NHKのラジオドラマ
人工内耳がテーマだというので気になっていました。
義母の葬儀等で最近バタバタが続いていましたが、ちょうど一段落したところで
ゆっくり聞くことができました。
ラジオは最近割と聞き取れるようになっていたのですが
いつも運転中に聞くのはAMラジオで
FMは初めて聞いたのですが
FMはAMよりかなり言葉が明瞭で聞きやすくびっくりしました。
聞き逃した方や、ラジオ聞き取り出来ない方もいらっしゃると思い
メモを取りながら聞いたので
簡単ですが、ストーリーを書き出してみました。
ただ・・
記憶があいまいな所もあるし
聞き間違えあるかもしれないし
後で見たメモの字が汚くて読めなかったりで・・・・
間違ってる所があるかもです
ご了承くださいね~。
間違えがあれば教えて下さいね。
あ、そうだ、1か所重要なセリフを聞き逃しました。
もしわかる方がいらっしゃれば教えて下さい~。
このドラマ、主人公の聞こえ方を再現して表している部分があって面白かったです。
たとえば人工内耳で聞く音とか・・・
音入れ時に聞こえる音は人それぞれで皆違ってるものだけど
あ~そんな風に聞こえてるの?と
思いながら聞きました。
『聞こえの彼方』
【放送日】
2012年10月6日(土曜日)22:00-22:50
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作:小松與志子
音楽:長生淳
演出:真銅健嗣
技術:小林健一
音響効果:柏倉梓
ボクは18歳。
親元を離れて一人暮らし。
大学に入り入学式を終えたばかりだ。
小学校3年の時高熱から難聴になり、補聴器をしている。
ある朝、目が覚めたら静けさを感じた。
起きたらいつもまずTVのスイッチを入れるのだけど
今日はTVから何も聞こえない。
口ぱくだ。
ボリュームを最大にしてみる。でも聞こえない。
となりの部屋の学生が来て
「うるさい、近所迷惑を考えろ。」と怒られる。
口を読んでそう言ってるのがわかった。
ボクは、完全に聴力を失った。
やけになり、皿に当たる。
割りまくる。
何を壊しても音はしない。
難聴での入試は大変だったが
青春したかったから頑張った。
階段のある教室で講義を受けたり、アフリカにも行きたい、いろいろ夢があった。
それなのに、入学して入学式しかしてないのに失聴してしまった。
母からメールが来た。
「困ったり不自由したら 連絡してくるのよ。」
耳の事を言ったら、すぐに迎えに来て連れて帰られるだろう。
母にいつまでもかまわれてたら大人になれない。
それでわざと遠くの大学にきたのに・・・
それなのにたった1週間でこんなことに・・・
音のない中、おそるおそる大学へ行く。
道を歩いてても音が聞こえないために
あちこちで怖い思いや嫌な思いをする
よくわからないことで怒られる。
キャンパスに入るとにぎやかだ。
ガイダンスの教室を探す。
Aの101・・・
階段式の大教室だ、憧れてた教室。
一番前の席で先生の口を読もうと頑張るが
先生はいつもこっちを向いてはくれない。
大勢の中でとても孤独。
何もかも無理だ・・・
そんな時、携帯の充電が切れたという学生がいて
その彼に充電器を貸してあげる。
彼の名はコウジと言うらしい。
口を読んで必死でコミュニケーションする。
近くにいた女の子2人と4人で
カラオケに誘われ(カラオケ~~?歌えるわけがない・・)
「アドレス交換しよう~」
「アドレスはいいけど電話番号はちょっと~~」(電話なんてかけてこられたら何も話せないのに・・)
すると女の子ににらまれた。
次の日、雨。。。。
怖くて外に出られない。
辛くて大学に行きたくない。
ふと・・窓からドアをたたくシルエットが見える。
出て行ってみると宅配便だった。
配達の人に
「居留守つかわないで!」と責められる。
居留守をつかってなんかない、聞こえないだけなんだ。
荷物は母からだった。
レトルト食品、ポロシャツ
心遣いが腹立たしい。
大学の学生課に出かけた。
「ボクは耳が聞こえないからゆっくり話か筆談してください。」
事務員は課長に何か言いに行ったが
課長の口が読めた。
ボクが聞こえてるのに聞こえないと嘘を言ってるように言ってるようだった。
「嘘じゃない!
