた。 その姿を見ても尚 被害者ぶっていると思いますか? 昔なら無い命。 現代の医学のおかげで 繋ぎとめることのできた 旺ちゃんが受けてきた手術費、薬代は 福祉の無駄遣いですか? 旺ちゃんが側にいてくれる幸せを 知っている私の人生は 障害をもった旺ちゃんに ぶっ壊されていると思いますか?
“子どもを一生守り続けていくことが 真の親に課せられた試練” …これって
障害児の親に限った話じゃ
ないでしょうが。
これは子どもを産んだ
全ての親に課せられた
試練ではなく責任。
私はそう思う。
思想は自由ですけど
知らないというのは
なんとも不憫だ。
“自分の子どもが障害をもっていても
同じことが言えるのか”
とその医師を批判する人の意見を読んで
あくまでも私の勝手な予想だけど
おそらく同じことを
言ってしまえるんじゃないかな。 子どもを受け入れることが 難しいんじゃないかな。 だからその医師の子どもが 障害児でなくてよかったと 余計なお世話にも程があるが 勝手に安心する程。 もうここまできたら 生涯この思想を貫いて戴きたい。 その医師の言葉を借りるなら 途中で思想をかえて 反省しているふりをして 正当化しているだけの 自分の醜さを思い知られるのも 癪なので。 とは言え 食生活が子どもの体に悪影響を 及ぼす可能性はあると思う。 食生活を見直すいいきっかけには なれたのかもしれない。 それから 確かに障害児の親だったり 周囲の人の中に 「この子のせいで 私たちの人生めちゃくちゃだ」 と思っている人がいるかもしれない。 そういう人たちにとっては いい薬になる意見だったのかもしれない。 ってだけのこと。 これだけは譲れないと思うことは 私たち障害児の親は 被害者ぶって 医学の進歩を願っているのではない。 ただこの子たちの笑顔を 見続けたいだけ。 側にいてもらいたいだけ。
こんな単純なことを 加害者である障害児の親が被害者ぶって 子どもの病気を治せ 医学を進歩させろ とせっついているように その医師が感じているとするのであれば それこそが 無知が引き寄せた悲劇にほかならない。 それだけのこと。 取るに足らない事柄に いちいち心を痛め耳を傾ける価値を 私は見出せないでいる。
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