お散歩ギャラリー

お散歩の内容と写真です。

奈良珍道中(完結編)~平城宮跡へ行くの巻2

2010年12月30日 21時51分08秒 | Weblog

大極殿の前に近づくと、脇に行列が出来ていました。

大極殿に入る人の行列ですが、かなり長く続いています。

私たちも大極殿の中に入ろうと行列の最後部につきましたが、この混雑では何時入れるのか分かりません。

30分位並び、やっと大極殿の脇の入り口にたどり着きました。

中に入ると、真ん中にどーんと高御座(たかみくら)があり、中には玉座が据えられています。

建物の外に出ると、正面から前庭が見え、その遥か前方に朱雀門が見えます。

前庭では午後3時からのフィナーレのためにステージが用意されています。

「さぞかし華やかなステージになるんだろーなー。」と楽しみでしたが、

そこで突然連れ合いが何を思ったか、「もうここはいいから、奈良公園に行って鹿を見たいよ。」などと言い出しました。

「何言ってんだよ。ここまで来てフィナーレを見なかったらどうしようもないじゃないか。」と私。

そういえば昨日ホテルの部屋でTVを見ていたら、地元の放送で奈良公園の鹿が出て来るシーンがあって、

それを見て「ああ奈良公園の鹿、懐かしいなー。」と連れ合いが言っていたのを思い出しました。

私たちが最初に奈良を訪れたときは、東大寺や春日大社や奈良公園で思いきり鹿と接したので、そのときの記憶が甦ったのでしょう。

仕方なくここを切り上げて、奈良公園に戻ることにしました。

平城宮跡に別れを告げて、ホテルに戻り自転車を返した後、タクシーで奈良駅に向かいました。

奈良駅から奈良公園に向かって歩き出すと、興福寺の前の鹿せんべい屋さんの周りには全く鹿がいませんでした。

時間は午後2時少し前ですが、辺りを見回しても鹿の影が見えません。

もう少し歩いて行くと、右側の広場の中に鹿が2~3頭見えました。

寝そべっている1頭に近寄ると、何か疲れ果てたようにあまり動きません。

鼻の下の地面には鹿せんべいが転がっていましたが、全く食べません。

ほかの2頭はゆっくりと歩いていましたが、そのうちの1頭は私たちのほうに近づいてきて、すぐに離れていってしまいました。

連れ合いはもう1頭の立ち止まっている鹿のところに行き、頭をなでていましたが元気が無く、逃げるそぶりも見せません。

先程離れていった1頭は子供に追っかけられて迷惑そうにしていました。

「何か今日は鹿が元気ないなー。体の具合が悪いのかな。それとも観光客疲れしているのかな。」

とベンチに腰掛けて自分勝手に想像しながら、

「そうか。今日は正倉院展をやっているんだった。」と鹿とは全く関係ないことを言い出しました。

「ちょっと行ってみようか。」と私が言うと、「TVで見たらすごい行列だったよね。」と連れ合い。

私は「行ってみて駄目そうだったら帰ろう。」

まだ帰りの電車までにはたっぷり時間があります。早速国立博物館に向かって歩き出しました。

博物館の前まで来ると、入り口から池の脇まで長い行列が出来ていました。

「どうしようか。」しばらく立ち止まって考え込んでしまいました。

行列を見ていると、全く動かないわけではなく時折ぞろぞろと動き出します。

それを見ているうちに何かお腹がすいてきました。そういえば昼ごはんがまだだったのです。

池の脇の広場にはテントがあってテーブルが並んでおり、、その横で色々食べ物を売っていました。

テーブルに座っていたおっさんが美味しそうにカレーを食べているのを見て、「あれにしよう。」と

カレーを2つ買いました。テーブルに座って食べ始めると、これが中々旨いのです。

スパイスが効いたカレーと、赤い十穀米の歯ざわりがめっちゃよく合って、とても美味しいです。

食べ終わってお腹が満ちたので元気が出たせいか、行列に並ぶ気力が起きてきました。

行列は来たときよりも若干ですが短くなっていたような気がします。

切符を買って最後尾につき、しばらく行列の中で時間が流れていきました。

やっと博物館の入り口にたどり着いたときにはもう4時近くになっていました。

入って2回に上ると、フロアには人が溢れていました。

とくにTVなどで紹介されていた「螺鈿紫檀五弦琵琶」のケースの前は長い行列が出来ていました。

「伎楽面酔胡王」とこの琵琶だけでも見ていかなくてはと、ぎゅうぎゅう詰めの行列に入りました。

押し合い、へしあいしながらケースの前に近づくと螺鈿が散りばめられた琵琶が目の前にありました。

「これが1300年も前の物なのか?信じられん。」形も色もまるで新品のようです。

写真に収めたい衝動に駆られましたが、それは出来ません。

伎楽面は思ったより大きく、重そうでした。「こんなの被って踊れたのかなー。」

もっと空いている時に全ての宝物をゆっくり見て回りたかったのですが、何しろこの人です。

30分もこの中にいると人の熱気だけで頭がふらふらしてきました。

書もいっぱい展示されていたのですが、もう体力も限界に来ていたのでざっと流してみることしか出来ませんでした。

一旦休憩室に入って一息ついていると、休憩室の窓ガラスに向かって人々が盛んに写真を撮っています。

「何なんだろう?」と、窓のほうを見ると、真っ赤な夕日が窓ガラスに差し込んでいるのでした。

「平城宮跡でこの夕日を見たら綺麗だったろーなー」と後悔をしながら博物館を出ました。

さて、近鉄奈良駅に戻って一番近い時間の特急電車を探したら20分後の特急が空いていました。

少し時間があったので、お土産を買うことにしました。

私は地酒の春鹿を買っていくのが目的だったので、駅の中を探したのですが売っている店がありません。

仕方なくまた外に出て、東向き商店街に入り、お土産やさんに入りました。

ここで春鹿を売っていたので早速購入し、また駅のほうに向かいました。

行基さんの噴水の前に来たとき、何やら人が集まっているのが見えました。

そこには古代衣装をまとった若い女の子たちが人々と写真を撮っていました。

私も急いでシャッターを切り、駅の中に入っていきました。

あの女の子達は平城宮跡のイベントから戻ってきてここで打ち上げでもやるのでしょうか?

私たちは特急電車に乗り込んで「やれやれ」と、短いようで長かった2日間の出来事を思い出しながら、うとうととし始めました。

「ああ、疲れた。」

 

