パルマから山間を抜けて走ること30分。オリーブやアーモンドの畑に囲まれたバルデモサは、誰でもその名を知る音楽家ショパンがひと冬を過ごしたことで知られる街。当時肺を患っていた彼は恋人ジョルジュ・サンドと病気療養を名目に当時はまだ孤島というイメージの強かったであろうこの島へやって来た。ただ実際のところは活動していたパリでのゴシップから逃れるための「愛の逃避行」だったとも言われている。
最初は小さな街にある一件の別荘を借りて住んでいたようだけれどショパンが結核とわかった後はそこにもいずらくなり、結局たどり着いたのが14世紀に造られたカルトゥハ修道院。
こうして修道士たちの使う部屋を間借しての2人の生活がはじまった。そんなわけでここには現在でも世界各国からたくさんのショパン・ファン(もちろんそうでない人も)がやって来る。
綺麗に保存された修道院は、彼らが住んでいた当時(1838年)のままの姿を博物館として見せてくれている。
ここに住んだひと冬の間にショパンは「雨だれのプレリュード」を含む「24の前奏曲」を完成させた。寒いパリから温暖なこの島へやっては来たものの、晩秋のマヨルカは長雨のシーズン。まさに長く降り続く雨だれの音を聞きながら出来上がった曲だ。
雨の中のこの景色を彼はどう眺めていたんだろう。「愛の逃避行」とはいうものの、結核を患うことへの恐怖心と祖国ポーランドへのやるせない思い(当時のポーランドは列強による分割統治、併合という屈辱に耐えていた)とが、彼の作る曲をどこか物悲しくさせているんだろうか。
そんな修道院の一角では一日数回ながら彼の曲を集めたミニ演奏会が行われているから、ショパンの世界に浸るには絶好のチャンスだ。
ちなみにたったひと冬でこの街を去ったショパンはパリに戻った後、39歳の若さでこの世を去った。彼の亡骸はベール・ラシェール墓地に埋葬されているけれど、心臓だけは彼の希望通り故郷ワルシャワへと戻り、聖十字架教会に納められているとか。
さて、現在のバルデモサの街を歩いてみよう。カルトゥハ修道院の見学を終えたたくさんの観光客が足早に去ってしまうと、本当に素朴で静かな街に戻る。
どこからかニワトリや犬の鳴き声が聞こえてくる。「ショパンたちが暮らした」という事実を除けば、どこにでもあるような田舎の風景だ。
せめて心を癒してくれる花のある季節だったら彼の気持ちも少しは晴れたんだろうに?歩きながらふとそんな思いがよぎった。
みなさんからのコメントはいつも楽しく読ませていただいています。ただ諸々の理由によりこの年明けからコメントへのお返しはしていませんのでどうぞご了承下さい。また旅関係のご質問やリクエストに関しては、できるだけ今後のブログ上に反映させていきたいと思っています。
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