思いの中に生きる

奇蹟の人「長尾弘」先生の法話

思いの中に生きる

2015-04-25 00:26:37 | 日記

       恩師のご著書「思いの中に生きる」より

              情報欄より


               奇跡


〈病院に身放された症状が三分間で治った!〉

去年、中学三年の女子が、体育祭の練習中、運動場で突然過呼吸になった。
その後遺症として手に激しい痙攣が残った。
寝ている時は止まっているのに、起きると左手の肘から先が左右に大きく
振幅運動をした。
二週間程して、口もきけなくなった。
高校受験の年で、本人もご家族もどれほど辛い思いをされたことでしょう。
病院をいくつも廻っても直らず、一か月程して藁をもつかむ思いで長尾先生を
訪ねた。

長尾先生が両肩に手を置いて祈られ、次いで身体を横にさせて心を落ち着かせますと、
話せるようになり手の振幅運動も止まりました。
その間三分ほどのことでした。
母子共に喜びのあまり泣き伏していました。
どこの病院でも直らなかったものが、たった三分程で治ってしまいました。
長尾先生にご縁をいただき、数々の奇跡を目の当たりに見せていただける
私たちは何と幸せなことでしょう。


             ~ 感謝・合掌 ~



思いの中に生きる

2015-04-24 00:35:35 | 日記

       恩師のご著書「思いの中に生きる」より


             情報欄より


               奇跡


〈神様の御業を見せさせていただける有難さ〉

長尾先生から、治療についての最終的な目標は「身体に触れずに直すこと」
と以前からお聞きしておりましたが、先生の最近の治療を拝見しておりますと、
目標をほぼ達成されたようです。
皆様も既にご存じの通り、胃下垂などは瞬時に直してしまわれますし、
また股関節も「正しい位置に帰りなさい」とか、「足はピタッと倒れなさい」
と言われるだけで直ってしまいます。

見ていますと面白いほど簡単で、それだけに余計不思議な思いがしますが、
現実です。
先生を通して神様の御業を見せていただける有難さ。
その神様の大いなる慈愛の中に生かしていただいているのですから、
これほど幸せなことはございません。


              ~ 感謝・合掌 ~



思いの中に生きる

2015-04-23 00:25:00 | 日記

       恩師のご著書「思いの中に生きる」より


              情報欄より


                奇跡


〈御講演テープの不思議〉

最近各地で科学では解明できない現象が起こっています。
長尾先生のご講演のテープを何回も聞いているうちに、そのテープの言葉が
突然外国の言葉に変わったり、音楽の部分が別のきれいな音楽に変わったり、
不思議なことが次々に起きています。

全く神の御業としか言いようのない現象です。
神の存在を証明して下さると同時に「正法を拠りどころとして生きなさい」
「己の心に目覚めなさい」そして「幸せになりなさい」とお諭し下さって
いるように思います。


             ~ 感謝・合掌 ~




思いの中に生きる

2015-04-22 00:30:55 | 日記

         恩師のご著書「思いの中に生きる」より


              情報欄より


              神意


       あの光の方は神意を頂かれ
       神の意識を具現されし方
       全ての幸せを願われる愛の力
       お会いするだけで魂が歓喜する

       イエスは言われた
       「私を見た者は父なる神を見た者である」と
       光の方の行いは神の意を現わせし姿
       この地上で二人とお目にかかれはしない
       今生生きられしその姿を
       大切に見せて頂かねば

       今 光のうねりは輝きを増す
       光の方の姿を通して
       地上のあやまちに気付き
       神のご意志を心に受け止めなければ

       この世の大自然も
       神のご意志の現れた姿
       人も皆自然に生かされる神の子
       あの光の方は
       人として神を具現された方
       人として神の願われし姿
       “光の方を見た者は父なる神を見るであろう”

                  1995・2・18 嬰


                ~ 感謝・合掌 ~



思いの中に生きる

2015-04-21 01:03:47 | 日記

         恩師のご著書「思いの中に生きる」より


              喜びの体験記


        次々と寄せられる喜びの体験談  T.N.


合掌 ご慈愛に感謝致します。
先便で歌集をお送り致しましたが、その後で文字サイズを大きくしましたところ、
この方がきれいで読み易いようですから、いずれ印刷される先生にとって
役に立つかどうか判りません、一応お送り致します。
Y氏からは何度も電話がありまして、とても喜んでおりました。
二月に浄心庵へ行くことを楽しみにしているようです。
帰ってから種々のことがあったようです。
I氏は何度も泣いておりました。
電話でも泣いておりました。
人がいなかったら、大声で泣いたと思います。

その時までの彼は地獄の苦しみであったようですから、喜びも大きかったことと思われます。
高知から行った者も電話で話し合っておりますが、この感激がさめないうちに
もう一度ということで、明日三十一日に食事をしながら、この間の浄心庵での
ことをおさらいすることにしております。
私たちの喜びは到底、言葉で表すことは出来ません。
ただこれからは先生のお教えを日々の生活の中でどう生かして行くか、
ご慈愛に応えることの出来る自分作りあるのみと存じております。
一層のお導きをお願い致します。
ありがとうございました。
一層のご自愛をお祈り致します。
合掌

(追記)
これは蛇足でありますが、この間の夕方、
私はワープロを一生懸命にやっておりましたところ、家内がご飯が出来たよと言いました。
月に一回ぐらいのビフテキが焼けたところでありました。
「腹へった―」と言って食卓につきました。
ところがその時、電話のベルが鳴りました。
待っていたY氏からの電話です。
彼の喜びが伝わります。
私も喜ぶ、十分、二十分、彼は夢中です。
私も夢中でした。
そして電話が終わった時、ビフテキは冷えてしまっておりました。
家内はまた温めてくれました。
この頃は少し嬉しいことも起こり出したという、満足感にひたりながら再び
食卓につきました。
そしてナイフとフォークを持ちました。
その時二度目のベルが鳴りました。
今度は、I氏です。
彼は泣かんばかりの声でありました。
とても興奮しております。

長い間、夜寝るのが怖かったほどに、彼の苦しみは大きかったと思います。
それだけに嬉しさを堪えていることが苦しい位に喜んでいることがよく判ります。
彼は嬉しい、そして私も嬉しい。
こちらも泣きたいほどに嬉しい。
感激の極まりのように思いました。
よかったー、よかったーと心の中で繰り返しました。
彼の話はそれだけに時間がかかりました。
嬉しさと興奮いっぱいで、電話は終わりました。
さてそれからもう一度食卓につきました。

もう嬉しさいっぱいでビフテキなんかどうでもよい気分でありました。
もう一度温めようかと家内が言いましたが、もうそんなことはどうでもよい、
とにかく嬉しい、嬉しさでいっぱい。
それにこの小さいビフテキをいもう一度温めると、一体どうなるか、
小さいビフテキがまた小さくなる。
そのうえ硬くなることは火を見るよりも明らかである。
そんなことは小さいこと、小さいこと。
その晩の夕食のおいしかったこと。
これはちょっぴり先生に似てきたかなとご機嫌でありました。
つまらないことを申し上げましたが、これがこの頃のある日の出来事であります。
幸せなある日の出来事を、ついでに申し上げたくなりまして失礼いたしました。
何卒お許し下さいませ。
何でも申し上げたくなる、また言ってもよいように親しく感じられる先生だと
思っているからでございます。
お許し下さいませ。


             ~ 感謝・合掌 ~