2011年6月26日 谷中の町を歩く
<3月11日以降の足跡>
葉山の海-2011年3月26日
京急逗子駅・・・バス・・・葉山公園前・・・徒歩・・・しおさい公園・・・徒歩・・・一色海岸・・・徒歩・・・
県立近代美術館・・・徒歩・・・三ヶ下・・・バス・・・真名瀬・・・徒歩・・・三ヶ丘・・・バス・・・森戸海岸
・・・バス・・・葉山マリーナ・・・徒歩・・・鐙摺・・・バス・・・富士見橋・・・徒歩・・・逗子海岸・・・徒歩・・・
披露山公園・・・徒歩・・・披露山入口・・・バス・・・JR逗子駅
「あの日」以来、投稿することを全く忘れていました。
それほどショッキングな出来事だったのだと思います。
とはいえ、3月の終わりに我慢できず、反対を押し切って葉山の海を見に出かけました。
今考えると、とんでもなく無謀なことをした気がします。
そんなことも思い出しながら、投稿を再開したいと思います。
未だ復旧もままならず大変な苦労をされている被災地の方には心からお見舞い申し上げます。
また、震災で亡くなられた多くの方には心よりお悔やみ申し上げます。
三浦海岸の河津桜がもう終わりそうなので、土曜日に慌てていってきました。
ここのところ週末の天気が安定せず、見ごろを逃してしまいましたが、
土曜日は絶好の行楽日和だったのでカメラを抱えて飛び出していきました。
河津桜はもうすでに葉桜となっているところもありましたが、天気がいいこともあって、
相変わらずの賑わいでした。
<駅前>
以前は線路沿いの遊歩道に沿ってテントの店が並んでいましたが、
線路沿いの道は舗装されて車道になり、テントの店は無くなって、駅前に何店舗かが残っていました。
桜を見ながら買い食いができなくなったので、少し残念。
定番の光景です。
見頃を過ぎてしまっていたのは残念ですが、青空に桜の色が映えてとても気持ちのいい日でした。
おわり
週末になるとお天気のほうがどうも・・・
という感じの今日この頃ですが、梅も見ごろを過ぎているところもあり、
早く見ないと終わっちゃう。ということで小石川のほうへ出かけてみました。
この日も朝方は日が射していてお出かけ日和かと思いきや、
現地に着いた頃にはもう曇り空になっていました。
小石川後楽園に入ると、梅園の梅は咲いてはいたのですが、いまいち勢いがみられません。
近づいてよーく見ると、ところどころ花が落ちていて、まばらになっているものもあります。
聞くところによると、2月の初め頃がピークだったようです。
たまたまサギがそばで餌をあさっていたのでモデルになってもらいました。
これでは少々物足りない気分だったので、ここから割と近くの小石川植物園に行くことにしました。
「梅見のはしご」とでも申しましょうか。
ここは少々不便なところですが、東大の研究施設だけあって園内は珍しい植物でいっぱいです。
わたし的にはこのピンクの椿はとても珍しいものでした。
さて、梅園へと向かうと、割と広い場所に結構な本数の梅の木がありました。
ただ、ここも花がところどころ落ちていて、残念ながら見頃というわけではありませんでした。
しかも空はますますどんよりと曇り、せっかくの紅梅の色も冴えません。
晴れていればもう少しぱっと咲いた感じがするのかもしれません。
仕方なく旧東京医学校を見ながら帰ることにしました。
おわり
荏原神社の寒緋桜が満開になったよ。と聞いて、
いつもなら即カメラを持ってチャリンコを走らせ撮りに行くのですが、
たまたまカメラを修理に出して修理上りが10日位になると言われていたので、
いつもの勢いもなく、「ふーん。」と気のない返事をして休みの日もごろごろするつもりでいたのですが、
休みの前日の夕方宅急便が届き、開けてみると修理上りのカメラが入っていたのです。
一週間早く届いたカメラを手にして、早速現場に急行しました。
寒緋桜はほぼ満開でちょうど見ごろです。
メジロやヒヨドリもいつも通り賑やかに飛び回っていました。
