コリン・ファース、二コール・キッドマン、真田広之らの共演で、第2次世界大戦時、日本軍の捕虜となり、鉄道建設に狩り出された英国兵士と日本人通訳らの実話を映画化したヒューマンドラマ。
鉄道好きで平凡な人生を送るはずだった英国軍兵士のエリックは、シンガポール陥落時に日本軍に捕らえられ、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設現場で過酷な労働を強いられる。
それから約50年後、当時の記憶に苦しめられながらも、愛する妻と平穏な日々を送っていたエリックは、鉄道の建設現場にいた日本人通訳の永瀬が、戦争体験を伝えるためいまもタイに暮らしていることを知る。永瀬の存在が心の奥の傷をよみがえらせ、動揺するエリックだったが、意を決して永瀬に会うためタイへと向かう。原作は1995年「エスクワイア」誌ノンフィクション賞を受賞したエリック・ローマクスの自叙伝「泰緬鉄道 癒される時を求めて」。
<感想>第2次世界大戦時に、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に従事し、実際に捕虜として日本軍の拷問を受けた英国軍兵士のエリック・ローマクスの自伝「レイルウェイ・マン」の映画化である。豪華な出演者が繰り広げる、真に迫る演技には引き込まれること請け合いです。
主人公が妻となる女性と出会い、結婚生活が始まる穏やかな風景、愛は深くとも、若い苛烈さとは異なる静謐な大人のドラマになっている。よって、その対比となる戦争体験の悲惨な再現が、より痛みをもって迫ってくる。
現在と記憶を行き来する間に、コリン・ファースのおとなしい佇まいに、徐々に得体の知れない軋みが生じて来て、狂気を帯びていく眼差しの巧さ。そして、妻役の二コール・キッドマン、夫の心のトラウマを労わるように、静かで穏やかな演技にも注目です。
トラウマを抱えた、つまり有無を言わさず過去の傷跡のメッセンジャーになり、またその運命を甘受した人物を演じることで、コリン・ファースと真田広之の存在感には、否応のない強靭さがみなぎる。
日本軍と英国との通訳となり、しかも一緒に拷問に加わる永瀬の若さが、あの頃の日本軍は絶対に戦争には負けないという意地とプライドが傲り高ぶり、英国軍の捕虜たちが戦争の侵攻状態を知るためにラジオを作ったことで、敵のスパイと判断され辛い拷問を受けることに。
ラジオのニュースで日本軍が負けたことを言うと、そんなデタラメなことをと殴られる始末。この話は、初めて知り、いかに戦争というものが人間を悪魔のような心にし、敵対する国の人間を動物のように、奴隷のように扱う様子に苛立ちと嫌悪感をおぼえました。
二人がついに直接対面するクライマックスに至るプロセスには、厳かな緊張感がみなぎり、宗教儀式のような崇高さすら感じられた。ただし、余りにも愚かな行為と取られる拷問場面そのものを、どう描くかについては考えさせられました。
本作の肝であるエリックと永瀬が、どのように心を通わせていったかを描く描写が絶対的に足りていない。エリックがある決断に至る過程もかなりはしょっている。だからだろう、陰惨な戦争の果てに、国の違いで敵対した二人の男が現代になって和解に至るのは、絵的に地味なのは否めない。それは実話に忠実な映画の弱みなのだろうから。
それでも人間として、エリックがここで自殺をした親友のためにも、永瀬を殺して何の得になるのだろう。それに、自分が今まで悪夢を見たトラウマを消すことが出来るのか、人間の心にはいつまでも根にもち復讐という念に駆られて、相手を殺してもその後には、必ず悔いが残るというもの。すなわち、人間には「赦す」という勇気が、これからも生き抜いていくためには必要なのではないかと。
「戦場のかける橋」などで良く知られた太平洋戦争秘話をより史実に近い形で映画化されている極めて真摯な作品でもある。去年公開された「セデック・パレ」に続く、近代日本暗黒史の一つだが、その犯罪に近い野蛮な行為の痛みと哀しみが、小説のごとく現代に至るまで被害者加害者双方に、苦しみを与え続けているところが切ないですね。
近代日本が行ってきたアジアへの蛮行の銘記を、自虐史観と決めつける人たちは、これをどう見るのか。やはりここでも、事実無根と強弁するのだろうか。
ちなみに、本作で登場する永瀬隆は実在の人物で、泰緬鉄道の建設での捕虜虐待の事実を知って英軍の基地捜索隊に志願し、後にタイへの慰霊とボランティア活動で、英国政府から特別感謝状を授与しているそうです。
