未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

2021-10-31 18:34:00 | 映画

NETFLIXはまだ配信されていないのでTSUTAYAでレンタルして、リビングを映画館みたいにして鑑賞しました。
ネタバレありで感想書くのでまだ見ていないひとは絶対にここから先を見てはいけません!
わかりましたか!いったからな!

それでははじまりはじまり。

「お初にお目にかかります。お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」。

 

テレビシリーズの話は前回の記事に書きました。
全13話+1話のテレビシリーズ、「外伝」と来て、今回のは、2020年秋に公開された「劇場版」の話です。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は「前から気になっていた作品」ですが、初めてそのタイトルを知ったのは去年の秋。
京アニの事件があって、製作が中断して再開して、コロナもあって公開が延期になって・・というニュース。
それから、たまたま他の映画を見に映画館に来たときに、これが公開中で、映画館にいろいろ展開されていて。
「あーこれがニュースでやってた京アニの作品か」ということで知りました。

前にも書きましたが、気にはなったものの期待値もそれほど高くなく。
オリジナルのテレビシリーズを1話も見たこともないし、観てもわかんなそうだしなあと思って、そのときに劇場で観るのは敬遠したんです。


それなのに、いま再び観ようと思ったきっかけになったのが10/29の金曜ロードショー。
テレビシリーズを2時間のダイジェスト版にしたもののようでしたが、これを録画してみるつもりが録画できておらず。
こうなるとどうしても観たくなるのが人間の性というもので、NETFLIX月額課金してテレビシリーズを第1話から観た。

これが予想をはるかに上回るすばらしい作品だったんですねぇ。

その世界観、伝えようとしている(とおもわれる)メッセージ性に感動し、ヴァイオレットちゃんがとてもかわいく!
ひきこまれて、まぁ泣けたわけですよ・・
13話+スペシャル1話(オペラ歌手に歌詞を依頼される話)+「外伝」(別れた姉妹に手紙を届ける話)を一気に見て。
しかしこの「劇場版」はまだNETFLIXにも配信されておらず。
劇場でも公開されておらず(京都の映画館で公開されてるだけだった)。
ただDVDはTSUTAYAでレンタルしているとのことで、これを借りてきて、マックのバリューセットを買ってきて、部屋を暗くして、「リビング映画館」で鑑賞したと。
そういうわけでございます。

前置きは以上!

 

感想です。
映画にこれがあるとうれしい、泣けたポイント、こころが動いたポイントがほんとうにたくさんありました。

テレビシリーズがとてもよかったのと、この劇場版はそのテレビシリーズの直通の完全新作の続編(「外伝」のような脇道エピソードではなく)であること。
観たひとの感想が「すごくよかった!」っていう感想が多かったので、自分のなかの期待値のハードルはかなり高まっていたと思います。

なのですがそれすらも超えてきました。

めちゃめちゃよかった。
アホほど泣いて。
「いままでの話やシーンやエピソードのすべてが完結した・・」それもとてもきれいに完璧に完結した・・という満足感があった。

途中まではこの先どうなるのか?
ふたりを会わせないままで終わらせちゃうの?

ってとても気持ちが動きましたが、ヴァイオレットと「少佐」にとってのハッピーエンドでした。
うん、まぁ、そこもよかったのではないかと思います。


これまでの「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」で登場してきたいろんなキャラクターやシーンが随所に散りばめられていました。

冒頭開始の5分。

「Sincerely」

・・これは「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」の主題歌のタイトルでもあります。
「シンシアリー」。意味は、「こころから」というような意味らしい。「自分の心に正直に」というようなニュアンスであるようです。

どこかでみたことのあるような気がする家。なにやら「祖母の葬儀」のある風景を切り取ったようなシーン。
「このひとたちは誰だ?」ってなりましたが、その「おばあちゃん」が、第10話のあの母と娘の、娘のアンだったのですね。
(あとで第10話を見返してみたら、確かにあのときのあのおうちでした)
それが「そうだ」とわかったとき、なんだかもうその開始5分で「ぶわああああああああああ」っとなった。

みてるひとにとっては説明不要かと思いますが、あれですよ。

私知ってるもん!お母さんがいなくなったら、私はひとりよ!

どうして手紙を書くの?届かなくていい!

人には伝えたい思いがあるのです。届かなくていい手紙など、ないのですよ。お嬢様

ヴァイオレットがね、あとで郵便局にもどって

ずっと泣くのを我慢していました・・」いって涙をポロポロぽろぽろ流すわけですよ!