おわり


奈良珍道中~平城宮跡へ行くの巻1

2010年12月26日 01時25分54秒 | Weblog

一夜明けて、今日は平城宮跡を目指します。

平城宮跡に程近いホテルに泊まった私たちは、ホテルでレンタサイクルを借り、さあ、出発・・・

と、「待てよ。お金あったかな。」昨日一日歩き回って、結構財布の中身が寂しくなっています。

先ずはお金を補充しなければ、何となく不安になります。

ホテルの従業員の人に、「ここら辺に郵便局はないですかね。」と聞くと、

「うーん、この近くには無いですね。」といいながらフロントの奥から地図を持ち出してきて、

「新大宮の駅の近くまで行けば、大きな郵便局がありますが。」

新大宮はここから自転車なら10分位で行きそうです。

ホテルの前の大通りを新大宮に向かって走り始めました。

しばらく走ると、通り沿いに大きな郵便局がありました。

ここでお金を補充して、またホテルの方角に走り始めました。

途中、ちらっと宝くじ売り場が見え、窓口のガラスに「大安吉日 一粒万倍日」という札が貼ってあるのが目に付きました。

「大安吉日と一粒万倍日が重なっているのか。これは買いだな。」と自転車を止め、スクラッチを10枚買いました。

「こういうことをしているからお金が無くなるんだよな。」と思いつつもうきうきしながら再び走り始めました。

ホテルの前を通り過ぎて、さらに10分位大通りを行くと、右側に平城宮跡への入り口が見えました。

交通案内にしたがって入っていくと、原っぱの中ににわか作りの駐輪場がありました。

かなりの数の自転車が置いてあるのでなかなかスペースが見つかりません。

結局奥のほうの、かなり地面がでこぼこの場所が空いていたのでここに止めました。

辺りを見回すと、イベントに参加する人々が思い思いの衣装を着て踊りの練習をしていました。

その向こうに朱雀門が見え、前の広場が何やら賑やかになっていました。

近づいてみると、どこかの団体が赤いはんてんで踊っている所でした。

今日は1300年祭のフィナーレの式典が行われる予定で、各所でパレードや、踊りが行われています。

朱雀門の向こうへ行ってみることにしました。

朱雀門をくぐると、前にだだっ広い平原が広がり、見物の人がぞろぞろと歩いているのが見えました。

広い敷地の中を行列に入ってぞろぞろと歩いて行くと、線路にぶつかり、踏切を渡るのに交通整理があったため、

ここで人の流れが止まってしまい、しばらく待たされました。

やっと渡ることができて、後ろを振り返ってみると、朱雀門の前を電車が通利過ぎてゆき、

TVで見たような光景になりました。

原っぱの脇の道をしばらく歩いて行くと、何かパレードのようなものがこちらに近づいているのが見えました。

近くになると、車に乗っていたのはあのせんとクンでした。

近づいてみると、なんとも微妙なキャラクターです。

何処かしらあの大塚さんに似ていて(どちらがどちらに似たのかは分かりませんが・・)きも可愛いとでもいうのでしょうか。

さらに行くと、古代の衣装をまとったスタッフが荷車を押していました。

さらに敷地の奥に向かうと、第一次大極殿が見えてきました。

それにしてもこの広さはなんだろう。

少し疲れたので、ベンチに腰掛けてしばらく休むことにしました。

 

つづく

 