入学式の時は聞こえてたけど、
その後急に全く聞こえなくなった。
言葉を習得してから聞こえなくなったから、
しゃべれてるけど本当に聞こえないんだ!」
そういうと泣けてきて
もう学校に行きたくなくなった。
病院に行ってみることにした。
耳鼻科は産科の隣。
赤ちゃんが泣いている。
けど、何も聞こえない。
椅子に座って待っていると
女の人がボクの肩をたたいた。
「あなた、耳が不自由?」
わかりやすくはっきりとした口で聞いてくれる。
手元の受診番号を見て
「24番呼ばれてる。」
そう教えてくれた。
妊婦さんだった。
そしてその妊婦さんは一緒に耳鼻科受付に行ってくれて
「耳鼻科の受付マイクは配慮が足りない。
聞こえに問題のある人がいるのに・・・」
と言ってくれた。
診察室では
「投薬に効果がなかったら人工内耳しかない。」と言われ
人工内耳の説明を受ける。
手術で機械を埋め込む。
まるでサイボーグみたいだと思った。
君はまだ未成年だからご両親と相談して・・・と言われ診察室を出た。
待合室を見たらまださっきの妊婦さんが待っていたのでお礼を言いに行った。
「私のおじいちゃんも耳が悪い。だんだん聞こえなくなって。
私は、ときわくみこ。また逢えたらね。」
そういって別れた。
アパートに帰ると
学生課の課長が先日は申し訳ないと、謝りのメモが入っていた。
そこへコウジからメール。
缶ビール2本持ってやってきた。
コウジに耳の事を話した。
口の動きで言葉を読んでいるから
ゆっくりしゃべって欲しいと・・・
コウジは会話がスムーズにいかなくなると自分の言葉をパソコンに打ち出した。
自分も2浪してて恥ずかしかった。隠したかった。
自分たちは、自意識の塊だ。ハンディを隠したい。
次の日、ボクは人工内耳の質問を書いて病院へ。
ときわさんに会ったら人工内耳の相談をしてみよう・・・
そう思いながら行った。
ときわさんは夫と話していたが
ときわさんの口から「 」と言うのが読み取れた。(←このセリフを聞き逃しました)
結局ときわさんもそういうことだったのか・・・と、とても残念に思いその場を離れた。
5月、実家に帰った。
両親に相談するしかないと思った。
母にいきなりショックを与えないように補聴器をしていった。
しばらくして補聴器をはずし
話しかける父に向かって
「実は父さんの声も聞こえなくなってさ。」
すると
「気が付いてたわ」と母が言った。
「ゆうすけが玄関に入ってきたときのしぐさでもう聞こえてないんだなってわかった。」
「薬もだめで、医者は人工内耳しかないと。」
「ゆうすけはどうしたいの?」
そう聞かれて自分は人工内耳に挑戦する気持ちになっていることに気が付いた。
決心して耳鼻科へ行った。
産科の前でときわさんが泣いていた。
「お母さんがしっかりしなきゃ。」と言われている。
ボクの横にときわさんが来た。
「お腹の子の心臓が普通と違うとわかった。
私が障害者ならいい。でも赤ちゃんが障害者はイヤ、辛い。」
ときわさんはそう言った。
「あなたはお母さんを恨んでる?」
「いや、そんなことはありません。
ぼく、人工内耳の手術を受けるんです。」
「そう・・手術したら私の赤ちゃんの声聞いてやってね。」
そんなことがあってから
なんでぼくだけ?と考えなくなっていた。
夏休みに入って人工内耳の手術をした。
音入れ。
「聞こえた?」と聞かれても・・・
最初は声と言うより不愉快な音だった。
がっかりした。
いますぐきれいな声を聞かせてくれよ。
マッピング
言語聴覚士に、あなたは若いし、完全失聴期間も短い。
それに人工内耳は言葉を脳で聞いてるからだんだん音になれていく・・・
と言われるが
やはり人の声はロボット。
なかなか聞こえは改善しない。
マッピングのたびに、マイクを外すとホッとするのだった。
課長に呼び出され大学に・・・。
課長の声もロボット。
話したい気も起きない。
課長の話と言うのは
ノート(パソコン?)テイクはどうかという話だった。
コウジが提案したらしい。
コウジにメールしてそのバイトを頼んだが
