毎日毎日
旺ちゃんは頑張っている。
旺ちゃんが頑張らない日がないのと同じように
私は強がらない日なんてない。
正直。。。
強がっている自分がみじめに感じるときがある。
「この子なら病気と戦えるって神様に選ばれた子」とか
「右手に運を持って、左手に強さを持って生まれた子」とか
「ハードルの高い人生を選んでくる選ばれた子」とか。
そして
「子どもは空から見てて両親を選んでお腹に宿る」とか。
私は強くない。
強くないから強がる。
弱くなると
心が崩れると
すべての言葉が信じられなくなる。
子どもが空から親を選ぶ?
赤ちゃんがほしいと切に願う夫婦のもとを選ばずに
殺されるとわかっていて
産まれたらすぐゴミ箱に自分を捨てる親を
その子は自ら選んだっていうの?
本当に「運」を持っていたら
こんな何万分の一なんかにあたるはずないじゃん!
健康だったらこんなに旺ちゃんは苦しまずにすんだのに!
健康だったら 健康だったら…
私が健康に産んであげてたら。
旺ちゃんの病気は運命としかいいようがなくても
誰が悪いわけじゃなくても
結局最後に辿りつくのは自分で
自分を責める。
「原因不明」という言葉に
黙って甘えておけないのが母親なのだろうか。
自ら原因を探してしまうものなのだ。
あの時深く考えずに飲んだ薬が悪さしたんじゃないだろうか。
薬が原因じゃないとわかっても
ほかの人は影響しなくてもわたしの体質上悪さをしたんじゃないだろうか。
食事の摂り方がわるかったんじゃないだろうか。
まだ独身の頃かわり映えのしない毎日に
「あーあーつまんないなーなんかいいことないかな。」
とか思っていたから
『当たり前なことがどんなに幸せか』ということを
旺ちゃんは命をかけて教えようと
病気を持って生まれる覚悟を決めたんじゃないか…
のように。
自分の心が満たされないと感じ
暇を持て余すかのように意味もない言葉を交わし
心の隙間を埋めようとしていた昔の自分が空っぽに感じる。
たまたまみつけた西本敏昭さんの言葉たちに
みじめだと感じ時々冷たくなっていく心が溶かされてゆく。
旺ちゃんに教えてもらった感情が言葉になっていた。
西本敏昭さんは
「人は自分の言葉と必ず出逢うようになっている。」という。
だったら強がることはみじめなことじゃない。
それにその「強がり」に救われている。
そしてその「強がり」は事実だ。
旺ちゃんが心臓病だったから
ささやかな喜びが幸せだと感じるようになった。
当たり前だと思っていたことが幸せだったと気づけた。
旺ちゃんが心臓病じゃなかったら絶対に出逢えていない
素敵な人たちに出逢えた。
そして人の優しさに触れない日はないと心から感謝した。
普通に生きる以上に「生と死」のすぐ真横にいることで
「命」を感じて生きている。
小さな子どもの元気な姿を見るだけで泣いてしまいそうになる程
命の奇跡を感じて生きている。
私はココで元気になっていく子どもを1年以上みてきた。
その中で懸命に戦い
誰よりも愛してくれた親の目の前で
子どもとの思い出はまだ片手程しか作ることができていない親の目の前で
亡くなる子どももみてきた。
その子たちはきっと胸を張って
「生きた」と言えるだろう。
生きることに一切の妥協を感じさせなかった。
片手に詰め込んだ温かい思い出は消えることはない。
いつも私は思う。
どれだけ生きたかじゃない。
どんな風に生きたかだと。
目一杯強がろうと思う。
西本敏昭さんの詩の中で一番目に止まったものを
このブログで紹介させて下さい。
『あなたがつまらないと思っている今日は
だれかがどうしても生きたかった一日かもしれない
今日はかけがえのない一日だよ』
強がり。
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