三崎口の駅でバスを降りて、線路沿いの下り坂の道を下りていきます。
三崎口の駅はこの近辺では一番高台にあり、どちらの方向に行くにも一度は坂を下ります。
線路沿いの道は三浦海岸方向に戻ることになりますが、結構急な下り坂です。
地図を頼りにしばらく歩いていくことになりますが、坂の途中で右に入ってみました。
周りは住宅街で、結構大きな家が立ち並んでいます。
再び左に曲がって坂道を下りますが、並木道の両側が静かな住宅街です。
「何かいいな、ここら辺は駅からも近いし、環境は抜群だし。でも毎日この坂道は年を取ったら嫌だな。」
と、勝手なことを考えながら歩いているうちに坂道を下りきり、溝川に突き当たりました。
地図ではこの溝川に沿って歩くようになっています。
溝川沿いに道があり、ここも両側は住宅街です。
歩きながら溝川を覗いてみると家がたくさん建っている割には意外にきれいな流れで、匂いもほとんどありません。
「ここら辺は水がきれいなんだな。」
しばらく歩いているうちに道は突き当たり、地図を見ると右方向だったので右に曲がりました。
するとすぐにほかの道に出て、角に車が止まっており、車の窓ガラスに張り紙で「← 妙音寺」と書いて張ってありました。
車の後ろ側は、山になっています。
張り紙の通りに歩いていくと、道は右手に折れており、曲がり角に赤いのぼりが見えました。
曲がり角は道が二又に分かれていて、分かれ道の角に妙音寺への標識がありました。
標識の方向に進むと右手に高い塀が続いていて、塀の下には赤いのぼりが何本も立っていました。
さらに進むと、のぼりの数も増え、両側に立っていました。
「ずいぶんご丁寧だけど、これなら分かりやすいな。」
塀の下には水仙が花を開いていました。
さらに進むと、右手に妙音寺の入り口があり、階段が上に伸びています。
階段を上がると境内に入りますが、仏像やら、お地蔵さんやらが所狭しと置いてあります。
正面の本堂でお参りを済ませ、左手の社務所で御朱印をいただきます。
出てきたのは若いお坊さんで、他にも一人若いお坊さんがいました。
ここは山の中腹で、右手のお地蔵さんの脇に狭い上り階段があって、山の上に続いているようでした。
もうかなり日も落ちてきたので上に行かずに引き返すことにして後ろを振り返ると、ここにも行者さんのような銅像がありました。
銅像に向かって手を合わせて、階段を下りていきました。
階段を下りて門に向かって軽く頭を下げ、帰ろうとしてふと左手を見ると、塀に何か大きな看板が見えました。
何か山の上の地図みたいで、てっぺんには大日如来の像があるみたいです。
「ああ、先ほどのお地蔵さんの脇の階段を上がっていくと、あそこに行けるのか。」
納得しながら向かいの駐車場に入り、山のほうを見ると確かにてっぺんに大きな仏像が見えました。
ちょうど西日が当たって後光が差しているみたいです。
時間を見るとすでに4時になろうとしていました。
「さあ、帰ろう。」
七福神めぐりを無事に終えた満足感を覚えながら、帰路につくことにしました。
約8時間の長い道のりでした。
御朱印の色紙です。
おわり
三浦七福神めぐりもあと二箇所を残すだけとなりましたが、
シーボニアのバス停から三崎口行きのバスに乗る頃には午後2時半を回っていました。
冬の日没は早いので、これから二箇所を回るのは少々無理があるかなとも思いましたが、
一か所残して帰るのも嫌だと思い、とにかく先を急ぎました。
次の目的地は三崎口駅から荒崎方面行のバスで一つ目の宮田にある延壽寺です。
油壷方面からバスに乗ると、いったん三崎口で降りて荒崎か横須賀方面行のバスに乗り換える必要があります。
三崎口の駅から近いので、時間はそれほどかかりません。
宮田のバス停で降りて少し戻ったところに赤いのぼりが立っていました。
のぼりの立っている角を右に入ると、一面茶色の原っぱが目の前に広がります。