奈良珍道中~奈良町へ行くの巻5

2010年12月22日 21時57分34秒 | Weblog

身代わり申を買って奈良町資料館を出た私たちは、去年歩いた所へ行ってみようと、

細い道をくねくねと歩き始めました。

ところがよく道を覚えておらず、しばらくうろうろしているうちに、いきなりあの「元興寺塔跡」の門の前に出ました。

「え?こんなに狭かったっけこの道。」

何か、どこかの住宅街の路地に迷い込んだような道です。

記憶にある道はもっと広くて、商店街の一角ぐらいの感覚でいました。

この通りを少し行くと、「紅屋」さんがあるはずです。

紅屋さんはありましたが、こじんまりとした、これも記憶よりはかなり狭いお店でした。

どの通り、どの建物も、去年来たときより一回り小さくなったような気がしました。

やはり雨が降って、人通りが少ないと、広く大きく見えるのでしょうか。

去年は寒さに震えながらも気が急いていて紅屋さんの中には連れ合いだけが入りましたが、

今回は私も入ってみました。和風の雑貨が店内いっぱいに置いてありましたが、男の私にはあまり興味がわきません。

連れ合いは娘への土産に、和風柄のシュシュを2~3個買って行きました。

紅屋さんを出た頃には夕方も4時を回っていました。

「ああ、今日も元興寺を見られなかったなー。」

5時半に近鉄奈良の駅前の居酒屋さんを予約してあるので、まだ少し時間がありました。

「ちょっとどんな所か前まで行ってみようか。」

ここから10分以内で行けるし、丁度方角も同じなので、元興寺の前まで行ってみることにしました。

去年寒さをこらえきれずに、思わず入ってしまった奈良町情報館の先を少し行くと、

元興寺の駐車場の見える路地の前に来ました。

路地の突き当たりに門が見え、職員の人が手前の駐車場の前にいた男性と何か話していました。

私たちは、「あれが元興寺だ。」「もう今からじゃ入れないね。」などといいながらも、門のほうへ近づくと、

いきなり職員の人と話していた男性が近づいてきて、「元興寺に来られたのですか? 」

「ちょっともう時間が遅くて、外から見たかったので。」と私が言うと、

「どちらから?」

「東京から来ました。」と連れ合い。

「ああ遠くからよく来られました。是非中に入ってみてください。」

と、拝観券を私たちにくれ、自分も私たちを先導するようにさっさと中へ案内してくれました。

「もうすぐ閉門時間になるので特に見ていただきたいところしかご案内できませんが。」

と、国宝の極楽堂と、極楽坊禅室の周りをぐるりと回り、丁度二つのお堂が眺められる墓地の中ほどで、

瓦のことを丁寧に説明してくれました。

要約すると、この建物の瓦は飛鳥時代からのもので、大変な価値あるものだということです。

私は瓦もいいのですが、ぐるっとひと回りしたときにチラッと見えた極楽堂の曼荼羅に非常に興味をそそられました。

「奈良町はもともと元興寺の境内だったのです。この禅室はそのほんの一部です。」

「奈良町資料館のあたりが本堂だったのです。」

へえーっ。奈良町全体が元興寺の境内だったのか。めちゃめちゃ広いお寺だったんだ。

ということは(奈良町)=(元興寺)ということになるな。

ここに来る前は正直、何でこんな街中にある普通のお寺が世界遺産になっているのだろーか?

と不思議に思っていましたが、もし昔の姿を目の前にできたらそれも納得するかもしれません。

「極楽堂にも上って是非参拝してください。」と男性。

世界遺産のご本尊を参拝できる機会はめったに無いので、もう暗くなったお堂の中に入ると、

不思議な安心感を感じながらご本尊の曼荼羅に向かって拝みました。

それにしてもかつて広島カープからジャイアンツにトレードされた元ピッチャーの川口に似たあの男性は

一体何者だろーか? 元興寺の関係者? 奈良町の町会のスタッフ???

お名前も聞かずにお礼だけ言って分かれてしまいましたが、狐につままれたような思いで私たちはお堂を出ました。

もう暗くなり始めた元興寺の境内を後にしたとき、急にお腹がすいてきました。

ああ、今日は目いっぱい回って疲れたー。

一杯飲んで、ホテルの温泉に入ってゆっくりしよーっと。

 

つづく

 


奈良珍道中~奈良町へ行くの巻4

2010年12月19日 23時56分49秒 | Weblog

これもまた去年の春のことです。

以前「鹿男あをによし」で奈良町のことがたびたび話題になり、

どんな所なのか一度行ってみたい、と連れ合いと話していたのでした。

そこでこの年に奈良を訪れる前に奈良町についても少し調べたのです。

そこではじめて「元興寺」というお寺が世界遺産になっていることを知りました。

法隆寺や薬師寺や東大寺が世界遺産になっているのはよく知っていましたが、

元興寺という名前は恥ずかしながらはじめて知ったわけです。

「これは是非行ってみる必要がある。」と心に決め、はじめて奈良町に足を踏み入れました。

途中「奈良町格子の家」に立ち寄り、奈良の旧家の雰囲気を味わった私たちは、「元興寺」を目指すことにしました。

この格子の家から北に向かってに少し歩いた所に、「元興寺塔跡」と書かれた門がありました。

「ここがあの元興寺か」と、ひと気が無いお寺の入り口を中に入っていきました。

「世界遺産というのに全くひと気が無いなー。」と思いながら境内に入っていくと、

世界遺産というのには程遠い、(失礼ですが)朽ち果てたようなお堂の前に大きな四角形の石の土台がありまし

た。

全くのひと気の無さに少し怖くなった私たちは「これは何かの間違いだろう。」と、さっさとこのお寺を出てしまいました。

ガイドブックに載っていた写真とは全く違う風景の境内で、訳が分からないままその場を離れたのです。

歩きながらよく地図を見たら、もう少し北のほうに「元興寺極楽坊」と書かれた場所が見つかりました。

「何だ、こっちが本物じゃないか?」と訳が分からないことを言いながら、この日はあの寒さのために結局世界遺

産の「元興寺」を見られないまま終わってしまった訳です。

今年になって「鹿男・・」をDVDで見返したとき、何と、小川先生と藤原先生が下宿していた家のそばにこの「元

興寺塔跡」の門が映っていたのです。

もちろんあの家はセットで、実際にはお寺のそばにあのような場所は無いのでしょうが、私たちにとっては「元興

寺塔跡」はメモリアルポイントになったのです。

 

