
これも、多分、私の臆病が肩を強張らせ余計に悪くなってるのかもしれない。
体の左側が昔から悪いような気がする。
腰、目、歯、必ず疲れると左に来る。
きっと、スイスでの写真撮影300枚以上、効き目の左の酷使。
イタリアへ行った時も目を充血させて帰ってきたことがある。
最もその時は、小さな時刻表の数字を必死でみていたのも影響ありと感じている。
今回、いい加減学習すればいいものを、仲間はスイスで杖を持ち、私は一眼レフのカメラを持ちながらの旅だった。
6回目の針、今日は大分治療院にもなれ、いろいろなものが見えるようになってきた。
まず、白い白衣の上にいつも先生が着ているきれいな赤のカーディガン。
点字用のタイプライター?
ステレオの上にあるミキシング。
黄色のボタンの写真。
今日は、先生に質問をしてみた。
「写真を撮られのですか?」「一人では見えないから撮れないけど助手がいれば」「・・・・」「困るのは出来上がった写真が見えないから、こっちがいいこの方がいいと見る人によってちがうからねえ」とおっしゃる。
「人物は撮れないけどこのあいだ、山都の蒸気機関車を撮影してきた」「・・・」
そういえばケースに入っていたレンズの一つがない。
「ミキシングはいつから始めたのですか?」
「30年ぐらいになるねえ」
Tさんから、A先生はエンターテイナーで有名よと聞いていたがこのことだったのか・・。
こういう内容は、鍼治療のときは集中してもらわないと恐ろしいので聞かないようにして揉みの段階になってから聞くことにした。
生まれたとき抱っこされたとき、太陽の光の方ばかりに目を向けていたのでおかしいと親が思ったことが始まりだったらしい。
いろいろと病院を巡り、それまで祈祷師のいうことや目にいいということは全てさせられたと・・。
すっかり諦めて盲学校へ行くようにしたのが中学2年だという。
それからが点字勉強の始まりであり、親さんはあらゆる犠牲を払って望ましいことをしてくれた様子である。
因果なことに、この先生の息子さんを私は幼稚園で預からせていただいたことがある。
今では郵便局に勤め趣味の音楽を楽しんでいるという。
「息子は昔からおじいちゃんが好きでねえ、車に乗せてどこへでも行ってるんだ」と語っていた。
おじいちゃんやおばあちゃんが幼稚園へ送ってきてたなあとその頃を思い出してしまった。
さて、笠間日動美術館、初めての訪問である。フランス館、アメリカ館、日本館とわかれ、常設するフランス絵画もすばらしいものを所蔵してる。
本当は、もっと絵画好きの仲間とゆっくりみたかったところである。
そこを見た後は皆が好きな笠間焼きを見て回った。
高速道路1,000円で人の出は多いが不景気で買う人がいないという。
それで売れなくては話にならないと陶器作家はヤケクソで半額ぐらいに値段をおとして売っているところもあったし、店の奥で眠ってる人もいた。
叔父は眠ってる人を起こし、私はヤケクソになっている人からちょっとしたものを求めた。
夫が、鍋用の陶器をみつけたので来るようにといわれ、行ってみると5,000円のものを3,500円にするという。
見た目もそれほどでないし、蓋が合ってないのではと思われるものなので、夫の衣服をぐいぐい引っ張ったが・・。
「3,000円なら・・」と低く私が呟くとすんなりとそれでいいという。
多分使い勝手はいいかもしれないと私の好みではなかったが夫の顔を立て、却下せず購入にいたった。
帰って来てから、作家略歴をみるとなんでも19歳で武者小路実篤の新しき村に共感し、入村し、陶芸を始めたのは実篤に小さな窯をもらったことに始まるという70歳ぐらいの人である。
特徴は、どの陶器にも野の花が描かれている。
夫の釜もナデシコの花がちりばめられていた。
それに、福島に疎開したことがあり、野の花はそのときのその人の基をつくったという。
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