「断る、かわいい女の子を見つけてやる。
好きな子ができたらそのこの声を聞きたいってリハビリ頑張れるかも。」
ときわさんとばったり会った。
話をするのにいつのまにか筆談不要になっていた。
お店に入って話をした。
「あなたがお母さんを恨んでないと聞いてすごく励まされた。
人工内耳の手術を受けるのを見て
私の子も困難を乗り越えていけるようにと思った。」
と、ときわさんが言った。
店から出ると、ときわさんが突然ふらついて倒れた。
ボクは道行く人に人工内耳を見せ
「ボクは耳が悪いです。救急車を呼んでください。」
と頼んだ。
ときわさんはそのまま入院した。
ボクは詳しいことはわからなかった。
ご主人は出張で留守。
ボクは廊下のベンチで待っていた。
ときわさんがストレッチャーに乗せられて出てきた。
後をついて行くと分娩室に入った。
中の様子が気になって
頭をドアにつけて必死で聞き取ろうとした。
赤ちゃんが泣かない?
それとも聞こえてない?
そんなことを考えていると
「おぎゃ~おぎゃ~」
聞こえた~!!赤ちゃんの声だ!
新学期が始まった。
連れてきてくれたノートテイクは5人、全員男!
みんなで焼き肉を食べた。
コウジの声は昔から知ってる友達の声に聞こえた。
大きな世界が広がっているような気がした。
夢だったアフリカに行ける日も来るかもしれない。
おしまいです。
こうやって人工内耳を取り上げて下さって、少しでもたくさんの人に知ってもらえたら嬉しいですね。
追記
2012.10.18
コメント欄で 「 」 部分を教えていただきました。
【 空白部分は「障害者なんて嫌」です。 】
ちぃばあちゃんさん、ありがとうございました
再追記
2012.10.27
NHKサイトより
台本を公開してくれているのでお知らせします。
期間限定らしいですが(11月23日まで)
よかったら、読んでみて下さい。
↓ ↓
http://www.nhk.or.jp/audio/pdf/201210kikoeno.pdf
お義母さまのこと、本当に急なことで、大変だったことと思います、お悔やみ申し上げます。
ご自身の身体もいたわって下さいね。
そんな中、このラジオドラマをこんなに早くアップして下さったことにビックリしました。
あちこちでこの話みかけてましたが、難聴なのにラジオって言われてもなぁ~とひねくれた見方をしていたのですが、
難聴のこと、人工内耳のことを知らない方へわかりやすく、といったことなのですね。
主人公の、新しいことを始めた矢先の失聴の悔しさは良くわかります。
私は自分の難聴をまだ受けいれてないですが、そろそろ受け入れなきゃダメだよなあ~と思ってます。
ぷーどるさん、アップしてくれてありがとうございました。
こんばんは
そして、
義母様のご葬儀お疲れ様でした
お疲れのところなのに
ブログファンの為に
ラジオドラマをアップして頂き
ありがとうございます
軽度の難聴
不便を感じながら
補聴器も着けられないでいます
まだまだ難聴を受け入れられませんが
主人公の気持ちは
痛いほど解かりました
AMラジオよりFMの話し声の方が聞き取り
安いのは私も感じてますが
私の場合
音楽になると急に聞こえが悪くなるので
ボリュームを上げたり下げたり忙しいです
TVも同じです。
聴こえは複雑で健聴者に理解し難いのも
よく解かります。
カミングアウト
難しいですね~
わたしはSTの「○○さん、聞こえますか~」が
「われわれ(ST)は地球を侵略しに来た。速やかに降伏せよ」
とマジに聞こえました^^。
この青年(ボク)のお気持ち理解できますよ。
わたしも最近やっと再就職できたんですが、会社として障害者雇用は初らしく、しかも聴覚障害者相手にどう接してよいか誰もわからない。
で、ほんと誰一人わたしと話そうとする人はいません。非常に孤独。
しかも仕事の大部分が電話で参る。
まあ、このボクと違うのは、これでも多少は人生長く生きているので、耐えるということを知っているつもりなのです。
若い方たちは困難に直面すると、どうしていいかわからないでしょうから大変だと思います。
