京阪本線三条駅より、特急淀屋橋行で「丹波橋」駅下車。ここから普通電車に乗り換えて「伏見桃山」駅まで参ります。
いよいよ、新選組をはじめ、旧幕府軍が陣をかまえた伏見奉行所があった地へと降り立ちます。
まずは、北口だったかな、から出まして、敵軍視察と参りましょう!!
というわけで「御香宮神社」を目指します。
こちら、出口さえ間違わなければおもいっきり簡単にたどり着けました。
なぜなら、ちょろっと、歩くと、近鉄の駅がありまして、そこをくぐると、赤い鳥居がドンっと。
坂道を鳥居を超えて歩きますと、左手に、「御香宮神社」があります。
工事中のようで、ちょっぴり残念だった門構え。
中に入ると、またまた鳥居がございますよ。
良い日取りだったようで、お宮参りのご家族が、生まれたばかりのオチビさんをつれてたくさんお参りされておりました。
なんだか、神社らしくて微笑ましい光景にほっこりです。
飲めばたちまち、病が治ると言われた御香水。今は、水質が悪化で飲めないようです。
御香宮神社にある能舞台。
御香の宮神社は、薩摩藩が陣所として、幕府側が布陣する伏見奉行所を攻撃したという場所?です。
小高い場所で、幕府側を見下ろせる場所。
そこから大砲を打ち鳴らす。
確かに!!という立地でございました。
薄桜鬼でも、その戦火の中を走りぬけて、永倉さんと、島田さんエピソードありましたよね。
どの道だろうと思いつつ、思いを馳せてまいりました。
中の駐車場のあたりに「伏見の戦跡の碑」がたっています。
続いては、銃弾の跡が残るという「魚三楼」さんへ。
ちょっと、戻りまして、京阪電車からなら近鉄より手前、の道を右手(京阪から近鉄を見た場合)の道へと入りますと、間もなく、見えてきます。
このお店の前、「京町通」でも布陣した新選組と、薩摩藩の軍が戦った場所です。
剣で切り込む、新選組、しかし、相手は、銃を放つ。
不利極まりない戦いです。
そんな当時に存在していたお店で、現在も料亭として営業されています。
そして、そんな激戦の跡、はげしくかすめたであろう、弾痕がくっきりと残っております。
なかなか、生々しいですよね。
そりゃぁ、土方さんも、「もう、刀の時代じゃねぇ」と思わざる得なかったというものです。
さて、最期は、やはり、「伏見奉行所跡の碑」を!!と探しにでかけたのですが、これが罠でございました。
碑は、マンションが立ち並ぶ団地の一角になるのですけども、なんせ、どこにあるっていう地図がないんですよね。
地元に建ててある地図にもなくて、地元の方かなと思われる方にも数人聞いてみたんですが「知らない」とか言われ・・・。
迷走につぐ迷走です。
30分くらい、ぐーるぐーると回っているのに見つからず、
野良猫「ねぇ、土方さん。いったいどこにあるんですか、奉行所跡の碑は!!」
羅刹土方「そうは言っても俺たちがいた時代に建っていたわけではねぇからな」
野良猫「でもほら、どこに奉行所が建ってたとか!!」
羅刹土方「しいていうなら、このあたりだ全体だ」
野良猫「このあたりって・・・・」
みわたせどマンションだもの。
羅刹土方「このあたり一帯が、幕府軍の陣を構えたところなんだから仕方ねぇじゃないか。これのどこって言われても・・」
はぁ、あきらめようかなと思って最期にここはどうだ?と入った道が、なんだか、写真でみる雰囲気をかもしだしてきまして!!
ついに、ついに、発見です!!
↓目印は、こんな感じのマンションっです。
マンションなのに、蔵を思わせる、外観。
京阪や近鉄の駅から、テクテク歩いて、団地をいったなら、一番最初に現れる、この形の建物のところにあります。
野良猫「土方さん!!みつけましたよ!」
羅刹土方「良かったじゃねぇか、なんでも、あきらめちゃぁいけねぇってことだな。」
野良猫「ささ、せっかくですから土方さん、かっこよーく、決めて下さいませ」
羅刹土方「いや、しかし、この地は、俺たちにとっては、あまり、かっこいい地ではねぇからよ・・・」
野良猫「でも、土方さんたちも、あきらめなかったじゃないですか。だからね、かっこよーく決めちゃって下さい(ヨイショヨイショ)」
羅刹土方「・・・お、おう」
かくして、予定より30分押しで、伏見桃山を脱出したのでありました。
(伏見へ来たなら一度はおいで、寺田屋編へ続く)
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