2014年劇場鑑賞作品・・・224 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
鉄道好きで平凡な人生を送るはずだった英国軍兵士のエリックは、シンガポール陥落時に日本軍に捕らえられ、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設現場で過酷な労働を強いられる。
それから約50年後、当時の記憶に苦しめられながらも、愛する妻と平穏な日々を送っていたエリックは、鉄道の建設現場にいた日本人通訳の永瀬が、戦争体験を伝えるためいまもタイに暮らしていることを知る。永瀬の存在が心の奥の傷をよみがえらせ、動揺するエリックだったが、意を決して永瀬に会うためタイへと向かう。原作は1995年「エスクワイア」誌ノンフィクション賞を受賞したエリック・ローマクスの自叙伝「泰緬鉄道 癒される時を求めて」。
<感想>第2次世界大戦時に、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に従事し、実際に捕虜として日本軍の拷問を受けた英国軍兵士のエリック・ローマクスの自伝「レイルウェイ・マン」の映画化である。豪華な出演者が繰り広げる、真に迫る演技には引き込まれること請け合いです。
主人公が妻となる女性と出会い、結婚生活が始まる穏やかな風景、愛は深くとも、若い苛烈さとは異なる静謐な大人のドラマになっている。よって、その対比となる戦争体験の悲惨な再現が、より痛みをもって迫ってくる。
現在と記憶を行き来する間に、コリン・ファースのおとなしい佇まいに、徐々に得体の知れない軋みが生じて来て、狂気を帯びていく眼差しの巧さ。そして、妻役の二コール・キッドマン、夫の心のトラウマを労わるように、静かで穏やかな演技にも注目です。
トラウマを抱えた、つまり有無を言わさず過去の傷跡のメッセンジャーになり、またその運命を甘受した人物を演じることで、コリン・ファースと真田広之の存在感には、否応のない強靭さがみなぎる。
日本軍と英国との通訳となり、しかも一緒に拷問に加わる永瀬の若さが、あの頃の日本軍は絶対に戦争には負けないという意地とプライドが傲り高ぶり、英国軍の捕虜たちが戦争の侵攻状態を知るためにラジオを作ったことで、敵のスパイと判断され辛い拷問を受けることに。
ラジオのニュースで日本軍が負けたことを言うと、そんなデタラメなことをと殴られる始末。この話は、初めて知り、いかに戦争というものが人間を悪魔のような心にし、敵対する国の人間を動物のように、奴隷のように扱う様子に苛立ちと嫌悪感をおぼえました。
二人がついに直接対面するクライマックスに至るプロセスには、厳かな緊張感がみなぎり、宗教儀式のような崇高さすら感じられた。ただし、余りにも愚かな行為と取られる拷問場面そのものを、どう描くかについては考えさせられました。
本作の肝であるエリックと永瀬が、どのように心を通わせていったかを描く描写が絶対的に足りていない。エリックがある決断に至る過程もかなりはしょっている。だからだろう、陰惨な戦争の果てに、国の違いで敵対した二人の男が現代になって和解に至るのは、絵的に地味なのは否めない。それは実話に忠実な映画の弱みなのだろうから。
それでも人間として、エリックがここで自殺をした親友のためにも、永瀬を殺して何の得になるのだろう。それに、自分が今まで悪夢を見たトラウマを消すことが出来るのか、人間の心にはいつまでも根にもち復讐という念に駆られて、相手を殺してもその後には、必ず悔いが残るというもの。すなわち、人間には「赦す」という勇気が、これからも生き抜いていくためには必要なのではないかと。
「戦場のかける橋」などで良く知られた太平洋戦争秘話をより史実に近い形で映画化されている極めて真摯な作品でもある。去年公開された「セデック・パレ」に続く、近代日本暗黒史の一つだが、その犯罪に近い野蛮な行為の痛みと哀しみが、小説のごとく現代に至るまで被害者加害者双方に、苦しみを与え続けているところが切ないですね。
近代日本が行ってきたアジアへの蛮行の銘記を、自虐史観と決めつける人たちは、これをどう見るのか。やはりここでも、事実無根と強弁するのだろうか。
ちなみに、本作で登場する永瀬隆は実在の人物で、泰緬鉄道の建設での捕虜虐待の事実を知って英軍の基地捜索隊に志願し、後にタイへの慰霊とボランティア活動で、英国政府から特別感謝状を授与しているそうです。
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