つづく


奈良珍道中~奈良町へ行くの巻3

2010年12月12日 00時31分43秒 | Weblog

あれから1年以上経って、もちいどの商店街を歩きながらあの洋品店を探していましたが、見当たりませんでした。

あの時何回も行き来しながら立ち寄った店はまだ殆ど健在でした。

せんと君のキャラクターショップに寄ってお土産を買い、前回塩昆布を買って帰り、すごく旨かった「魚万」さんにも立ち寄りました。

今日は天気もいいし、寒くないので先を急ぎました。

おでんやさんの「とうへんぼく」の前を通って広い通りに出ました。

前回寒さと雨のため拝観をあきらめた元興寺の通りです。

ここから先は奈良町になります。

来る前に雑誌で見た本葛を使って甘味を食べさせてくれる「佐久良」という店に行きたかったので、

ぐるぐると探し回り、やっと見つけたところ、中を覗くと小さなテーブルが一組あるだけで普通の民家のような座敷の上がり口が見えました。

二人とも朝から歩き回っていたので足も棒のようになっており、兎に角座りたかったのですが、連れはブーツをはいているので座敷に上るのが嫌らしく、躊躇していました。

結局ここには入らず、店の先の路地を左に曲がった所にある蕎麦屋さんのような入り口に、「CAFFE」と書いてある店に入りました。

中に入ると、土間のような所にテーブルが3組ほど置いてあり、あとは座敷になっている本当に蕎麦屋さんみたいな店でした。

私たちは入り口の近くのテーブルに座り、ほっと一息ついたところで店のオネーチャンがお茶を運んできました。

オネーチャンはひょろひょろっと細くて、蚊の鳴くようなけだるい声で「お茶しますかー?ごはんにしますかー?」と聞いてきました。

私は迷わず「お茶します。」というと、それ用のメニューを渡されました。

もうのどが渇いていたので、アイスコーヒーを2つ頼みました。

周りを見渡すと、座敷には老夫婦が一組とOL風の女の子が一人でごはんを食べていました。

そこへ学生風の女の子が一人で入ってきて、やはり座敷に上り、正座で何かを注文していました。

私は「ほぉー」とその所作に感心して見ていましたが、ごはんが来ると、きちんと正座したままもくもくと食べ始めました。

東京では絶対に見られない光景に、連れ合いと感心して見とれていました。

「さすが奈良だねえー。」

しばらくすると、5人の観光客らしい外人のグループがぞろぞろ入ってきました。

テーブルがすでに一杯だったのと、座敷に慣れていないのでしょうか、ちょっと躊躇していると、

お店のネーチャンがそそくさと寄ってきて、やおら英語ですらすらと案内し始めたのです。

先程の蚊の鳴くような声とは打って変わって、てきぱきと注文をとり始めたのです。

私たち二人は2度感心し、「さすが奈良だねぇー。」

だいぶ疲れも取れたところで、奈良町資料館に向かいました。

ここに来た目的は、「身代わり申」を買って帰ることでした。

前回奈良町を訪問したときに、「紅屋」さんの軒先に赤い布で作った丸いボールのようなものがいくつか連なって下がっているのを見て、

後で「これ何なんだろう?」と調べた所、厄除けのようなものだと知って今回は買って帰ろうと思い、調べたらこの奈良町資料館で売っていることが分かったのです。

 

中に入ると、いろいろな大きさの「身代わり申」があり、どれにしようかと迷っていましたが、

値段を見て少しびっくり。握りこぶしくらいの身代わり申が入った3連のが7500円でした。

最初はこの3連のをイメージしていたのですが、予定を変更して2500円のを1個買いました。

入り口の脇に御祈祷名簿というのが置いてあり、これに名前と住所と願い事などを記入すると、無料で祈祷してくれるそうです。

奈良町資料館を出て、前回歩き回った所を少し見てみようと、記憶をたどって歩き始めました。

そこには私たちにとってランドマークのような場所があったのです。

 

