二 家庭の変化
一 生活様式の変化
近年の生活の様相を見ると、家族中心から個中心に移行していることが顕著である。「家」とは最小限の社会単位である家族が喜怒哀楽を共に分かち合い、お互いがその中で学んだり、助け合ったりしながら思いやる気持ちを育てるものであり、衣食住を始めあらゆる文化がその中に存在しているものであったはずである。その「家」も、高度経済成長の頃の「核家族」から、一人暮らしの世帯が多くなっている。一人暮らしでない場合でも次第に主人は単身赴任、奥さんはパートに出かけ、大きな子は下宿をし、小さな子は鍵っ子で親が家に帰るまでどこで何をしているのかさっぱり解らない。「家」という建物があり時々戻ったり、寝に帰るだけの場所になってしまっている状況が多くなってきているのではないだろうか。米国の例だと家族が一緒に暮らすのは当然のことで単身赴任など考えられないし、幸せとは家族が一緒に楽しい時間を過ごすことであるらしい。離れて暮らすとすぐ離婚ということになるせいかもしれない。しかし、幸せを家族との時間の中に見いだす努力をしていることはよく考えてみるべきだと思う。
家の造りから見ても昔は建具をはずせば広く使える造りが多かったが、最近は一階はリビングとキッチンそして和室が一部屋で二階は寝室や子供部屋などに区切られた造りになってきている。親戚縁者など多くの人が集まることの多かった時代から家族がくつろぐ時間以外は個別の部屋で過ごす時代への変遷を感じる。
また、このような状況だから、食事についても沢山の煮炊きをする必要性が無くなり、仕事をした後に煮炊きをすることを面倒に感じる人が増加してきている。そうすると、コンビニ・スーパーなどがそのような家庭をターゲットにした戦略で個人単位の総菜や電子レンジで簡単に調理できる冷凍食品やインスタント食品を多様に販売し、家庭での煮炊きの必要性を感じさせなくなっている。
衣類を始め生活必需品についても昔は粗末にせず、大切に使うことが当然のことであったが、その時だけの使い切りで購入する事が多くなってきている。物のデサインなどの変化のサイクルが非常に早くなり一年前に着ていた衣類などを着ることが流行に後れているように感じてしまうのだろう。
欧州などの生活ぶりをテレビ等で見ていると家の寿命も長く親から子へ衣類やその他の物も多く受け継がれているように見える。自動車について日本におけるモデルチェンジと独逸におけるそれを思い浮かべると一事が万事のように感じる。
本来、天然資源に恵まれていない日本にとって無駄遣いはしてはならないことであるし、大切にものを使うことは、小さな物一つから始まって身近な人を大切にする気持ちを育てその時その時に出会う事柄を大事にしていくことにつながり、人を育てていく上においてとても重要なことであるが、肥大化してしまった日本の経済や雇用を考えると大量生産大量消費を続けなければならない。この矛盾を抱えたまま時間を重ねることが大きなジレンマとなり、何が人として大切なのかを見失わせ、刹那的な享楽に時間を費やし、地球に住む生物の一員としてどう生きることが幸福を感じることが出来るのかを考える時間を少なくしてきている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます