人はなぜ戦争をするのか

循環器と抗加齢医学の専門医が健康長寿を目指す「人」と「社会」に送るメッセージ

やはり現れた成長ホルモンの副作用

2016年02月12日 17時44分54秒 | 社会
12日の東京株式市場は、日経平均株価が前営業日比760円78銭安の1万4952円61銭で取引を終えた。3日連続の大幅続落となった。
このような異常事態に陥るであろうことは経済学の素人である私にも予想できた。わが国の社会構造や世界経済の趨勢を診ればだれにでも簡単に予測できたのである。
安倍首相が就任した12年12月、株式・不動産バブルの崩壊から20年以上が経過した日本は、精彩を欠きつつも安定期に入っていた。経済は低成長で高齢化が急速に進んでいたが、少なくとも都市部では衰退の兆候などほとんど目につかず、社会は依然として安全だった。戦後の高度経済成長期を経て、わが国は成熟した国家としての道を歩んでいたのだ。
だが、安倍首相はそれでは不十分だとの認識を示した。金融緩和と財政出動、構造改革の「3本の矢」で経済再生を図り、物価・賃金を再度押し上げると公約した。
安倍首相は成熟した社会で無理やり経済成長を目指そうとしてきた。日本経済を若々しく、たくましい肉体に改造しようとしたのだ。それはまさに高齢者に対する成長ホルモン療法であった。
安倍首相が進める成長ホルモン療法とは、金融緩和によるインフレ促進、公共事業による国土強靭化であった。これらはすべて高度経済成長時代、すなわちわが国が戦後復興を成し遂げた、いわば青春時代の成長戦略であった。私は安倍政権が推し進める成長ホルモンやタンパク同化ホルモン治療が一時的に経済を活性化することがあっても、長期的にはわが国を破滅の道に追い込むのではないかと危惧していた。それには経済学にも通じるであろう医学的な理由があったからだ。
人間の体は成長期には自然に成長ホルモンが分泌され、これが逞しい肉体を作り上げる。発展途上国で国力が増していく過程と同じである。しかし、成長を終え、成熟した個体において、成長ホルモン治療は寿命を縮めることが実験的に証明されている。成長ホルモンは強い肉体を作るのと引き換えに老化を促進する遺伝子でもあるのだ。成長ホルモンやタンパク同化ホルモンで強制的に作られた筋肉は運動で徐々に身に付いた筋肉と異なり壊れやすく、すぐに退化する。一時しのぎの筋力増強効果しかないのである。いわば目先のオリンピックで好成績を得るために将来の健康に悪いと知りながら筋力増強薬を用いるドーピングをしているようなものである。
事実、高齢者における成長ホルモン補充療法には常に老化の促進やガン化といった副作用が伴う。高齢者は細胞内に暮らす国民であるミトコンドリアが老朽化し、彼らが発する危険な活性酸素によって常に酸化ストレスに曝されている。高齢者では酸化ストレスという老化の根本的な原因が排除されないため、成長ホルモンが頑強な肉体作りという意図した方向に向かわず、動脈硬化や異常な細胞の増殖、すなわちガン化を促すのである。無理な成長戦略が成熟した体のバランスを崩し、長い目で見ると健康を損なうことになるのだ。
アメリカではFDA(アメリカ食品医薬品局)の認可のもとに、高齢者の寿命延長や生活の質改善を目的とした成長ホルモンの使用が認可されている。成長ホルモンには筋肉量や骨密度を増やし、脂肪蓄積を抑制する作用がある。加齢に伴う筋力低下や骨粗鬆を予防するので、寝たきりの人の廃用委縮を改善し、リハビリテーションを促進することが期待されている。しかし、大規模臨床試験において成長ホルモンによって明確に認められた効果は筋肉増強と脂肪減少だけで手根管症候群、浮腫、糖尿病などの副作用も強く、老化を抑制する効果は認められなかった。加えて、成長ホルモンによる発ガンの危険性も払拭されていない。このような結果を受けて、2009年にアメリカの成長ホルモン研究学会は「人における有効性が明らかになるまでは老化予防目的での成長ホルモンの臨床使用は推奨できない」という声明を出している。
翻ってわが国の現状に目を向けると、世界一の少子高齢化社会である。多くの高齢者が働きたくても働けず、年金や社会福祉に頼った生活を余儀なくされている。このように生産年齢人口が極端に減少した少子高齢化社会において、発展途上国と同様な経済政策が成り立つはずはない。成長ホルモン剤の注入によって一部の産業を活性化するという無理な経済成長戦略は、たとえ一時的に成功しても、やがては社会を疲弊させるに違いない。一つ間違えば、異常な成長の最も恐ろしい副作用である、ガン化、すなわち国家の無秩序な暴走を許す危険性すらある。現に自民党の憲法改正草案は国家権力を強め、メディアを統制し、国民の権利を縛り、義務を増大させる全体主義の色合いが濃厚である。そのような後戻りできない道に迷いこまないためにも、安倍首相が推し進める時代錯誤の経済政策は見直す必要がある。
成熟した社会に求められる経済政策とは、GDP増加率を経済成長の指標にしないことではないだろうか。成熟した社会における豊かな経済・社会的生活はGDPでは測れないのだ。成熟した人間は身長の伸びや体重増加でみずからの成長を評価しないであろう。もっと内面的な質の高い成長、精神的な成熟や心の豊かさで成長を自覚するのではないか。安定的で持続的な豊かさを目指すのであれば、安倍政権には是非、パラダイム・シフト(発想の転換)をしていただき、真に国民を幸福にする政策を期待したい。