つづく


奈良珍道中~奈良町へ行くの巻2

2010年12月08日 00時02分28秒 | Weblog

去年の春のことです。

法隆寺に行った帰りに奈良町に寄りました。

この日は朝からどんよりとした天気で、午前中はそれほど雨も降らずに何とか拝観を済ませたのですが、

奈良町を歩いているうちにぽつぽつと雨が降り出し、午後3時を過ぎると本格的に降り出しました。

連れは紅屋さんを見たいというので外で待っていたのですが、

気温もだんだん下がってきて、4月というのに白い息が出るくらい冷え込んできました。

私はといえば、思い切り春向きのの軽装で出かけてきたものですからたまりません。

どうにも寒くて我慢できず、連れに「駄目だ寒くて、1度駅のほうに戻ろう。」といいながら歩き始めました。

途中、ならまち情報館という所で中に入って寒さをしのぎました。

予定ではこのすぐ近くの元興寺を拝観する予定だったのですが、それどころではありません。

夕方5時から、もちいどの商店街の外れにある「とうへんぼく」というおでん屋さんを予約していたのですが、

時間までにはまだ一時間以上あります。

仕方が無いので、もちいどの商店街に行って何か着るものを探すことにしました。

もう体は冷え切って震えまできています。

「うーう・・」寒さをこらえながら商店街に入り、洋服屋さんを必死で探しました。

奈良駅に近いところまでくると、割と若者向けのジーンズとか売っている店をようやく見つけました。

中に入って物色していると、店員さんが出てきて「何をお探しですか?」と聞かれたので、「何でもいいから安くて暖かいものを・・」というと、

奥のほうへ消えたかと思ったらフリースを抱えて戻ってきました。

「これはアメリカ製ですが、暖かいですょ。」と言って、大き目で、緑地に紫の縁のある奈良らしい雅な?フリースを差し出しました。

着てみるとかなり大きくてだぶだぶでしたが、暖かくて、もうこれでいいと思いました。

「いくら?」と聞くと、「2300円ですが2000円でいいです。」と言ったので、即購入しました。

フリースの上に今まで来ていたジャケットを着ると、やっと暖かくなり、気分も落ち着きました。

もちいどの商店街はアーケードになっていますが、雨もいっそう激しくなり、アーケードの屋根がドドドと激しく音を立てています。

「全くひどい天気になったもんだ。」と、商店街を行ったりきたりしてお店を見て回りました。

しかしながらおでん屋さんの予約時間の5時までにはまだ30分以上もあり、商店街を2回も3回も行ったりきたりしていました。

しまいに連れも、「もう疲れたよ。早いけど店に入らしてもらおうよ。」と言うので、それもそうだと、お店に入り、

「すみません。5時に予約した・・・ですけど、もう入って良いですか?」と聞くと、

「ああどうぞ。」と快く入れてくれました。

掘りごたつのある個室に入って寒そうにしていると、アンカをもってきてくれました。

早速おでんと熱燗と、他に2、3品注文しました。

おでんは私たち関東の人間には少し薄味でしたが、だしがよく効いており、何よりも熱々がこの時は最高のご馳走でした。

おでん屋さんを出る頃には体も温まり、いい気分で帰路に着くことができました。

 

つづく


奈良珍道中~奈良町へ行くの巻1

2010年12月06日 22時52分13秒 | Weblog

唐招提寺を出て元の道を歩き、西ノ京駅に着きました。

これから近鉄奈良まで行き、連れのリクエストにより奈良町をぶらつく予定です。

時間も無いので来た電車に乗り、西大寺で乗り換えることにしました。

西大寺で降りると、丁度奈良行きのホームに特急が入ってきました。

私たちは階段を下って上って隣のホームに駆け込み、清算は中ですればいいよと特急に乗り込みました。

この特急電車は2階席があり、乗り心地がよくて2駅で着いてしまうのが残念でした。

西大寺を出るとすぐに線路の両側に平城宮跡の広々とした景色が広がり、朱雀門が目の前を通り過ぎます。

見ると、観光客がぞろぞろと蟻の行列のように繋がっていました。

「これじゃー明日の1300年祭フィナーレはすごい人だろーなー。」と、少し不安がよぎりました。

明日は昼近くに平城宮跡に行き、3時からのフィナーレのイベントを見るつもりです。

そうこうしている内に近鉄奈良駅に着きました。

行基さんの噴水前から東向き商店街を行き、三条通りに出ました。

TVでよく紹介される中谷堂は相変わらず行列を作っていました。

前回来た時は素通りしたので、連れが買いたいと言い出しました。

「1個にしときなよっ。」と言ったにもかかわらず、戻ったときは3個入りのパックを抱えていました。

「3個入りしか無かったのよ。」と連れ。

もう疲れ果てていたので、少し休もうと猿沢池に向かいました。

もう午後2時半を回っていましたが、鹿は一頭もいませんでした。

ベンチに座ってしばらくボーっとしていると、目の前で亀さんが甲羅干しをしていました。

しばらく休んだ後また三条通りに戻り、もちいどの商店街を歩いていきました。

この商店街には私にとって忘れられない思い出があるのです。

 

