1990年代にJ-POPが輝く前、1980年代、全米ヒット曲がまだ魅力を放っていた頃、自分はこの系統はあまり聴かなかったのだけど、でもこのぐらいは知ってる。
これは好きだった。
いろいろ感じる年の始まり、日本、ジャンプ!!
・Van Halen - Jump。
・Bon Jovi - Livin' On A Prayer。
これは好きだった。
いろいろ感じる年の始まり、日本、ジャンプ!!
・Van Halen - Jump。
・Bon Jovi - Livin' On A Prayer。
これはテレビを通してではなく実感として。
2014年に新しい予感を感じた一方で、2013年の数年くらい前から思うようになったのが、駅とか店とかビルとか繁華街の通りとか、公共の場に監視カメラが付いていますよね。あれ、主要ダーミナル駅の半径3km以内、すべての駅の半径1km以内について、つまり用事があって必ず通る場所、特に用が無くてもふらっと日曜ぶらり旅ででも訪れる可能性がある範囲について、くまなく死角なく途切れることなく高精細のものを設置してくれないかなあ、ということ。というのも、いつの頃からか、公共の場で、ただ歩いているだけで、あるいはただ居るだけで、こそっと何かされることが増えてきたような気がするからです。
もし、抗議した結果相手が居直って言い合いやトラブルになってしまったとき、公の組織に相談したら、どこで起こったのですか?何時何分ごろ何丁目何番地何通りですね?じゃあ何番カメラですね、といって淡々と、何が起こったのか、競馬の僅差判定のように、両者主張することなく、粛々と映像を再生して事実を確認できるようになって欲しい。事実を確認したうえで、こちらの行動は不可抗力なのか、正当防衛なのか、過剰防衛なのか、という議論は起こるかもしれません。でも、そもそも何が起きたのか、誰が何をしたから何が起こったのか、誰が何をしなければ何も起こらなかったのか、その「事実の部分」を「決める」のに、がなったりわめいたりした方の「主張」が通るのでは、疲れ万倍だから。疲れるだけでなく、事実同定(!?)から偏見や固定観念を取り除く(FLIGHT #03 緊急着陸※)という意味では、もしかしたら、「不正」と「正」を分けるとっても大事なことかもしれないですね。あるいはもしかしたら、当たり屋のように、故意の詐欺じみた行為もあるかもしれません。故意はあるような気がするなあ。そうなると、もう犯罪から身を守る体です。
もっというと、タクシーなんかが最近付けるようになったドライブレコーダーというのがありますよね(最近は、車室内を撮るカメラを取り付けてある場合も多い)。あれの人版が出来て広まらないかなあ、と思うこともあります。あれがあれば、人に割り込まれてぶつかってしまったときなど、いや、あなたのその無理な割り込みでは仕方ないでしょう、とか、本来不要なはずだった無駄なエネルギーを費やして主張することなどなく、「何があったのか」「事実」を共有できます。ウォーキングレコーダー(!?)などというとエッ?とも思うけど、でも、初めてペットボトルで水を売っているのを見たときは、水って、店で買うもの?とびっくりしたけど、いまや銘柄選びを楽しんでいます。初めて「セコムしてますか?」のCMを観たときは、一般の企業や個人の住宅に監視カメラなんて要るの?とギョッとしましたが、いまでは企業やマンションに付いているのは普通だし、一戸建てのお家でも、付いていても不自然に思わないですよね。時代はそう流れているのだ、とも思います。
2003年頃は、監視カメラの設置に反対、権力による監視社会の到来は怖い、と言った映画を共感して観ましたが、今は違う。日々の現実問題として、権力に何かされるよりも、普通の人に何かされることの方が怖い。その可能性確率の方が高いというのが実感です。
うらみや欲求不満を抱く人が増えた、ということでしょうか(自分が自分の望み通りでなければ(自分が自分の思い通りに通用しなければ)、「悪」になりますよね)。
※実態・事実がではなく、属性・立場が「弱者」ということになっている方が「不当に」有利に判断されたりしますから。「弱い」ことを「武器」にする不気味な社会が到来してないか?ということも、「呪いの時代」(2011年発行)という本に書いてありました。(2009年-2011年, 恥知らず)
※※偏見や固定観念 ←→ 柔軟性があり融通が利く頭。
2014年に新しい予感を感じた一方で、2013年の数年くらい前から思うようになったのが、駅とか店とかビルとか繁華街の通りとか、公共の場に監視カメラが付いていますよね。あれ、主要ダーミナル駅の半径3km以内、すべての駅の半径1km以内について、つまり用事があって必ず通る場所、特に用が無くてもふらっと日曜ぶらり旅ででも訪れる可能性がある範囲について、くまなく死角なく途切れることなく高精細のものを設置してくれないかなあ、ということ。というのも、いつの頃からか、公共の場で、ただ歩いているだけで、あるいはただ居るだけで、こそっと何かされることが増えてきたような気がするからです。