あーもう思い出すだけで泣く

あの話の、確か初めての「手紙」が8歳のとき。
それが「50通」、毎年誕生日に送られてくるのだが、その50通はまだすべては届いていないようだったので。
「あれから50年」というところか。

50年というのは、あの郵便局の受付のきれいで若いお嬢さんも老婆になってしまうに十分な時間です。
ヴァイオレットたちが働いていた郵便局もいまは博物館になっており。
なかなか完成しなかった街の電波塔も完成済です。

つまりは、アンの孫(デイジー)が年頃になった時代、ヴァイオレットはもう過去のひとであり(劇中では明示されないがヴァイオレットを知るひとたちの様子から恐らくもう亡くなっている)、「伝説の自動手記人形(「ドール」)」なわけだ。

で、「おばあちゃんのお母さんがおばあちゃんに宛てて書いた手紙を書いたひとはどんなひとだったんだろう・・」
という視点で、冒頭とラストを挟む構成。

これは映画によくあるパターンの構成ですが、そんなに嫌いではありません。


一応、テレビシリーズを予習してない、いきなり劇場版にきたひとに向けてのおさらい的な配慮はあるようでした。
が、間違いなく、テレビシリーズをみてないと全くピンとこないであろう細かな演出が随所にありました。

この冒頭の「アンへの手紙」なんか最もそうですが、他にも細かな。

冒頭の、なにやらやってる海への儀式で、海への賛歌を書いたのがヴァイオレット。
そしてそれを受け取って歌ったのが、スペシャルで登場したオペラ歌手のひとでしたね。

登場人物の人間関係と過去をわかってないと、なんで「社長」がヴァイオレットの保護者みたいになってて、
「少佐」の兄の「大佐」がああなのかとか、そのへんの微妙な機微はわかんないとおもいます。

ヴァイオレットは義手で、壊れたり、指切りとか、親指立てるOKもしにくそうですが、なんでそうなったのか。
ヴァイオレットのエメラルドのブローチは重要アイテムで、ときどき象徴的にクローズアップされるが、なんでなのか。

エカルテ島の郵便局の局員の襟章のデザインは、あの自動手記専門学校のバッジです。
象徴的な意味を込めてるけどそれは第3話をみてないときっとわからない。
あの厳しい先生もよかったですね。「ドールとは」ひとの言葉からほんとうの気持ちをくみとって・・っていうね。
そのシーンを思い出す。

博物館でデイジー(あのアンの孫)みつけた切手のデザインは、最後の最後の最後にデザインがあかされるんですが・・
それは、おおきな旅行カバンをもって、「あの」日傘を挟んで、てくてく歩いていくヴァイオレットの姿でした。
ああーってなった。そのあたりも印象に残った。

この作品全体を通じたテーマのひとつだとおもうんですが、「手紙」。
手紙って残るんですよね。書いたひとと会えなくなっていても。
今作で登場した、死期を悟ってヴァイオレットに、父と母と弟に手紙を頼んだ少年。
弟は、兄の死を理解し、受け入れるにはまだ幼い年齢であったようですが(明らかにそう描かれている)、成長してこの手紙を見たときに、兄のことを思うときが必ずくると思われるんです。
このシーンも泣けた。

ヴァイオレットは兵士でしたが、なぜ、自動手記人形のドールになったのか。
それにはヴァイオレットのある思いがあって、その仕事をしたいって言うに至って、そうなったんですね。
なので、この少年と指切りして約束したことや、郵便局に残してきた仕事を、任務を全うしようとします。
自分自身にとっても、やっと「少佐」が生きているってわかって、会えるかもしれないっていう、ものすごくだいじなときなのに。


・・決定的なのはやっぱり、なんでヴァイオレットがそんなに「少佐」にこだわるのか、というところです。
ここはやっぱり「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」のテレビシリーズ全話が前提になってないと理解が追いつかないでしょう。

「もしかしたら生きているかもしれない」というので訪ねた島。
そこで子供たちに話をきいて「生きている」って確信できたシーン。かまきりの右腕が取れている=先生もそうだよ!っていう。

先生は・・お元気ですか
うん、元気だよ!

そのときのヴァイオレットの表情がものすごく印象に残った。ここも泣けた・・


テレビシリーズ第1話からずっとずっと、「少佐」のことを想い続けてきたヴァイオレットが描かれ続けてきました。
それを見ていました。その積み重ねがあるから、この絵の1枚で泣けるんですね。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の大きな特長のひとつだと思いますが、この作品はセリフが少ないんです。
その代わりに、なにかを象徴していると思われる絵のカットや音楽や風景や天気や光の明暗や・・
この表情もそういうなかのおおきなひとつだとおもいます。
そういうところで「きもち」「こころ」の動きを表現しています。
そこに、見る人はいろいろなことを感じることができるんですねー


「会うことはできない」ってなって、それでも会いたいって探して、みつけて、雨の中のドア越しでのやりとり。

最後にした話の続きをしたいです・・あいしてるも、すこしはわかるようになったのです・・
「最後にした話」ってなに?って思うでしょう。これもテレビシリーズに伏線があるのでみてほしい

今の私は、少佐の気持ちが理解できるのです
すべてではありませんが、すこしは、わかるのです・・

わかるようになったんですよね。
ここらへんぜんぶ泣けた・・・


ヴァイオレットが少佐に書き、届けた、最後の手紙。

この世の中には必ずしもそうではなかったひともいるとは思います(それはかわいそうでとても気の毒なことです)が、
多くのたいていのひとにとって、
本を読んでくれて、文字や、いろいろなことを教えてくれて。
ブローチを買ってくれて。いつもそばにいてくれて。
「あいしてる」をくれたひとは、誰しも、誰かいたとおもうんですよ。

そのひとが生きてるうちに、その感謝のきもちを伝えたいでしょ?
伝えにくいかもしれないけど伝えたほうがいいとおもうよ?
直接いうのが照れくさかったら「手紙」を書いてみようよ?

