9月21日午前10時37分実弟松村三生逝く、ペンネームは松村光生1970年代から1980年代に早川書房から5冊の本を出版してほんの少し知られた作家としてデビューしたがその後は鳴かず飛ばずで夢を追い続けて定職にも就かず親兄弟に依存して過ごした。いわば幸せな人間なのだろうが、脳内出血で居酒屋で倒れて長時間放置されたのが原因で右半身不随、言語障害、左脳内の血留の影響なのか性格がかわり粗暴になり協調性がないため施設を次々に追われて寝たきりの生活、最後は高額な個室の特養におちついた。もちろん費用は全て兄である筆者と次弟が負担していた。毎月20万円の支出は停年退職者にはあまりにも過酷だったが、なんとか10年間支え続けた。その間本人は「早くここから出せ」、「俺は本さえ出せば金はいくらでも手に入る」、「東京都内のマンションで一人住まいをさせろ」などの暴言で我々を苦しめ続けた、悲しい話だが「頼むから死んでくれ」と当人に泣きついたこともある。これ以上の記述は止めるがこの気分の悪さは何だ?と昨日から考えがまとまらない。
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謹んで哀悼の意を表します。
仏様のご供養のためにも、ご健康にはご留意ください。
偶然、村松光生様のことを検索しており、こちらに辿りつきました。
私は弟様の出された本すべてを所有しておりまして、特に最初に出された2冊に関しては大変素晴らしいものでした。
また活動を再開されていないかと調べていたものです。
才能に恵まれた方だったと思いますが、それだけではうまくいかないもなのかもしれません。
ご親族の方は大変な苦労をされたことと存じます。
それでも、氏がこの世に何かを残されたのは確かかと思います。
このように感じているものもいるということを伝えたく、コメントいたしました。
突然の無礼、ご容赦ください。
グットバイ・ロリポップ (ハヤカワ文庫JA)
わが母の教えたまいし歌 (ハヤカワ文庫JA―伊栗慎太郎事件ファイル)
私も、この二冊の作品は、素晴らしい作品だと思います。
生前、お祖父様のように柔和な人間になりたいとおっしゃっておられましたが、最期のご様子を読ませていただいて、なんだかやりきれない気持ちです。
長い間のご苦労、お察し申し上げます。
ご次兄様も亡くなられたとのことで驚いております。
ダンディで心優しい方でしたね。
お二方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
あまり有名ではないけれど好きな小説について語ろうという機会があり、
学生時代に読んだ「グットバイ・ロリポップ」がとても面白く、既に絶版となっていた
「わが母の教えたまいし歌」を古本屋で血眼になって探した思い出を辿りながら
「村松光生」で検索し、こちらにたどり着いた次第です。
ブログを拝見し、こういうお気楽なファンコールをすべきかどうか迷ったのですが、
いちファンとして敢えて書き込ませていただきました。
お悔やみ申し上げます。
松村先生には、業界紙記者の時代にファンレターを出した事が縁でおつきあいをいただき、その後、私が編集者をしていた時には、ビデオ評や原稿をお願いしたことがあります。
自分が物書きになって後は、疎遠になっておりましたが、心の師であり、頼れる兄貴でありました。
早稲田のマンションで良く酒を飲みながら映画談義をしたことなど、今でも鮮明に思い出します。
心からのご冥福をお祈りします。正直、ショック過ぎて、混乱しております。
松村先輩が亡くられていたことを昨日知りました。
先輩には学生時代、音楽・酒と大変お世話になりました。
インド大使館傍の下宿にいけば「大庭、飲みに行くか」、音楽談義のあと、真っ黒なせんべい布団で雑魚寝。朝はレコード・・・懐かしい想い出です。
シュッツ、バッハ、モーツアルト、ワーグナー、例のサティからピンクフロイド、レッドツェペリンまで。
自分にとって大きな影響を与えてくれた先輩でした。いつかお会いして一緒に飲みたいと思っていましたが、それもかなわなくなりました。
ご冥福をお祈りいたします。