「こんなところにお寺があるのか?」
怪訝に思いながら西日がまぶしい草原の道を進んでいくと、道は突き当たりました。
突き当たりにまた赤いのぼりがあり、道案内の看板が立っていました。
突き当たりを左に曲がると進むたびに丁寧な道案内があります。
赤いのぼりを伝っていくと、お寺の門がありました。
ここが寿福大黒天延壽寺です。
三浦七福神の中では割と大きなお寺です。
門を入ると提灯のぶら下がった鳥居のような入り口があり、その先にお浄め所と本堂があります。
本堂に入ると正面に御本尊がありますが、入るとすぐにお賽銭箱があるのでここでお参りをしてから靴を脱いで上がります。
左手に御朱印所があり、半纏を着た若旦那風のお寺の関係者の方が愛想よく迎えてくれます。
何か温かい雰囲気でほっとします。
色紙を渡すと、大黒天の御朱印だけでなく、交通安全の判など4~5箇所くらいポンポンと押してくれました。
ここでふと何か後ろめたい気持ちになりました。
なぜかというと、先ほどお賽銭を上げるときに100円玉を出したつもりが何か軽くて、投げた時にそれが1円玉だと気づきましたが、
時すでに遅く賽銭箱の中に入ってしまったのです。
御朱印料300円を支払いましたが職員さんの温かいお迎えに何か申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
「ごめんなさい大黒さん。」
と胸に念じながらこのお寺を後にしました。
先ほどの原っぱの道に戻り、再び三崎口行きのバス停に立ってバスが来るのを待ちます。
さて、次はいよいよ最後の目的地である三崎口の妙音寺です。
時間は3時を少し回っていました。
「何とか最後まで回れそうだ。」
足から腰にかけて痛みも覚えてきましたが、もう少しなので我慢です。
10分ほど待つとバスが来たので乗り込み、三崎口に向かいました。
つづく
東岡バス停から三崎口行きのバスに乗った私は油壷入口バス停で下車しました。
降りるとき運転手さんに、
「油壺行きのバス停はどこですか?」
と聞いたところ、
「このバス停の先の信号を左に曲がってすぐのところですよ。」
と教えてくれました。
言われた通りに行くと、すぐにバス停がありました。
時間を見るとまだあと15分近く待たなければなりません。
「なんて不便なところなんだ。」
車を持たない自分を呪いながらひたすら待ちます。
待っている間に先ほどバスを降りた通りを見ると、三崎港方面、三崎口方面行きのバスは、
ひっきりなしに通っているように見えます。
こちらには全く来る気配がありません。
時間を見るとまだあと5分もありました。
やっとのことでバスがやってきて、やっと座れたと思ったら2つ目の小網代バス停で降りなければなりません。
5分も乗らないうちに着いてしまいました。
「何だ歩いたほうが早いじゃないか。」
今更後悔しても仕方ありません。
ところでこのバス停の近くには全く、のぼりとか標識がありません。
これまでお参りした寺社のそばには必ずのぼりがあり、何らかの標識がありましたが、
ここには全くありません。
どこへ行ったらいいのやら全く分からず、少しの間あっちこっちを見回していましたが、
分かりそうにないので、ちょうどバイクで何処かに行こうとしていたおじさんをつかまえて、
「ちょっとすみません。白髭神社にはどうやって行ったらいいのでしょうか?」
と聞きました。するとおじさんは、
「あっちのほうに工事のランプがちかちかしているのが見えるでしょう?あのランプのところから左に入る道があるから
そこを曲がって、坂を下りたらまた誰かに聞いてください。」
と中途半端に教えてくれましたが、何か相当わかりにくそうなところであることは間違いなさそうです。
いわれた通り、工事のランプのところを鋭角に曲がりると、住宅街に入っていき、
少し歩くといきなり目の前に入り江が見えました。
「うわーっ、ここを下りていくのか。」
