東日本大震災復興支援市民活動ネットワーク宮城(代表:阿部 寛行)

※H27年4月を持ちまして本活動は(社)Kotネットワーク本吉に引継ぎました。本ブログは4年間の活動の記録です。

7月17日 気仙沼市 面瀬中学校仮設住宅

2011年07月18日 | 日記

 キッチンメニューは豚肉と野菜の山賊焼き、豚の角煮、鴨肉、野菜たっぷりスープ!

第1陣として、豚の角煮、鴨肉、野菜たっぷりスープの提供

第2陣で、豚肉と野菜の山賊焼きの提供でした。

仮設住宅を回り声かけをして提供をスタートしたのですが、たくさんの方が来てくれて、帰りには「おいしかったよ!」「ありがとう!」という言葉をいただき、とてもうれしかったです。

今日のキッチンは、東京から「TSUNAMI PROJECT」の方々が大勢来てくれて、連携ができていて力強い!とても頼りになるキッチンボランティアの方々でした。一緒にできてうれしかったです。(また、機会があればご一緒に・・・と代表の秋葉さんとは話をし、お別れをしました)

 

 当団体のキッチンは、仮設、避難所とわけることはせず、何回も入っている小泉中避難所のキッチンもいつも仮設住宅へお声かけをしているので、今回も、面瀬中仮設住宅でのキッチンだったので、面瀬中避難所に行き「お昼の提供が仮設でありますので、お声かけをしていいですか」と避難所支援の行政職員に話をしたところ・・・

「お声かけをしては構わないが、行く、行かないは避難者の方の自己判断で行ってもらえればこちらは構わない」という返事。その話をしている間にボランティアに来てくれた方が、避難所のリーダー的な方にお声かけをしたのですが、リーダー的な方は、周囲にいた被災者の方がに「下の人達が食べる者は食べたくない。みんな行くんじゃない」と一言。この一言で、そこにいた被災者の方々は、行くことができない状態となってしまいました。

私達にはわからない精神状態であるのは確かだと思うが、どういう状況、事情であれ、リーダー的な存在の方が行くことを止めることはいかがなものかという疑問は残っている。

 しかし、今回のことで、面瀬中の避難所と仮設住宅の人達の間には、計り知れない亀裂が生じていることがわかった。

 

 子ども広場は、仮設住宅の集会所で実施しました。屋内であったが、子ども達は元気いっぱいで、バランスボール、なわとび、サッカーボウリングなどの種目をチャレンジし、2歳位の子どもから上は60歳くらいのお父さんも参加し、幅広い年齢の方が参加してくれました。

この日のおもちゃやおかしは、昨日カレーうどんを提供してくれたチュガニさんが、ぜひ子ども達に配ってくださいとご提供してくれた物です。チュガニさん、ありがとうございました!!

 

 今日も、たくさんのボランティアの方々が参加してくれ、無事に終えることができました。

 

 今日の開催にあたっては、とても調整が大変でした。
というのも・・・
ボラセンが間に入っていたのですが、キッチンで使用するテーブル、料理をする時などのお水の使用を相談すると、かえってくる言葉が「自分達で用意ができないならやってもらわなくてもいい」「行政の許可がないとダメ」という返事ばかりで、何ため誰のためにやるのか・・・ということがわかっていないように感じらた。

この2点が解消しなければ、キッチンをやることはできないために、別ルートで使用できるようにしてもらったのですが、本来であれば、被災者が主におかれているのであれば、このような対応はないのではないか・・・

この点はとても疑問に残っている。
(ボランティアの自己完結はどこまで?)