ラジオの内容を丁寧に書き起こしてくださりありがとうございました。
ラジオドラマ読んでいただいてありがとうございます。
喜んでいただけて嬉しいです♪
ラジオは字幕がないから困りますよね。
難聴の受け入れはなかなか難しいですね。
私なんて発症から30年近く受け入れ出来てませんでしたから~(苦笑)
受け入れると生きるのが楽にはなりましたが・・・
でもだからといって無理に受け入れなきゃと思わなくてもいいと思うんですよ。
生活の中で色々経験するうち
自然と、気が付いたら「あれ?」って・・・
いつのまにか受け入れてるという感じじゃないかなと思います。
自分の気持ちに無理せず正直に・・・・
やっていきましょう~。
義母の事、ご心配いただいてありがとうございます。
りょんさんも読んでいただいてありがとうございます。
軽度の頃って、私は一番辛かった時期です~。
だから補聴器付けられず、受け入れられないというお気持ちはよくわかりますよ~。
やっぱりFMの方が聞こえがいいですか?
夫に言ったら 「そらそうやろ。」って言われましたが・・・
そういうものなんですね(笑)
音楽になると聞こえが悪いということは
ボリュームを上げるということですか?
楽器の音は伝わりにくいのかしら?
こんな風に難聴者同士でも、聞こえ方に「??」という事が多々あるので
健聴者にわかってもらうのはやっぱり難しいのでしょうね。
義母のこと、ご心配頂きありがとうございました。
てんそばさんも、読んで頂いてありがとうございます。
再就職されたんですね。
それはおめでとうございます。
職場で聴覚障害者が今までいなかったとなると
みなさん、どう付き合っていいのか
やっぱり難しいのでしょうか?
孤独というのは、働く難聴者からはたびたびお聞きします。
周りの理解がもっと得られるように
今後の改善を願いますね~。
てんそばさんも、最初はロボットですか?
ロボットの人は結構多いのですね~。
・・・っていうか、「宇宙の侵略」なら
ロボットというより宇宙人かな?(笑)
私は、不思議と 最初から普通の声に聞こえました。
声に関しては本当に普通に聞こえたんですが・・・。
でも、楽器の音や、水の流れる音が
「チュルチュルジージー」という機械音だったこと
今は懐かしく思い出しますが
その音を聞いて
「左耳は機械なんだな~」と実感したものです。
これまで私の個人的なブログをご紹介しなかったのですが、よろしければたまには覗いてやってくださいね。
もともとは人工内耳のブログではなかったのですが、
人工内耳になってからはほとんどCIやHAのはなしばっかりです。
http://ameblo.jp/sharoshi/
よろしくお願いします。
ブログのご紹介いただいてありがとうございます。
早速訪問させていただきました。
素敵なブログですね。
ラッセンの絵も素敵ですね~大好きなんです
・・・って、このブログ、私読ませていただいたことがあります~
てんそばさんのブログだったのですね
びっくりしました~。
過去の記事を見ると、すごい海外旅行の数
旅行がお好きなのですね~。
何ヵ国行かれたのでしょうか。
素敵な趣味をお持ちで羨ましいです。
海の中の写真も綺麗ですね~。
ダイビングもされてたんですね。
・・・でもこれは人工内耳からはできなくなっちゃったのかな・・・
人工内耳に関しての記事もたくさんあり読みごたえがあります・・・
これからゆっくりじっくり読ませていただきますね。
楽しみです。
これからもよろしくお願い致します。
おくればせながら、このたびはご愁傷さまでございました。
お義母さま、安からかに逝かれたようで、ようございました。
私の親父が亡くなったときも、まったく突然でした。
真夜中に看護婦さんも気がつかないうちに亡くなっていたそうです。
最期まで子供孝行の親だったなあ、といまでも思います。
お疲れもあると思いますので、しばらくは、どうぞごゆるりと。
ラジオドラマの内容は、ほとんど聞き取っておられるんですね。
驚きました! 凄すぎます!