ここからは急な下り坂になっていました。
坂を下りながら、
「ここら辺の人は毎日こんな坂を上ったり下ったりして生活しているのか。大変だ。」
と余計なことを考えながら降りていくと、やはりどこを見渡してもなんの標識もありません。
「なんて不親切な神社なんだ。それとも辿り着いた人に御利益があるということかな。」
などと不謹慎なことも考えてしまいました。
下りきった所に超狭い十字路があり、その角に店があったので覗いてみると店主らしきおじさんが一人で立っていました。
店の戸をあけて、
「ちょっとすみませんお尋ねしますが、白髭神社はどうやって行けばいいのですか?」
するとおじさんは慣れた口調で、
「この道を左に曲がってまっすぐ行くと海へぶつかるから、右のほうへ歩いていくと、白髭神社の入り口がありますよ。」
と、教えてくれました。
私みたいな迷子が時々来るのでしょう。
おじさんが言った通りに行くと、確かに海にぶつかり正面の柵にのぼりが立っていました。
「ここに立てるか?」
ちょっとイラつきながら言われた通り右に曲がり、しばらく歩くと、何かだんだん道が狭くなっていきます。
左手には海が迫り、右手には山があります。
左手の海は入り江になっていてボートやヨットが多数停泊しています。
細く暗い道を勇気を持って進んでいくと、突き当たりが何か茂みになっていて鳥居のようなものが見えました。
「ひょっとしてあそこが白髭神社か?」
さらに進んでみると、間違いなく神社の鳥居でした。
鳥居の先はすぐに山です。
「なんてとこにあるんだろう。」
一礼をして鳥居をくぐってみると小高くなったところにお堂が見えました。後ろは山になっています。
階段を上り、お参りを済ませて右手奥にあるプレハブ風の社務所(?)に行くと女性の職員さんがいました。
御朱印を押してもらい、御朱印料300円を支払って戻ろうとしたとき、トイレに行きたくなりました。
社務所に引き返し、職員さんに、
「トイレありますか?」
と聞くと、
「ここはトイレがないんです。申し訳ありませんが、シーボニアの下に公衆トイレがあるのでそちらを使ってください。」
シーボニアとはヨットハーバーの中のマンションで、ここに来るときに入り江の向こうに見えました。
ここから歩くと、結構な距離があります。
「分かりました。どうもすみません。」
私は神社を後にして、元来た道を引き返しました。
今となっては入り江の風景を落ち着いて見られますが、静かで穏やかな入り江の向こうに富士山が見えました。
入り江沿いの細い道を戻っていくと、なんと標識があるではないですか。
来るときには全く目に入りませんでした。
それだけ不安でいっぱいだったのでしょう。
さて、最初にのぼりを見たところをそのまままっすぐに進み、シーボニアヨットクラブの前に来ました。
すると、門を入る手前の左手に公衆トイレがありました。
さっそくトイレに入り、ほっとした気分で周りを見渡すと、トイレの先に上り坂があったので、
シーボニアを右に見ながら上っていきました。
このマンションは目の前が相模湾で富士山が真ん前に見えます。
「こんな所に住んだらさぞかし長生きするだろーなー。」
などと思いながら登っていくと、バス通りに出ました。
通りに出る角のところに赤いのぼりがいっぱい立っており、ここが白髭神社への入り口であることが分かりました。
通りを左に行くと、すぐにバス停があり、「シーボニア入口」と書いてありました。
このバス停は来た時に下車した「小網代」バス停の一つ先になります。
「ウソだろー。パンフレットの白髭神社の行き方のところに「小網代下車」と書いてあったじゃないか。」
まあ、どちらにしても結構わかりにくいことは確かです。
ほどなく三崎口行きのバスが来たので乗り込み、ほっとしたところで、
「ああ、あと二箇所か。時間は大丈夫かな。」
今午後2時を少し回った所でした。時間的には4時ごろまでには終わらせたいものです。
残された妙音寺、延壽寺は三崎口駅の近辺です。
「よし、急ごう」
とにかく行ってみるしかない。と、次の目的地へと向かいました。
つづく
お腹も満たして少し元気になった私は、
三崎港から浜諸磯方面に向かって海岸沿いの道を歩き始めました。
地図ではこの道を行くと二町谷というバス停があって、
その近くから少し入ったところに次の目的地である見桃寺があるようです。
魚の加工工場らしき建物を両側に見ながらしばらく歩くと、景色が開け、左に漁港が見えてきます。
その先にバス停があり、そばに赤いのぼりが立っていました。
進行方向に向かって右側に見桃寺の標識があり、この路地を入っていきます。
少し奥に入ると、左手に赤いのぼりが見え、門が見えました。
ここが桃林布袋尊見桃寺です。
大きな声では言えませんが、何か幼稚園の入り口のような門です。
入っていくとお寺らしからぬ?建物の真ん中に階段があり、階段の上の扉が少し開いていて、
お賽銭箱が見えました。
「ここが本堂だよな。」
遠慮がちに階段を上がると、扉の隙間から正面に仏壇が見えました。
お参りを済ませ、右手のサッシの窓が少しあいていたので中を見ると、
職員らしき人が一人で椅子に座っているのが見えました。
「すみません、御朱印をいただけますでしょうか?」
と、窓から声をかけると、
「はい、ただいま」
と、窓のところまで来て、すぐ下のテーブルの上で御朱印を押してくれました。
「ありがとうございました。」
と言って御朱印代300円を支払い、一礼をして(これが大切です。)元の道に戻りました。
再び海岸の通りに出ると、漁港の向こうに富士山が見えました。
この道を再び三崎港へと戻り、次の目的地である白髭神社へ行くために油壷行きのバスの時間を調べなければなりません。
この道をさらに浜諸磯方面に進み、油壷湾を通って小網代湾まで行けば白髭神社に行けそうですが、
初心者である私にはそのパワーはありません。
ここは、三崎港から王道を行ってバスで油壷方面に向かうことにしました。
さて、三崎港のバス停で油壷行きのバスの時間を見ると、ちょうど行ったばかりで、
次のバスまで40分ぐらいあります。
待っているのも時間がもったいないので、東岡まで歩いて行って別系統のバスがないか見ることにしました。
坂道をしばらく上がっていくと右手に東岡バス停があり、案内所があったので、女性の係員に聞きました。
「油壷行きのバスはどこから乗ればいいですか?」
係員の人は、
「油壷行きは通りを渡った向こう側ですよ。今の時間だと・・・」
時間と時刻表を見比べながら、
「25分のバスは行っちゃったからあと20分ぐらい待ちますねー。三崎口行きのバスがあと5分くらいで来るから、これに乗って
油壷入口で乗り換えたほうが早いかもしれない。降りるときに運転手さんに油壷行きのバス停の場所を聞いてください。」
と、丁寧に説明してくれました。
「ありがとうございます。」
と、お礼を言って、道の反対側の停留所に行きました。
停留所に着くと、これまで歩いてきた疲れが出てきたのと、坂道を上ってきたこともあって、
急に足が攣ってしまいました。
停留所のの脇の家の壁に寄りかかり、攣った足を前後左右に動かして何とか戻りました。
そのうちに三崎口行きのバスがやってきて座席に座ると、
「渡りに船とはこのことだなー。」
とほっと一息つきました。
つづく
宮川町で無事バスに乗れた私は、早く三崎港に着いてくれないかと必死に祈っていました。
何故ならこれまでトイレを我慢してギリギリの状態になっていたからです。
ところが私の願いとは裏腹に、バスは速度制限30キロの畑の中の道をのろのろと法定速度で走っています。
やっと港が見えて、「ああ、もう少しだ。」とやっといくらか安堵感を覚えました。
三崎港に着くや否や、漁港の脇の「うらり」に駆け込みトイレに入って用を足すと、
