ということで、島原角屋の続きでございます。
話を聞き終わった後にですね、これまた、持ってる男、土方さんの引力なのか、案内の方に、
「お二階は見られないのですか?」
とお声がけを頂きまして、予約が必要だし、その時間にこれるかわからなかったので予約してなくてと話をすると。
「今日はあきがあるので、良かったらどうですか?」
とのお言葉。
それはもう、なんとも、願ってもいない申し出で!!
いえ、もちろんお金は上乗せになるわけですが、二階。見たかったのですよ。本当に!!
ですので、一も二もなくお願いを。
二階への切符、じゃなくて、参加者は、プレートを服につけてお待ち下さい。
時間の頃になりましたらまたお声がけしますのでーということで、しばし、いろいろなところを写真でとり遊びです。
こちらは、『網代の間』
前回は、デジカメの性能がいまいちで、白くもやってとれなかったちょっと薄暗いお部屋でございますが、
さすが、最新カメラは、このクォリティー。
長い床の間も一枚木でできているという贅沢さ。
釘隠しは、縁起物でかざるそうで、この他にも鶴とか菊とか、部屋によっていろいろあります。
網代の間から庭方面にむけてもパシャリ。
そうそう、1で書き忘れましたが、庭がよく見えるように、柱がないっていうのに、どうして、屋根をささえてるの?
というお話もありまして、なんと、これが、てこの原理、おもりで、つり上げて支えてあるのだそうですよ。
昔から、建築の技術って本当にすばらしいですよね。
この網代の間は、天井も網代模様。
老朽化でもうこの部屋の上の部屋には足をふみいれることができないのだそうです。
それだけ古いってことなんですよね。
しみじみ。
そして、お時間になりまして、いよいよ二階へ!!
二階は撮影禁止なので、写真はありませんのでご容赦下さい。
いったい、どこからあがるんだろう?と思っておりましたら、この網代の間の横に入り口がございました。
時間になると、鍵をあけてくださいまして、とっても急な階段を登って2階へ。
この急さ加減は、昔あった家の階段をちょっと思い出しました。
なんで、昔の階段ってこんなに急なんでしょうかね。
小さい時、おちかけたことありますよ(><)
手すりをしっかりともって上へ!
暑いよとは聞いていましたが、本当に暑かった
でも、私の部屋とくらべたら、ぜんぜんましですけどねぇ。
引き戸をあけてもらうと、よい風も入ってまいります。
この格子戸から眺める下の風景というのもまた風情がございまして、これは登らないと味わえない光景です。
写真にとれないのが実に残念。
階段を上がって、左の部屋が、『緞子の間』。二階の主座敷でございます。
入れないようになっていたので、きっと、網代の間の上、入ると危ないらしいお部屋かと思われます。
まずは、そちらにむかって、御簾の間に腰をおろしまして、お話をうかがいます。
襖が緞子張り?なので緞子の間だとか。
何がすごいって、どの部屋も共通していえるのですが、釘隠しが菊なら、行灯の足も菊とか、みごとな統一っぷり。
しかも、いろんなところに、有名なのだろう方々の絵の襖だの、なんだのとお話が溢れてまいります。
あぁ、ボイスレコーダーをもっていきたかった。
『翠簾の間』には、御簾の絵が描かれてます、、が!!!!