私もFMはたまに聴いてみることもありますが、まあ、ほとんどわかりません。
私の場合、病院のSTの先生に貸していただく朗読のCD(音質が良い)を何べんも繰り返して聴いて、やっと書き取れるかなあ、といった感じです。
ちなみに、ぷーどるさんは手術後に、どんなリハビリを実践されましたか?
参考までに教えていただけると、ありがたいのですが。
やはり、聞き取りは一生懸命頑張られたのでしょうか?
葬儀の後少し落ち着いてきました。
ご心配いただきありがとうございます。
麻呂さんのお父様も突然に・・・だったのですね。
残されたものとしては、苦しむ姿は見たくないので
安らかに逝ってくれることは一番の願いです。
私も、義母の臨終に立ち会うことはできませんでしたが
楽しい夢でも見てるような穏やかな表情を見て
あまり苦しまなかった事に安堵しました。
さて、ラジオですが
有難いことにほぼ100%綺麗に聞き取れました。
AMラジオだとここまで綺麗には聞こえないので
自分でもびっくりでした。
聞いてるうちに自分が難聴だという事を忘れていました。
ただ、メモしながらなので
大事なセリフを聞き逃してしまったりもありましたが・・・
ANの耳では、難聴が始まって音はまだまだしっかり聞こえてる時から
ラジオは一番に苦手なものになっていました。
音は普通に聞こえてるのに、言葉がどんどん聞き取れなくなりました。
そんなわけで長い間ラジオから遠ざかっていましたが
人工内耳をして1年半くらいたった頃でしょうか?
車の中でいつも流していたCDの音楽を
ラジオに変えてみたのです。
AMのABC放送とか、毎日放送とか・・・
キャスターが一人で話す分には、割と聞き取れるということがわかって
それからは、リハビリの意味も込めて車に乗るとラジオを聞いていました。
このたびFMを聞いてあまりに鮮明で綺麗な音声でびっくりしました。
この放送を聞いたのはなんと、車の中です(笑)
どこで聞こうかと思って
我が家のリビングに一つあるラジカセでは
家族の雑音が入って、きっと聞きにくいだろう・・と判断して
そうだ!車の中は雑音もなく音響もよく
最高のシアターに違いない・・・と(笑)
実際、静かな狭い空間で綺麗に聞き取ることができました。
夜の駐車場で「運転席でじ~っと座って、何してるの?あのおばさん」状態だったかもしれませんが(苦笑)
まあ、邪魔が入らず、ゆっくり聞けて良かったです(笑)
術後のリハビリなんですが
私がこれといってやったことは
ひたすら音楽を聞く。です。
術後はめまいが酷くて、少し家事をすると疲れて横になっていましたが
その時持ち歩いてた携帯に入れた音楽をとにかく耳元において流し続けていました。
音楽はたくさんの周波数があって
いろんな音に、脳が慣れるにはいいと思ったし
海香さんにも「音楽を聞くことは良い」とお聞きしたので。
それに、TVがある場所では見たい番組がなくても
TVを付けっぱなしにして
常に音を聞くようにしていました。
そんな感じで、一生懸命したということはあまりないのですが・・・
ただ、常になにかしら聞いておくようにした・・という感じでしょうか。
ただ、私は語音聴力は悪いながらも
右耳が40dBほどあり音を聞くことは出来ています。
最初のリハビリ時に、
たとえば水道から出る水の音が
左は「チュルチュルジージー」
右は「ジャーーー」
このように最初は左右違う音だったのですが
脳の中で「左で聞く音」を 「右と同じ音」へ・・・
右の音が左の音を自分と同じ音へ誘導していってくれたように思います。
そのために、割と早く自然な音に変わっていったのかな~と思っています
。