何とも言えない充実感でいっぱいになりました。
とりあえず次の目的地の海南神社に向かうことにします。
バス停から港と反対方向に進みます。
商店街の入り口に海南神社の看板がありました。
ここを左に入ると、突き当たりに海南神社が見えます。
神社に入ってお参りを済ませ、御朱印をいただいて神社を後にしました。
この神社は今頃の時期にユネスコ無形文化財の「チャッキラコ」の舞が奉納されます。
私がここを訪れた一週間後の1/15日に催されたそうです。
「残念。見たかった・・・。」
港へと戻り、何やらお腹が空いてきたので休憩を兼ねて、少し早いですが昼食をとることにしました。
うらりの向かいに何軒か料理屋さんが軒を連ねていますが、
私は三崎港に来ると必ず立ち寄る立花さんに入ることにしました。
まだ11時前だったので店の人が掃除をしていました。
「今日は何時からですか?」
と、やや白々しく聞くと、
「ああ、11時からですけど入ってお待ちください。」
と、期待した回答に満足しながら入らせてもらいます。
2階に上がって港が見える窓際の席に座ります。
「やれやれ。」
すっかり足が棒になっていたので、ほっとしました。
ビールとマグロの二色丼を平らげて店を出ました。
ここから次の目的地の見桃寺までは歩いて行ける距離です。
私は港の脇の道を浜諸磯の方角に歩き始めました。
つづく
金田から再びバスに乗り、剱崎を通って毘沙門の停留所で下車しました。
この辺りは何度か歩いたことがあるので大体場所はわかりました。
バス停を降りると道の向かい側にガソリンスタンドがあり、その手前に赤いのぼりがあって、
ここが慈雲寺への入り口になっていました。
道を渡ってこの入口を進むと突き当たりにお寺の門が見えました。
白浜毘沙門天慈雲寺
小さなお寺ですが、毘沙門さんは厄除けの神様なので、今年前厄の私は丁寧にお参りをしました。
御朱印を押していただき、先へ進みます。
バス停でバスの時間を見たら次のバスまで50分ぐらいあったので、迷わず歩くことにしました。
この先はしばらく三浦の広大な畑が続きます。
2つ先の停留所までは割と近いのですが、そこから先は30分ぐらいは歩かなければいけません。
とりあえず2つ先の停留所まで歩き、時間を見ることにしました。
2つ先の大乗停留所まで歩いてかなり体が熱くなり、停留所で持っていたスポーツドリンクを飲み、休憩します。
トイレに行きたくなったのですが、周りは一面の畑で公衆トイレなどありません。
住宅はあるのですが、知らない家に突然押しかけてトイレを借りるのも嫌だったので我慢することにしました。
ここから歩くとすると、次の宮川町停留所までは速足でも30分はかかります。
この停留所での時刻表で、次のバスが36分後だったので思い切って歩くことにしました。
決めたのはこの先の景色を歩いて見たかったからです。
しばらく上り坂が続き、体力を奪っていきますが、畑のはるか先に見える海と、伊豆大島、
時々見え隠れする富士山の景観を楽しみながら歩くと、疲れもだいぶやわらぎます。
しばらく歩くと、宮川町の風車がだいぶ近くに見えてきました。
「ああ、もう少しで停留所だ。」
足もだいぶ疲れてきて、足の裏に痛みを覚えてきました。
次のバスが来るまでおそらくあと10分くらいだと思ったので、我慢して歩きます。
やっとのことで宮川町のバス停にたどり着いたとき、次のバスが来るまであと5分のところでした。
「やれやれ」
安心したとたんに猛烈にトイレに行きたくなりました。
「早くバスが来てくれ。」
待っているときは長いものです。
やっとバスが到着し、乗り込むと、車内が暖かいので少し我慢が出来そうでした。
「はやく三崎港についてくれ。」
祈りながらバスに揺られていくのでした。
つづく
2011年新しい年が明けました。
昨年もいろいろありまして・・・異常に暑い夏、宮崎の口蹄疫、ワールドカップ・・・etc.
