松村知也、猫が大好きな爺さん

自身の忘備録です、日記風の記述だが政治的な意見や専門領域(電子工学・品質管理)の記述は意図的に避けています。

昭和40年代

2013年11月30日 | 中国

寒かった湖北省から新幹線で4時間、南国広州は花が咲いて気温は20度超え生き返った気分です。女性たちもあか抜けていて、ケチ紡貝塚的風貌の多い田舎の湖北省と比べると美人が多い、ええっ?ケチ紡貝塚って何かって?東洋の魔女のことです。まだわからない、、1964年東京オリンピックの女子バレーで優勝したメンバーのことです。これからもTVで放映されることことがあるかと思いますが、一度彼女たちの風貌をよく見てください。昭和40年代の日本女性は皮膚は浅黒いし鼻が低く眼は細く髪は強いウエーブをかけていて真っ黒、早い話がブスが多かったのです。湖北省の女性たちは皆彼女たちに似ているのでついつい差別用語を、、ケチ紡ではなく日紡でした。当時はケチというか経営基盤を確保するために出費を抑える会社が多くケチ紡とか、オンワードケチ山とかケチケチケーとか呼んで楽しんでいました。


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