長編デビュー作「ヘレディタリー 継承」が高い評価を集めたアリ・アスター監督の第2作。ダニー役を「ファイティング・ファミリー」のフローレンス・ピューが演じるほか、「トランスフォーマー ロストエイジ」のジャック・レイナー、「パターソン」のウィリアム・ジャクソン・ハーパー、「レヴェナント 蘇えりし者」のウィル・ポールターらが顔をそろえる。
あらすじ:不慮の事故により家族を失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人たち5人でスウェーデンを訪れた。彼らの目的は奥地の村で開催される「90年に一度の祝祭」への参加だった。太陽が沈むことがないその村は、美しい花々が咲き誇り、やさしい住人たちが陽気に歌い踊る、楽園としか形容できない幸福な場のように思えた。しかし、そんな幸せな雰囲気に満ちた村に不穏な空気が漂い始め、妄想やトラウマ、不安、そして恐怖により、ダニーの心は次第にかき乱されていく。
<感想>「一生に一度の体験になるから」と、親友に誘われたら、ついその気になり一緒にはいかないですから。友人が祭りの詳しい内容は教えてくれなかった。どうやら白夜のスウェーデンのある村で、夏至(ミッドサマー)に行われる祝祭らしい。開催ペースは実に90年に1度というから驚いた。これって本当かなぁ。実際は1年に1回というペースで開催されているような。実はアリ・アスター監督の、個人的な経験が基になっているそうです。
1日目:楽園のような村“ホルガ”に到着 祝祭が始まる。フランクフルトを経由しておよそ15時間、ざっと8000キロの旅路を経て、ストックホルム空港に到着した。さらに車で数時間かけ、スウェーデンの中央部ヘルシングランド地方の奥地へと向かった。村は非常に辺鄙なところにあるようだ。
道中では、道行く女性たちに目が留まった。スウェーデン人は皆、美女ばかりだ。なぜだろうと思っていると、友人が「バイキングが世界中から美女をさらってきたからよ」と教えてくれた。男たちはそういうところに興味があるのだ。
ホルガ村に到着した。白い麻のシャツとズボンに身を包んだ白髪の男が、にこやかにこちらに近づいてきた。村の世話役だそうだ。彼の背後には同じような服を身につけた村人たちがぞろぞろと並んでいて、一様に感じの良い笑顔を浮かべていた。彼らは家族のように連帯しながら、静かに生命を育んでいるという。
このホルガ村はクリスチャンの友人で、スウェーデンからの交換留学生ペレの故郷。ここは理想郷といえるほど美しい土地であり、抜けるように青空が広がって、美しい木々と花が咲き乱れる草原。あちこちで色とりどりの花が咲き誇り、白夜の淡い太陽光を受け花びらをほころばせている。奥まった場所には先祖を祀る御神木があり、村の歴史が記された“聖典”を保管する書庫があり、小さな湖があり、そして雄大な山脈を望む形で三角錐の建物がある。
スマホの電波やWi-Fiはつながらないが、スェーデンのホルガ村という自然が好きになった。この辺は何も考えずに、ただ知らない土地に旅行に来て、自然が美しくて、村人たちの歓迎が嬉しくて、ついその気にならざるを得ないのだった。おそろいの白い服を身にまとった住人たちが織り成す白昼夢的な光景が画面を支配する。
しかし、よそ者に対して微笑みを絶やさず優しく接する地元民が、どのように豹変するのかもホラー映画としてのみどころであります。ホラーといえば暗い画面で展開するのが当たり前なのが、ほとんど日が沈まない白夜の地で、どんな恐怖を作り出すのか?・・・不穏さ、不吉さ、邪悪さを匂わせたら右に出るもののいないアスターは、緻密伏線をこれまでのホラー 映画にない斬新な表現で、その期待に見事に応えていた。
特にホルガの一角で行われていた、檻の中にいた熊の使い方には度肝を抜かれてしまった。また、スウェーデンで羽目を外そうと、ボーイズトークに花を咲かせるクリスチャンに対して、友人にペレがかける予言めいた一言にもゾッとさせられた。すべてはこの時から仕組まれていたことなのだ。
また、彼らが宿泊する建物の内部に描かれた壁画や、あるラブストーリーが描かれた布、それに映画の冒頭に映し出された宗教画のような4つのシーンから成る一枚絵からして、プロダクション・デザインも予言的。ダニーたちがホルガで体験することすべてが、それらの絵の中でメッセージとして予兆されていたのだ。
よくよく観察すると、この村にはそんな“伏線を予感させる何か”が、とても多いことに気が付く。それは、白夜なだけに、夜11時にも関わらず昼間みたいに明るい。妙な気分だが、慣れればあまり苦にならない。村や祝祭の内容を口外することは禁じられているのだった。それはこれから行われる奇妙な行事にある。
好奇心のままに、村の様子をスマホで撮影したりメモして回った。檻に閉じ込められた熊がいた。そして書庫には、「ルビーラダー」という持ち出し厳禁の聖典が保管されているらしい。友人のペレに見つかってしまった。やばい。「口外はダメですよ」とやんわり注意されただけで済んだ。そのことを破って、外から来た若者たちが、卒業論文にこのことを書こうと、クリスチャンともう一人の学生が調べ始めるのだ。ダメだと禁じられているのに。
司祭のような女性が祝祭の説明をしているようだが、現地の言葉、スェーデン語のような、よくわからない。太陽の光があたりを儚げに照らし出し、景色は神秘的な美しさを獲得する一方、現実感を喪失していった。
また気になることに、村の1人の女性が、ずっとクリスチャンを見つめている。友人は「あなたに気があるらしいよ」と、いたずらっぽく笑った。そういえば昼間には、「愚か者の皮剥ぎ」「巨人ユミル」という言葉が不意に聞こえてきた。気になることだらけで、「これらは何なのか」と想像をめぐらせるだけでも、胸の高鳴りが止まらない。
幻想的な崖とポールの周囲を踊る女たち。ダニーが女王に選ばれる。それにクリスチャンが、村の女性から惚れられて、三角形の建物の中へ入り、婆さんたちが見ているところで、処女の女とセックスをする。それで、新しい命が生まれるのだ。つまり、村人たちだけで結婚をすると、近親相姦のようになり奇形が生まれるので、新しい血を求めてこの村へと若者たちを呼び寄せる儀式だったのだ。
クリスチャンは、そのあとは用済みの身となり、殺されてしまう。その殺し方もグロかった。とにかく、老人たちも、自然に死を迎えるのではなく、崖の上から飛び降りて、顔面を叩きつける。この辺がもっともえげつなくグロイシーンが多い。そして、火葬してから、墓らしきものはないので、きっと田畑や、原っぱに撒いてしまうのだろう。
ミッドサマーという共同体では、より大きな家族が描かれる。血の繋がりはなくとも、文字通りすべてを分かち合うことで、個と個の境界線が消滅し、お互いを縛りあい、共感能力を超えた同調圧力により感情すらも一体化する様子に戦慄する。ガンジガラメに五体を締め付けられ、ここから一生出られないように仕組まれているようだった。
うすうす感じてはいたが、この祝祭には、正直いいようのない恐れと不安、まるで体全体に黒いもやがまとわりつき、やがては体全体を包み、すべてを奪い去っていくような、そんな恐怖を感じた。ですが、ダニーにとっては新しい家族ができて、住み心地のいいところとなることでしょう。
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