っていう。

冒頭に登場したアンの孫のデイジーも、これまでいろんな「手紙」のエピソードがありましたがそれと同じように、両親に感謝の思いを届ける手紙を書きます。

たぶんそのようなことが、この作品すべてを通したメッセージであって、それは普遍的な価値をもつものです。
だからこの作品はすばらしく、泣けるんだとおもうんですねー

「みちしるべ」の曲をバックに、ヴァイオレットが船から海に飛び込んで、「少佐」と会って・・・のシーン。
このシーンは「そうなっちゃうの?」というひっかかりも正直ゼロではなかったけど、映画なのでこれでいいんです。

「Sincerely」ですね。
「心から」、「自分のこころに正直に」ですよ。

「少佐」も、「二度と会わないほうがいい」とかいってたけど、ヴァイオレットの手紙を読んで、自由になれた結果、ああなれたんですねー

ハッピーエンドでしたねー

エンドロールの最後が、少佐とヴァイオレットが指切りをしているカットでした。
あれはきっと、ふたりなりの結婚式ですねー。

 

思えば、第1話のヴァイオレットは「あんな感じ」でした。
幼いころから戦争の道具として育てられたから、「美しい」とか「愛してる」とか「寂しい」とかを理解できなかったんでしたね。
戦場でたくさんの「こころの火傷」を負っているが、最初はそれがわからなかった。

いろんなひとと出会って、人間らしい感情とかがわかるようになって。
「自分がたくさん火傷をしている」ことが「わかります。私はたくさん火傷をしています!」ってなって。
「愛してる」も「いまは少しはわかる」ようになって。

「社長」と会食するシーン。
預かったときはナイフの使い方もおぼつかなかったヴァイオレットちゃんも、もう立派にエレガントに使えるようになった。
野生児みたいだったのにね。成長したなぁ、という。

「少佐」は2人兄弟の弟ですが、ヴァイオレットは孤児で、親の顔も知らないし、兄弟もいません。
だけど、ヴァイオレットも「すこしだけはわかります」といったのは、なぜなら、第3話のルクリアの兄妹のエピソードがあったからですね。

そういう、観た人にはすぐにわかる回想シーンがすこし入るだけで、「あぁ・・」ってわかる。

途中出てきた、死期が近いことを悟って、ヴァイオレットに手紙を依頼する少年。
彼も、ヴァイオレットが、少年が「どんなことを手紙にかけばいいか」の気持ちをヴァイオレットが次々に的確に当てるので、「なんでもわかっちゃうんだね」って驚いてた。

でも、最初はそうじゃなかったんだよ。ドールにぜんぜん向いていなかったんだよ。「私にできるでしょうか」っていってたんだよ。
だけど、いろんなことがあって、それがわかるようになったんだよ・・・

ラストの手前で、電波塔が完成して花火がドンドン打ちあがってるお祭りに郵便局の面々が繰り出してるシーン。
テレビシリーズで出てきたおとなしそうなドールの子が、「将来なりたい」っていってたものの第一歩になれたみたいな描写があり。
ああ、そうなったのね、思いますよね。
で、わぁー花火きれい~っていうところで、ずっと親のように面倒をみてきた社長が、いつもその場所にいたヴァイオレットに振り返って何か言おうとして・・
そこにはもうヴァイオレットがいない、っていうことに気づいてさみしそうになるっていうシーン。切なかった。
あまりスポットライトをあびないけど、この「社長」。ほんとうにいいひとなんですよね・・

 

この、最初は「あんなだった」ヴァイオレットの「こころが成長」していくのを見守っていく感じ。
郵便局の「社長」とか同僚たちといっしょに見守っていく感じ。
全体を通じて。これもよかったとおもいます。

そういう集大成がちゃんとこの劇場版になっていたなぁと。
このすばらしい物語が見事に「完結」したなぁと。

いま見終わって、ほんとうにそう思うことができました。


アニメ作品として「絵がきれい」とか「演出がすばらしい」とか。
そういうのはもう言わずもがなにすばらしいのでわざわざ細かくは触れません。

「完成度」が非常に高かったとおもいます。ひとつも不要なシーンがなく、不足とおもうシーンもない。
無理なシーンは・・最後に船から海に飛び込むシーンくらいしかない(あれはさすがにないだろうとおもってしまったw

納得できなかったり、ひっかかったりするところが本当にない映画でした。

いろんなことが全部、ほんとうにすばらしい映画でした。


いろんな映画を見てきましたが、この映画は、テレビシリーズ含め、私にとって人生最高のベストワンになったかも。
「聲の形」「この世界の片隅に」「天気の子」「おおかみ子どもの雨と雪」・・
どれも好きな作品ですが、それらよりもぜんぜん上です。

★★★★★


テレビシリーズ予習したうえで、映画館でみたかったなぁ・・
時間を戻せたらそうしたい。

とってもよかった・・
カトレアさんもよかった・・ ←


それでは、また