奥様は海外添乗員〜メモリアル

添乗後記~フラメンコ発祥の地アンダルシアで

    

今やスペインという国をイメージした時に誰もが思い浮かべるであろうフラメンコ。この国の民族舞踊的ニュアンスで紹介されるフラメンコだけれど、実はその歴史は複雑。古くからいろんな民族が行き交い混血を繰り返してきたヨーロッパ、そしてスペイン。その歴史は完全な島国として存在し「日本人」という単一民族で構成されるわが国とは全く異なる。時は15世紀、北インド発祥といわれる流浪の民「ジプシー」がピレネーを越えてスペインのアンダルシア地方までやって来る。他の民族との混血を嫌った彼らは独特のコミュニティーを築くが、それが原住民たちの反感をかったらしく忌み嫌われた。まともな職を持つことができなかった彼らの中には山賊や泥棒に手を染める者も多く、社会からはますます追いやられていく。そんな彼らの生活の貴重な糧となっていたのが流浪の旅の中で彼らが独自に身につけた音楽や踊り。インド、アジア、アラブ、ユダヤといった様々な地域や民族から得たインスピレーションから生み出された歌や踊りは非常にエキゾチックなものであり、これを披露することでいくばくかの生活費を稼いでいたようだ。

ところでアンダルシアといえば海を渡ってやってきたムーア人(イスラム教徒)たちによって8世紀近くも支配されていた地であることは以前にも書いたとおり。その後各地で起こったレコンキスタ(国土回復運動)が15世紀後半になってようやく時の王、イザベル女王の手により完結されるわけだが、その後徹底的な異教徒の弾圧が起こる。ようやくキリスト教徒が取り戻したこの国を他教徒の手に渡すものかという意気込みを持って。そんな中、国内に留まりたいイスラム教徒の中にはキリスト教に改宗するものも多かったようだ。ただ16世紀に入り再度行われた異教徒追放政策の折りにはジプシーたちのコミュニティーに入り込みその身を隠す者もいたんだとか。

こうしてスペイン南部のアンダルシア地方で社会に背を向けひっそりと暮らすジプシーとイスラムたちは次第に同化し「ヒターノ」と呼ばれるようになる。その後も長きに渡って続く政府の迫害は彼らの流浪生活や言語までも否定。グラナダのサクロモンテの丘やセビーリャのトリアーナ地区に設けられたヒターノ住居区に定住を強いられた。これらの場所で次第に盛んに聴かれ観られるようになったのがヒターノたちが作り上げた音楽であり踊り「フラメンコ」だ。社会に虐げられたヒターノたちの嘆きや苦しみ、怒り、そんなものが入り混じった彼らの心の叫びがまさにフラメンコの原型だ。

時代とともに広まっていったフラメンコが現在のようなタブラオで観られるようになったのは20世紀に入ってのこと。たくさんの舞踊団もでき、世界的有名なダンサーも生まれる。今やマドリッドやバルセロナといった大都市には有名なタブラオもあるから、フラメンコはアンダルシアに限らず各地で楽しむことができる。ただ長い歴史の中でこのように生まれたフラメンコ、もしもチャンスがあるならぜひフラメンコ発祥の地、アンダルシアで観てほしい。現在でもヒターノたちが住んでいたサクロモンテの丘にはかつての洞窟住居を利用したタブラオがあって、間じかにフラメンコを楽しむことができる。土臭さとエキゾチックさは他の地区で観るフラメンコの比ではない。髪を振り乱して唄い踊る感情丸出しの姿をぜひ。では、そんなタブラオでのひとこまを動画でどうぞ。






みなさんからのコメントはいつも楽しく読ませていただいています。ただ諸々の理由によりこの年明けからコメントへのお返しはしていませんのでどうぞご了承下さい。また旅関係のご質問やリクエストに関しては、できるだけ今後のブログ上に反映させていきたいと思っています。

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