a green hand

今日と明日の境界日



参った 困った の呟きの数日である。
今朝は、友人のYが打つ年越し蕎麦が届いた。
昨日は、娘からお酒が届いた。
せっかくの数日を故郷で過ごす娘だ。

明日は我が家に来ることを心待ちしていたハルがやってくる。

今朝早く旅友からの電話 で 「まさか寝てないでしょうね~。」
「はは~ん年齢以上の負荷がかかったんだわね」
電話の内容は昨日、観たというクリムトに関する映画に感動、良かったからみにいくようにというお勧めだ。

28日からゆっくりと風邪をひいていられる時間を得たのだ。
しかしである。
これを大事な娘や孫に移すわけにはいかない。

夫や母は私がダウンすると忙しく立ち回り、夫や母がダウンするよりは私にとってはいい。

平熱が5度台である私にとり6.7分も高熱だ。
それが8度4分までの上昇には流石に参った。

死ね時はどんな風な状態で死んだら幸せだろうか?などと考えたり。
身寄りのない人がボランティアの人に手を握られて死ぬのは家族がいてもそういう事を大事に思わない人の中で最期を迎えるよりは幸せかもしれないなどと考えたりした。

長い事一人で寝ていて人恋しくなった私はリビングで録画の「永遠の0」を夫と見ながらなるべく好きな人には早く死んでもらいあの世で待っていてくれたら嬉しいだろうとか思いながら観ていた。

まったく思考回路は生か死である。

永遠の0は一昨年だろうか娘が家に持ってきた本を読んで感動し、従って映画は観なかった。

これが今年最後のブログになるんだなと何か物足りなさを感じるのは病んでるせいかもしれない。
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