つづく


奈良珍道中~唐招提寺へ行くの巻2

2010年12月04日 19時00分09秒 | Weblog

唐招提寺の南大門にたどり着いた私たちは、拝観料を支払って境内に入りました。

門を入るとすぐ左に世界遺産登録の記念碑があります。

それにしても奈良に来て世界遺産登録の記念碑をいくつ見たことか。京都と並び文化遺産だらけの県ですなー奈良は。

砂利道の参道の向こうには金堂がでーんと待ち構えています。

 

この金堂さん、つい最近平成の大改修を終えたばかりとは思えず、何事も無かったかのようにここに佇んでいます。

この中にあの国宝の三尊像が納められているのです。

早速金堂の中に入ってみました。

真ん中にご本尊の盧舎那仏坐像、でかいです。全ての人の苦しみを癒してくれるような優しい姿です。

右手に薬師如来立像、左手に十一面千手観音立像、いずれも優しさの中に厳かな雰囲気があります。

そう、薬師寺の三尊の優美さとは少し違います。

このお寺自体が薬師寺とは全く雰囲気が違い、色鮮やかさは全くありません。

全てが自然のままの姿なのでしょうか。

ただ、金堂の8本のエンタシスの柱がシルクロードを渡ってきた建築様式であることをうかがわせます。

何かお寺全体が鑑真和上の仏教に対する姿勢や、人間性を表現しているような気がします。

金堂内は薄暗くて大きな三尊像が目に付きますが、この他にも国宝の仏像があります。

持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王立像、梵天、帝釈天立像です。

興福寺の国宝館並みのラインアップです。ただし、ここの国宝は上野では見られません。

そうこうしている内に午後一時を回ってしまい、あまり時間も無くなってしまいました。

仕方なく金堂を出て、講堂、礼堂の前を通り過ぎ、鑑真和上坐像が祀られているという御影堂を見てみたくて、そちらのほうへ急ぎました。

ところが、御影堂の前に来ると、門に柵がしてあって中に入ることができません。

全く知らずにいったのですが、この御影堂は六月六日の開山忌舎利会の前後三日間しか公開されないそうです。

仕方なく門から中の雰囲気だけを感じて立ち去ることにしました。

地蔵堂、中興堂の前を通り、西堂跡の前を通って再び金堂の脇に出てきました。

金堂の脇に右に入る道があったので、そちらのほうへ行くと、蓮がたくさん生えている長方形の池の向こう側に

塀の中が広場になっているような場所を見つけました。

中を見ると、石の舞台のような構造物がセンターにあるピラミッドが低くなったようなものがあるだけでした。

そしてすぐに分かりました。ここが鑑真さんが僧侶に戒律を説いた戒壇なんだ。

遥か天平時代の風景がそのままここにあるのです。

さてそろそろここを出ないと夕方になってしまう。と思いながら金堂を後にして、唐招提寺を出ました。

 

つづく

 


奈良珍道中~唐招提寺へ行くの巻1

2010年12月03日 21時52分51秒 | Weblog

薬師寺で少し時間オーバーしてしまった私たちは、玄奘三蔵院伽藍を出て唐招提寺へと向かいました。

もうお昼近くになり、のどかなお日和の中、連れとテクテクと風景を楽しみながら歩いているうちにさすがにお腹がすいてきました。

と、連れが途中である看板を見つけて、「ちょっとわたしここを見たいから。」といい始めました。

何か雑貨を売っている店のようで、この道から路地を入った奥のほうにある店のようでした。

わたしは「また始まったか。」と思いながら、「じゃあ俺はぼちぼちといっているから。」といって、先へ行きました。

この道の途中、右手に平屋の小奇麗な建物がありました。

建物の入り口にのぼりがたっていて、「そば切り よしむら」と書いてありました。

入り口の前の駐車場に面した場所にベンチがありましたが、誰も座っていませんでした。

「今ならまだ空いているんだろーな」と思いながらも、薬師寺で時間をオーバーしてしまったこともあり、

もう少し我慢して唐招提寺まで行ってしまおうかと、通り過ぎてしまいました。

すると、その先の右手にまたまた民芸調のたてものがあり、入り口に「大納言」とかかれた看板と、

「お食事」と書かれたのぼりがありました。

「ここら辺で何か食べないと、何時食べられるか分からんな。」と思い、連れに携帯で連絡しました。

すると連れも、「なんか綺麗なお蕎麦屋さんがあったよ。」と先程の、「そば切り よしむら」さんを見つけたようです。

急いで元に戻り、よしむらさんの入り口で落ち合いましたが、そのときはすでに入り口の前に10人ほどの行列ができていました。

「なんだ、さっきはぜんぜん人がいなかったのに。」

仕方なく列に並びました。

15分位待って、入り口まであと3人位のところで入り口から中が見えたところが、

なんと、店の中にも10人位椅子に座って待っているのでした。

「こりゃだめだ。」と諦めて待つこと30分、やっと番が回ってきました。

綺麗なカウンターの席に座り、ほっと一息ついてメニューを眺めました。

私は鴨じるせいろと生ビールを、連れはかきあげせいろと押し寿司を注文しました。

朝早くから歩き回ってのどが渇いたので、生ビールがこの世のものとは思えないほどの美味さでした。

早速料理を食べ始めると、店の女性の店員さんが何やら連れに講義をしていました。

何かと思って聞いていたら、店員さん、

「このわさびを擦ったら、そばつゆに入れないでそばに直につけて食べてください。」

てなことを言っているようでした。

さすがに手打ちそばの店、なかなかうるさいようです。

連れはこういう食べ方に慣れていないようで、

「やっぱりそばつゆに入れたほうがいいね。」と、普段どおり、ずるずるとすすっていました。

すっかり満足した我々は、蕎麦屋を出て唐招提寺への道を再び進み始めました。

よしむらさんの入り口にはまだ10人ほどの行列ができていました。

しばらく歩くと、T字路に出たので右に折れると、左手に門が見えました。

唐招提寺南大門に到着です。

つづく

 

 

 

 


奈良珍道中~薬師寺へ行くの巻3

2010年12月02日 23時27分59秒 | Weblog

白鳳伽藍をあとにして元来た道を戻り、最初に入ってきた門(興楽門というらしいです。)に出ました。

門を出るとすぐに右に曲がる道があり、角に「玄奘三蔵院伽藍→」という標識があったのでその通りに進みました。

「最初からこういう標識が随所にあればあんな迷うこともなかったに。」と独りよがりなことを考えながら、

伽藍に続く門(なんと言う門か分かりません。)を通り抜け、やたら広い参道を行くと礼門がありました。

礼門からは入れないので門の前を左へ折れて、拝観受付を通って玄奘塔に入りました。

入った途端に、この伽藍には何か独特な雰囲気を感じてしまいました。

何か乾いた風が通り抜けるような感じで、ピーピーという笛の音が聞こえてきそうです。

なぜか玄奘塔の中を見るのも忘れて伽藍の中をぐるぐるとさまよい歩きました。

回廊を回っていると、「←大唐西域壁画殿」という標識があり、そちらへ向かいました。

玄奘塔の向こう側に建物があり、ここが大唐西域壁画殿らしいです。

中に入ると通路の右側にガラス張りの広間があり、正面の壁に砂漠や山々が一面に描かれていました。

これがあの平山郁夫画伯が描いた「大唐西域壁画」でした。

天井は金箔を散らし、星空をイメージしているそうです。

その迫力に圧倒され、壁画殿の出口の回廊に設置されたベンチに腰掛けて、

しばらく伽藍の石畳をボーっと眺めていました。

と、石畳の中に所々紋様の彫られた石が敷いてあるのに気がつきました。

これを見ながら、「確かにここはシルクロードの終点だ」と思いました。

つづく