本町、礎町、市場が立つ、港街の嘗ての物流の拠点地である。信濃川河畔に栄えた繁華街のひとつである。間もなく石造りの萬代橋を渡り、東新潟の拠点、万代町に至ります。郊外線バスの拠点バスセンター、カレーの名所となった場所に到着。嘗てのバスビルは現在のバスセンターの反対側にありました。新潟地震の液状化でいちばん被害を受けた地域である。流作場、元新州というあまり良くない町名が変更され、駅前開発を中心に、復興を果たしました。国道8号線から7号線に名前を変え、右手に国道を分け、間もなく、新潟駅萬代橋口到着である。2サイクルディーゼルは昭和63年春に予備車化を経て全廃となりました。西部営業所の片隅でひっそり休んでいた姿を見て、お疲れ様と心で声をかけていました。
次は、車番N254の車輌に乗りました。新潟駅萬代橋口から県庁前(すでに出来島へ移転)行き。先述の12系統同様、西営業のクルマでした。
運転台に目をやりますと、ダッシュボードがダークグリーン鋼鉄製からブラックプラスチック製に変わっていました。更に自動両替機付き料金収受箱になっていて、運転士さんの省力化になっていました。嘗て、こちらも郊外線多区間対応で、間手橋〜弥彦線にも入っていました。乗車時点では、市内線専用になったため、前扉脇の運賃表示機(運転席背面連動)が撤去されていました。後ドア入口横の整理券発行機も撤去されていました。細かい点では、最終型は後部ルーバー右側中央に横の鉄板が入っていたり、方向指示器、ブレーキランプ一体ランプケースが嵩上げされ視認性が増したり、改良がなされていました。横面は、中央に引違い窓、その上部に行き先ルート表示機となっていて、ツーメン時代の車体を踏襲していました。
さて、県庁までのルートですが、バスセンター前、古町、市役所前、がんセンター前、千歳大橋と経て行きました。既に、電鉄線は東関屋止めになっていましたから、越後線を跨ぐガード下の分岐膨らみ交差点は遺構となっていました。ここから千歳大橋を渡ります。白山浦経由ではなく、川岸町通り経由としているのは公共施設を網羅している関係です。車内を観察しつつ終点県庁で下車。改めて、次はどこへ運用するのか待ちながら記念撮影。幸いにも新潟駅南口の表示となり、改めて運賃を支払い、乗車。新潟駅に戻りながら、エンジン音を楽しむこととなりました。
次のルートは、笹出線経由です。出来島〜笹口、まさに新潟駅南口まで直結する便利な都市計画道路になりました。県庁移転に伴ない、バス便も頻繁になりました。駅南付近は商店、飲食点が増え、繁華になりました。区画整理がきちんとし、丁目表示になりました。子どもの頃、田畑や沼があった駆け回った地が近代的な町並みになり、驚きながらの乗車となりました。
新潟駅南口には、県庁から約20分、新潟駅萬代橋口から含めて約40分の2サイクルディーゼルの旅路でした。折返しは前面に中央循環のサボを出し、萬代橋口へと戻って行きました。サウンドといい匂いの排気臭に酔い痴れ、見送りました。
西大畑付近は、文化施設が集中しています。日本海タワー、新潟大学付属学校、坂口安吾の生家記念館があります。砂丘地帯を為す坂道の多い高台である。下り線は一方通行で、坂道を登るヘアピンカーブがあり、バス路線としては難所である。上りは、ひたすら下り坂で、エンジンブレーキを効かせながら、減速を繰り返し、クランク状の交差点を右折しながら、市街中心部柾谷小路に向かいます。新潟は堀の街でした。信濃川から市内に堀を作り、水運を活かして物流していました。昭和30年代には、その堀を埋めて、水運中心から陸運中心に移行して行きました。旧市役所庁舎が見えてくると、古町に到着である。老舗の旧大和デパート、小林デパートが対面上に並んでいます。市内中心部とあり、乗降が増えて来ました。
ヒューヒュー。エンジンをあおるとこんな音が響きます。運転手さんたちの間では、特徴的な音色で好きな車輌だと言われていました。難点は、4サイクル車よりオイルを喰うから、経費が嵩み、排ガス騒音規制に引っ掛かり、引退するのだそうです。運転手さんは、名残惜しそうに語りました。乗車したのは、キタムラ製4R106、前後扉、後ろ折戸仕様、いわゆるバス窓タイプでした。
当時、新潟西部営業所は、関屋分水路、関屋大橋西詰青山にありました。市内線が系統延長され、営業所発着になったばかりでした。同じような路線は、山ノ下営業所~県庁前線がありました。こちらは、臨港町回りが多区間に入るため、そちらは後乗り前降り整理券方式に早くからなっていました。西部営業所線は、多区間が入るものの、前乗り後降り、信用方式のままの運行になっていました。行き先を新潟駅までと告げ、支払い、乗り込みました。嘗ては、在来道廻りの新潟バスセンター~弥彦、巻方面のロングラン系統に使用されていましたが、車内の運賃表示装置、整理券発行装置は撤去され、市内線専用車化されていました。営業所内には富士重工業製上下二段窓タイプ4R106も出庫を待っていました。こちらも市内線専用化されているようでした。
さて、12系統は、新潟市内中心部の砂丘地帯の坂のアップダウンが激しい区間を走ります。営業所を出て、最初の難所は、越後線の跨線橋です。ヒューという心地よい加給機の音を響かせ、有明大橋西詰に出ます。右折し、国道116号線に出て、西小針線の有明台、間もなく左折、信濃町、文京町を経て浜浦町二丁目に出ると、本来の12系統の始終点に至ります。砂丘地帯の登り坂です。
出発時刻調整のため、エンジン停止。ダイヤルを回し、燃料カットするシーンです。始動は、ダイヤルを逆に回して、気温に合わせて噴射量を整え、セルモーターを回す方式。デコンプ式ではないから、扱いは簡単そのもの。車内自動放送が市内線に導入されたばかりでした。運転席操作台横には「私は接客日本一、自動放送に負けない肉声放送」とあり、サービスに対する姿勢が伺えました。自動放送は、本来の12系統に入る区間からセッティングとなりました。車内乗車口ガラス窓横に西循環のプラ板が掲げられました。