昔の部屋は暗いので、ロウソクに油をたいて、食事の油もありますし、寒い冬には墨もたいてと、内装も壁も天井も真っ黒。
でもこれが幸いして、贅沢ものはいけないと没収されそうな時代に、あまりの黒さに、次の間あたりの銀をつかった襖なんかもとりあげにあわなかったとかで、嬉しいような嬉しくないような幸いっぷり。
おかげで、今、私たちが見る事ができるというありがたいお話。
あれ、ちょっと記憶があやふやですが、この隣にもう一つ部屋があって、その奥が『扇の間』
私は、このお部屋がかなりお気に入り。
釘隠しも扇形ですし、天井見上げれば、扇が描かれております。
その扇の一枚一枚が、また違った絵が描かれていて、これだけでもそうとう目にも楽しまれたことかと。
襖には源氏物語が描かれて、なんと、冬に置く火鉢も扇形だったとか。
さらには、料理をだす皿まで扇形というてっていっぷり。
これらの部屋は、開け放つ事で、一つの部屋としてもつかえるので、大人数での宴会もばっちりです。
それで、そういう使い方もするということで、格子などの柄も非常に統一された造りになっていて、なんだよ、部屋をつないだありあわせか?って思わせないような工夫がされているそうです。
本当に、いたせりつくせり。
そして、この部屋には、芸妓さんたちが芸を見せるための、団の高い舞台なんかもございまして、これが、横にはちゃんと、舞台と外を出入りできる入り口まであるんですね。
部屋をつないで使うときだけに使う舞台なのだそうです。
そこをぬけて次に通されたのは、『馬の間』だったかな。階段からの通り抜けになってるのであまり使われない部屋なのだとか.奥の廊下などを使って部屋に料理などを運ぶのに、違う部屋の人に見えないように、ここを通ったのでしょうねぇ。
さらに進んで『桧垣の間』
天井から障子からなにからなにまで桧垣組がもちいられているので桧垣の間。
確か、額とか、襖にも、まさに、このために書いてもらいましたっていう証拠のごとく桧垣模様がかきいれてあったかと。
あれ、どの部屋だったか、一本と2本と横に通した線になみなみの木をたてに走らせることいにより、だまし絵のように見える部屋がありまして、
どちらかにたつと、一本の線の部分が波打ってもりあがってるように、もう片方に立つと、2本の線な方が盛り上がってるように見えるという部屋がありまして、正面から見ると平面なのに、うまいぐあいにだまされます。
しかも、その細いたてのなみなみ線を作るのに、木を焼きながら曲げると折れてしまうので、木を掘ってつくっているとか、もはや、技術の宝庫。
他にも遠くからみたら、短い木を少しずつずらしながら。はったようにみえるのに、実はこれも、手彫りして作られていて、実はまったく切れてない。一本もので、張り合わせた形跡なんてひとつもないとか。
そりゃぁ、お高いですよねぇ。
建物つくるだけで莫大な値段です。
と、ここまでだけでも、相当な感動をおぼえますが、やはり、この最期の部屋には勝てません。
最期のお部屋『青貝の間』
いたるところに青貝をちりばめた魅惑の部屋でございます。
もう本当に、かけられてる額まで青貝装飾。
果ては雅号まで青貝。
雅号が壁に入った部屋はここだけ。
そりゃぁよほどの自信作でござしましょう?
今は真っ黒壁に、貝がキラキラひかってますが、昔はなんと、壁は美しい浅葱色だったとか。
新撰組羽織と同じ浅葱色。
そのうつくしさいかばかりだったのか。
だって、もう真っ黒だって美しいんですもの。
で、新撰組ファンとしてはやはり、この部屋にはいかれるのがおすすめ。
いえ、正直、どの隊士がってのはわからないらしいんですけどもね、この素晴らしい美しい部屋に、刀傷をつけたふとどきものがいるっていうじゃないですか。
しかも、3つもあった!!
これもう、刀おれただろ?ってくらいざっくりと。
普通こういう揚屋さんでは、刀はあずけてあがるがお約束なはずなのですがね、新撰組は、御用改めだって言っちゃって、刀もあずけず押し入って、そういうくらいだから、見たら帰るのかとおもいきや、ちゃっかり、すっかり座り込んで、料理を運べとおっしゃると!
当然のように、飲み食いし、つけて帰っていくという。
あげくのはてに、刀で柱に傷3つ。
誰かわからないけど、若いやつがねーっと。
本当にいろいろやらかしてます。
見学料はお高いですが、絶対見る価値ありです。
2階を見ずにかえるのは、実にもったいないと、すこぶる想いました。
(ぬけてる部屋もあるかもしれません。なんせ、記憶のみなので。ぜひ、自身の目で見にってみて下さいませ)
よくぞ、声をかけていただけたものだと、感謝感謝です。
これまた、多分一時間半は、角屋にいたかな・・・・。
できれば、9月以降にもまたいきたいなぁ。
展示物もかわるようですし。
これで、なんとか島原篇終了です。
が、まだ旅は続きます。
-続く-
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