7月6日(日)
晴れ。 朝6時の屋外の気温は24℃であった。カスピ海ヨーグルトを作りながら早朝の時事放談を視聴しようとしてTV受像機のスイッチをオンにしたら、今日はブラジルで行なわれているオランダとコスタリカとのサッカー試合のTV中継放送が行なわれていた。この試合は延長戦の後に行なわれたPK戦に末にオランダが勝ったのだが、試合を見ていて準々決勝の段階の試合ともなると本当に凄いものだ! と感じた。
午前中、北朝鮮による拉致被害者の問題について担当大臣をも含む出演者達が論戦を繰り広げていたTV討論番組で、出演者達の話を聞いていて北朝鮮が拉致問題と関連して日本から壱千億円をふんだくる腹積もりをしているとのことを聴き、泥棒に追い銭という言葉を思い出した。北朝鮮、中国、韓国などの変な国々と関わらなければならない日本は大変だよな~、とつくづく思った。
また、集団的自衛権の行使容認の閣議決定について各党からの出演者達が、それぞれの党の主張を行なっていたTV番組も視聴したが、日本共産党と社会民主党とが全面的な反対意見を述べていた。私は終戦直後の時期から敗戦の結果、日本の色んな人やグループが所謂明治憲法の改正案を作っていたことが毎日のように新聞で報じられていたが、それらの憲法改正案の総てが連語国軍総司令部から却下され、結局、GHQの若い人達が短期間に作ったという日本国憲法草案が日本政府に押し付けられ、その草案に従って作られた日本国憲法が現在、平和憲法と称して喧伝されているものであるが、昭和21年の秋に私が当時通学していた学校の公民の宿題として出された新憲法についての意見として、私は憲法第9条についての意見をリポート用紙に書いて提出したことも思い出した。
その当時、大東亜戦争の敗戦によって極貧状態にあった日本国は、国民はともすれば飢え死にするかも知れない、という恐れをもって毎日を暮らしていたほどの食糧難であったし、国民の全部が戦争などはコリゴリの心境であったので、新憲法案で永久に戦争の放棄をする、と宣言していることには日本国民の誰しもが好ましく思っていたことは確かである。
ところで、今日のTV番組の出演者達は昭和20年~22年のころには生まれていなかったか、その当時に生まれていたとしても子供であったであろうから、その当時の空気を知るよしもなく、憲法、自衛権についての意見も大東亜戦争の敗戦直後の時期に旧制中学校を卒業した以降の年齢だった人達の意見とは違っていても仕方が無いのだろう。
新憲法 制定の頃 思い出し 徘(徊)人 okinatchi
晴れ。 朝6時の屋外の気温は24℃であった。カスピ海ヨーグルトを作りながら早朝の時事放談を視聴しようとしてTV受像機のスイッチをオンにしたら、今日はブラジルで行なわれているオランダとコスタリカとのサッカー試合のTV中継放送が行なわれていた。この試合は延長戦の後に行なわれたPK戦に末にオランダが勝ったのだが、試合を見ていて準々決勝の段階の試合ともなると本当に凄いものだ! と感じた。
午前中、北朝鮮による拉致被害者の問題について担当大臣をも含む出演者達が論戦を繰り広げていたTV討論番組で、出演者達の話を聞いていて北朝鮮が拉致問題と関連して日本から壱千億円をふんだくる腹積もりをしているとのことを聴き、泥棒に追い銭という言葉を思い出した。北朝鮮、中国、韓国などの変な国々と関わらなければならない日本は大変だよな~、とつくづく思った。
また、集団的自衛権の行使容認の閣議決定について各党からの出演者達が、それぞれの党の主張を行なっていたTV番組も視聴したが、日本共産党と社会民主党とが全面的な反対意見を述べていた。私は終戦直後の時期から敗戦の結果、日本の色んな人やグループが所謂明治憲法の改正案を作っていたことが毎日のように新聞で報じられていたが、それらの憲法改正案の総てが連語国軍総司令部から却下され、結局、GHQの若い人達が短期間に作ったという日本国憲法草案が日本政府に押し付けられ、その草案に従って作られた日本国憲法が現在、平和憲法と称して喧伝されているものであるが、昭和21年の秋に私が当時通学していた学校の公民の宿題として出された新憲法についての意見として、私は憲法第9条についての意見をリポート用紙に書いて提出したことも思い出した。
その当時、大東亜戦争の敗戦によって極貧状態にあった日本国は、国民はともすれば飢え死にするかも知れない、という恐れをもって毎日を暮らしていたほどの食糧難であったし、国民の全部が戦争などはコリゴリの心境であったので、新憲法案で永久に戦争の放棄をする、と宣言していることには日本国民の誰しもが好ましく思っていたことは確かである。
ところで、今日のTV番組の出演者達は昭和20年~22年のころには生まれていなかったか、その当時に生まれていたとしても子供であったであろうから、その当時の空気を知るよしもなく、憲法、自衛権についての意見も大東亜戦争の敗戦直後の時期に旧制中学校を卒業した以降の年齢だった人達の意見とは違っていても仕方が無いのだろう。
新憲法 制定の頃 思い出し 徘(徊)人 okinatchi
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます