思いの中に生きる

奇蹟の人「長尾弘」先生の法話

思いの中に生きる

2015-03-31 02:01:59 | 日記

        恩師のご著書「思いの中に生きる」より


             死のとき


先の続き・・・

〈このお話をされた時、引用された旧約聖書の一節を紹介しておきます。
聖書を表面的にではなく、その奥を霊的に読み取りますと、先生のお話と
一致することがわかります。〉

(略)主は言われた。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。
私は降って行き、彼らの行跡が、果たして、私の届いた叫びのとおりかどうか
見て確かめよう」
(略)アブラハムは
進み出て言った。まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
あの町に正しい者が五十人いるとしても、
それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお許しにならないのですか(略)」
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」
(略)「もしかすると、四十人しかいないかもしれません」
「その四十人のために私はそれをしない」
(略)「主よ、どうかお怒りにならず、もう一度だけ言わせて下さい。
もしかすと、十人しかいないかもしれません」
「その十人にために私は滅ぼさない」

(略)二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。
(略)ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、
彼の家を訪ねた。
ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。
彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りも
こぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。
「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。
なぶりものにしてやるから」

(略)夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。
「さあ早く、あなたの妻のとここにいる二人の娘を連れて行きなさい。
さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう」
(略)彼らがロトたちを町外れへ連れ出した時、主は言われた。
「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。
山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる」
(略)太陽が地上に昇った時、ロトはツォアルに着いた。
主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。
ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。
(創世記の記述を要約)


             ~ 感謝・合掌 ~




思いの中に生きる

2015-03-30 00:29:38 | 日記

恩師のご著書「思いの中に生きる」より


死のとき


先の続き・・・

やがては、皆あの世に帰らなければならないのですが、
私達がこの世を去りました時に、どうすれば良いのか。
これはどこに行っても話させてもらうのです。
極楽に間違いなしに帰る方法。
これは、まあ皆さんにそうして下さいと言ったらあれですから、
私が死んだ時にしようと思っていることです。

もしお迎えをいただいたら、もう渾身の力を振り絞って、
自分の身近な方に「ありがとうございました。お世話になりました。
本当にありがとうございました。
どうぞお会いできん方らによろしゅう礼を言うてください」と、
命懸けの力を振り絞ってお礼を言わせてもらいます。

そして、お礼が済むと、もう今度は、
いよいよお迎えが来まして息絶えた時に、
皆さんにパッと尻を向けたら、もう絶対に振り返りません。
家も財産も何もかも全部、この世のものは全部この世に置いて、
そして、私達が本当に帰って行く故郷に向かって、
極楽へ向かって振り向かないで突き進みます。
この時、絶対に迷いません。

しかし、まあ心をきれいにしておかなければなりませんね。
自分の心が汚ければ、汚い世界へ自分ではまってしまいます。
ですから、私はそのようにして死にたい。
今こうして親しくお付き合いをしていただいていても、
私が死んだら、振り向きもしません。

このようにしてこの世を去りますから、もう皆さんが病気されようが、
苦しまれようが、どんなにされようが、そんなこと私は知りません。
この話をしましたら、「先生、水くさいでんな。死んでも私ら守って下さいよ」
と言われます。
「いやー、いやー、私は死んだらもうよう守らん」と言います。
で、これは私だけと違います。

皆さんが常にその心積りを心の中にしておいていただいたら良いですね。
死のときはいつの日か必ず来るのですから、そのときになりましたら、
私が話したとおりに、渾身の、この世の命懸けの力、
全生命力を果たしてでも、お礼を言います。
そして、命が終わった時は、もうパッと背中を向けて、
絶対に振り返えってはいけません。


              ~ 感謝・合掌 ~




思いの中に生きる

2015-03-29 02:11:13 | 日記

       恩師のご著書「思いの中に生きる」より


               死のとき


生命力の強い時は死の世界から遠く離れています。
これが生と死の境とします。
こちらからは向こうはあの世の世界、
こちらは私達の生きている世界とします。
健康に生きている時は、死の世界からずっと遠いのです。
ものすごい病気をしたり、
あるいはだんだん年を取って肉体的に衰えてきましたら、
だんだん死の世界に近づいていくのですね。

生と死の境界線に近づいていきます。
で、心悟った方はここからさっと遠い方へ遠い方へ離れて行かれます。
極楽の世界に離れて行かれるのですね。
そして、「ああ、死にとうない、わしゃ、まだ後、心残りいっぱいあるし、
死にとうないんや」と、生への執着、あるいは物とか、財産とか、名誉とか、
そんなものに思いを強くもっていましたら、肉体は死んで無いのですけれど、
その心は生と死の境をさまよっているのです。