今年は良い年でありますように。と、思いつつ、去年の暮れから毎度同じような行動パターンの私です。
そこでふと考えました。「ここのところ公私ともに忙しくて、歩いていないな。これはいかん。
三浦にも行っていないしなー。そうだ、三浦の七福神めぐりに行ってみよう。」
と、相変わらず思い付きだけで行動しようとする自分に呆れながらも、
すでにパソコンに向かって三浦七福神の公式サイトを開いていたのですが、「参拝の心得」のタブで、
「動機はどんな形であっても構いませんが、寺社へ訪れることは、「神仏にお参り」をしているという事だけは忘れないでください。観光気分
で訪れ、他の参拝者の迷惑にならないようご注意下さい。他にも各寺社ごとに決められた規則があります。折角のお寺参りで、自分の心を
汚すことの無いよう心がけてご参拝ください。」
のくだりを見て、あまりにも軽い自分を戒める意味もあって、「よしっ! 明日は5時起きだ。1日で回りきるぞっ。」
と、覚悟を決めたのでした。
さてそんな訳で、早朝5時に起きた私はしっかりと準備をして6時15分の電車に乗って三浦へと旅立ちました。
三浦海岸の駅で下車し、寒さに体を縮めながら三崎東岡行きのバスを待ちます。
「今何時ごろだろーか」
と、ケータイを取り出そうとしてバッグに手を入れた時、ケータイがないことに気が付きました。
「ヤバイ」
昨日充電器につけたまま忘れてきてしまいました。
私は腕時計を持たないので、いつもケータイを時計代わりにしています。
ケータイが無いと、行った先でバスの時間が確認できません。
三浦はよく歩くことがありますが、これから行こうとする場所は通り沿いに時間が見れるところなどありません。
バスは一時間に一本ぐらいしかない場所もあるので、時間がわからないと効率よく回ることが不可能です。
「弱ったなー。」
バスを待ちながらどうしようか思案しているうちに、
「そうか、カメラで時間が見れるんだ。」
急いでカメラを取り出し、駅の改札に戻って駅の時計の時間とカメラの時計の時間を比べたら、ほぼ合っていました。
「良かった。」
ほっとしていると、そのうちにバスがやってきました。
バスに乗り込み、「さあ、出発だ。」
最初の目的地は金田の円福寺です。
海岸沿いの金田バス停で下車し、停留所から少し戻ると赤いのぼりが見えてきます。
のぼりのあるところから入る道があり、角にはお地蔵さんがありました。
お地蔵さんに手を合わせ、路地を入っていきます。
すると、円福寺への案内板があり、ここを右に入っていきます。
少し歩くと、突き当たりに円福寺の門が見えました。
なかなか立派な門構えのお寺です。
ここは恵比須さん(金光恵比須尊)のお寺です。
中に入るとすぐ正面にでかい木がでーんと構えています。
この大木をかわして進むと、奥のほうに階段が見えてきます。
階段の手前に石で出来た七福神の像がありました。
階段を上って本堂に向かいます。
本堂でお参りを済ませ、本堂の左手の納経所で、御朱印を押してもらうための色紙を買いました。
色紙900円+御朱印料300円の計1200円をお支払すると、ガイドブックも進められ、500円で購入しました。
なかなか立派なガイドブックで、コースの道順も載っているので、前もって調べれば近道がわかります。
私がお参りを済ませた後、ぞろぞろと5~6人ぐらいの中高年のご婦人のグループがやってきました。
「車ですか?」
と聞かれたので、
「いや、バスと歩きです。」
と答えたら、
「私たちはすべて歩きで回ります。」
と言っていました。
いやはや女性というのは強い。
さて、円福寺でのお参りを済ませた私は再びバス停に戻りバスの時間を見ると、次のバスまであと20分ぐらいありました。
時間つぶしに海岸を少し歩いてみようとバス停から少し行くと、砂浜が何やらざわざわ動いているのが見えました。
「なんじゃ?」
立ち止まってよく見ると、カモメの集団が砂浜で休んでいるのでした。
しばらく野鳥観察を楽しんだらそろそろバスの時間が来たのでバス停に戻りました。
再びバスに乗って次の目的地の毘沙門を目指します。
つづく