もし、抗議した結果相手が居直って言い合いやトラブルになってしまったとき、公の組織に相談したら、どこで起こったのですか?何時何分ごろ何丁目何番地何通りですね?じゃあ何番カメラですね、といって淡々と、何が起こったのか、競馬の僅差判定のように、両者主張することなく、粛々と映像を再生して事実を確認できるようになって欲しい。事実を確認したうえで、こちらの行動は不可抗力なのか、正当防衛なのか、過剰防衛なのか、という議論は起こるかもしれません。でも、そもそも何が起きたのか、誰が何をしたから何が起こったのか、誰が何をしなければ何も起こらなかったのか、その「事実の部分」を「決める」のに、がなったりわめいたりした方の「主張」が通るのでは、疲れ万倍だから。疲れるだけでなく、事実同定(!?)から偏見や固定観念を取り除く(FLIGHT #03 緊急着陸※)という意味では、もしかしたら、「不正」と「正」を分けるとっても大事なことかもしれないですね。あるいはもしかしたら、当たり屋のように、故意の詐欺じみた行為もあるかもしれません。故意はあるような気がするなあ。そうなると、もう犯罪から身を守る体です。
もっというと、タクシーなんかが最近付けるようになったドライブレコーダーというのがありますよね(最近は、車室内を撮るカメラを取り付けてある場合も多い)。あれの人版が出来て広まらないかなあ、と思うこともあります。あれがあれば、人に割り込まれてぶつかってしまったときなど、いや、あなたのその無理な割り込みでは仕方ないでしょう、とか、本来不要なはずだった無駄なエネルギーを費やして主張することなどなく、「何があったのか」「事実」を共有できます。ウォーキングレコーダー(!?)などというとエッ?とも思うけど、でも、初めてペットボトルで水を売っているのを見たときは、水って、店で買うもの?とびっくりしたけど、いまや銘柄選びを楽しんでいます。初めて「セコムしてますか?」のCMを観たときは、一般の企業や個人の住宅に監視カメラなんて要るの?とギョッとしましたが、いまでは企業やマンションに付いているのは普通だし、一戸建てのお家でも、付いていても不自然に思わないですよね。時代はそう流れているのだ、とも思います。
2003年頃は、監視カメラの設置に反対、権力による監視社会の到来は怖い、と言った映画を共感して観ましたが、今は違う。日々の現実問題として、権力に何かされるよりも、普通の人に何かされることの方が怖い。その可能性確率の方が高いというのが実感です。
うらみや欲求不満を抱く人が増えた、ということでしょうか(自分が自分の望み通りでなければ(自分が自分の思い通りに通用しなければ)、「悪」になりますよね)。
※実態・事実がではなく、属性・立場が「弱者」ということになっている方が「不当に」有利に判断されたりしますから。「弱い」ことを「武器」にする不気味な社会が到来してないか?ということも、「呪いの時代」(2011年発行)という本に書いてありました。(2009年-2011年, 恥知らず)
※※偏見や固定観念 ←→ 柔軟性があり融通が利く頭。
今年の成人式は立派だった。ここしばらく(10年くらい?)、荒れる成人式とかいって なんだこれは?? と思わせるものが多かったなか、テレビで観る今年の成人式での言動は立派なものが多かったような気がする。
だいたい、年配者は、若者を見て、自分たちの世代時代が持っていた良い要素部分が拡大進化していると感じたときは「今の若者は立派だ」「自分たちにはとても出来なかった」と感じ、悪い部分要素が拡大増悪していると感じたときは「だから今の若者は」「日本の未来が心配」と感じるものだと思うが、報道で見た今年の新成人たちの言動は、概ね立派だったと感じた。
2014年、新しい時代の予感?
※もっとも、韓国のTV局による韓国内の反日デモの姿は、デモが起きたという事実は紛れもない事実なのだが、シュプレヒコールの表情に勢いが足りない、それじゃテレビ映りが悪い、はいこうやってもう一度、などと練習させて、「ベストショット」が撮れたら、はいありがとうといってニュースで報道したりするものなのだそうですから、普段テレビが報じる「若者はこうだ」という姿も、良い方も悪い方も、印象の半分はテレビが作り出しているものかもしれません。大人の反応が過剰なのだとしたら、それはテレビや報道が生み出しているのかも、しれません。韓国内の反日運動については、そうだとテレビで言っていました。
だいたい、年配者は、若者を見て、自分たちの世代時代が持っていた良い要素部分が拡大進化していると感じたときは「今の若者は立派だ」「自分たちにはとても出来なかった」と感じ、悪い部分要素が拡大増悪していると感じたときは「だから今の若者は」「日本の未来が心配」と感じるものだと思うが、報道で見た今年の新成人たちの言動は、概ね立派だったと感じた。
2014年、新しい時代の予感?
※もっとも、韓国のTV局による韓国内の反日デモの姿は、デモが起きたという事実は紛れもない事実なのだが、シュプレヒコールの表情に勢いが足りない、それじゃテレビ映りが悪い、はいこうやってもう一度、などと練習させて、「ベストショット」が撮れたら、はいありがとうといってニュースで報道したりするものなのだそうですから、普段テレビが報じる「若者はこうだ」という姿も、良い方も悪い方も、印象の半分はテレビが作り出しているものかもしれません。大人の反応が過剰なのだとしたら、それはテレビや報道が生み出しているのかも、しれません。韓国内の反日運動については、そうだとテレビで言っていました。