だんだん境に近づいてきましたら、ここをウロウロしている人が、
この人と近いものですから寄って来るのです。
だから、死ぬ前になると、心のきれいな方は、
「ああ、きれいな人が迎えに来てくれはる」と言って、
心の汚い人は
「ああ、怖い奴じゃあ。もう来なー(来るな)、もう来なー」
と言いながら虚空を掻きむしって、死ぬ人があります。

あれはその人の心に応じたものが迎えに来るのです。
「おとろしよー。怖い奴が来たー。怖い奴が来たー」と、
掻きむしって死ぬとよく言うでしょう。
あれは皆、その人の心に応じた人が、迎えに近寄って来ているのですね。
だから、怖い。

心のきれいな方の中には、
ここから離れた世界から紫の雲に乗って迎えに来て下さった言って、
亡くなる方もあります。
こういう方はだんだん死の世界に近づいてポッといきましたら、
これはもうあちらの世界にサッと行かれるのですね。


           ~ 感謝・合掌 ~




思いの中に生きる

2015-03-28 01:17:05 | 日記

      恩師のご著書「思いの中に生きる」より


           救われるということ


先の続き・・・

最もわかりやすいのは仏壇とお墓ですね。
仏壇とお墓はたちまちにして万人が見て万人がわかります。
亡くなった方がそのようにして救われたり、
真っ黒になっているお仏壇がサラになって、
お洗濯をしたようになったり、
五十年も六十年もたった墓石がつくりたてみたいに
変わったりする場合があります。

あるいは、今日お見えになっている前田さんの
石川県に行かせてもらったら、
墓石の中から金がいっぱい出てきて、
これ取れるん違うかなと思っても取れないんですね。
まわりがキラキラになって、
石の中から金が浮き出てきても落ちないのです。

また、さすりますとキラキラになるお墓もあります。
こういうものは全部、見えない世界、霊の世界のことです。
といいますのは、この現れた世界の中に見えない世界の
エネルギーが満たされているのです。
あの世の世界、
私たちの心の有様によって暗い世界のものが支配したり、
あるいは上の世界から私たちの心を支配したりします。

上から下から、それは簡単明瞭です。
重い心をもった時は、必ず地獄から応援に来ます。
砂袋の中に砂をつめるたびに「もっとやれー、
もっとやれー」と応援に来ますから、
苦しみがだんだん大きくなります。
その代わり、風船のように浮き上がっておりますと、
上の世界から、「頑張って下さい。
もっと人のために尽くして下さい。

私たちも協力は惜しみません。
あなたの行為によって私たちが働きますよ」と言って、
エネルギーを注入して下さいます。
光の世界から自分がご協力を戴こうと、
闇の世界から戴こうと私たちの自由です。
その方法を知らなかったのです。
ですから、こうして私とご縁ある皆さんは是非、
光の世界からご協力いただけるような
日々の生活を行じて下さい。
必ずいただけます。


          ~ 感謝・合掌 ~



思いの中に生きる

2015-03-27 06:10:15 | 日記

       恩師のご著書「思いの中に生きる」より


             救われるということ


先の続き・・・

それからピタッと苦しみがなくなりました。
そして、三日後に極楽往生されたそうです。
「おおきに(有難う)、おおきに」と言って死なれたそうです。
だから、私たちはたとえ九十年百年、間違った生活をしてしまっても、
この世を去る間際に自分の過ちに気付いた時、
神様はそのような者でさえちゃんと救って下さるのです。
だから、法とは如何に有難いかです。
そんなものは私の力とは違います。

その言霊によってご本人が正しい心に目覚められた時、
その方は救われるようにちゃんとして下さるのですね。
本当に自分の心が目覚めるということは尊いことです。
私も未熟者でございまして、
こうして皆様の前で話をさせていただくのも恥ずかしくて
しょうがないのですが、そのような私にさえ神様はいろいろと
形をもって表して下さいます。
たとえば、今見ていただきましたあの金。
皆さんに見ていただきましたね。

名刺に張ってあったあの金。
あのようなものを行った先々で見せていただいたり、
自然界に変化を見せてくださいます。
花が開いたり閉じたり、まあ花咲かじいさんですね。
また、暗いくらい山が一遍に昼のようになったこともあります。
お宅も勿論そうですね。
真っ暗の何とも言えないあの不思議な陰気臭いお宅が
たちまち光に満たされます。


          ~ 感謝・合掌 ~