昨年7ヶ月近く続けた早朝散歩でしたが、あまりにも気温が低くなってきたので、
11月下旬に、しばらく休むことを決めました。
それでも、早朝散歩があまりにも愉しかったので、諦めきれずに散歩の仕方をいろいろと
考え続けていました。
試しに日暮れ前に帰宅できる時間を見積もって家を出て、2時間位歩いてみることにしました。
北風が吹かなければ、陽射しもほどよく快適に歩けます。
歩きながら、目についた花々や樹々を撮影する愉しさも、散歩の魅力の1つです。
ただそれだけで、心浮き立つような気持ちになれるのですよ。
遠出や旅をしなくなってから、かなりの期間が過ぎていることが原因の1つかもしれませんね。
寒さの峠を超えて、少しずつ暖かくなる頃までは、夕暮れ前の散歩を愉しみたいと思います。
今日は、ふくらみ始めた梅の花のつぼみと出会いました。
つやつやピカピカのつぼみたちです。 | |
本格的な寒さは、これからなのですが、ふと... 「冬来りなば春遠からじ」という言葉が浮かんできました。 昔から使われていることわざのようでもあり、 漢詩が原典のようにも感じるこの言葉は、イギリスの詩人 シェリーの長詩「西風に寄せる歌」の最末尾に書かれた If Winter comes, can Spring be far behind ? を日本語に 翻訳したものなのです。 学生時代に知って「えっ、そうなの?」と驚いたことを 思い出しました。 日本語訳が素晴らしいですよね。 翻訳者が誰なのかについての興味深いエピソードも、講義の中に 織り込まれていました。 年齢を重ねるにつれて、古い記憶ほどはっきりとしてくる... そんな言葉も胸をよぎる近頃(お年頃)の私です。 もう1つ、「Winter」 と 「Spring 」は、なぜ大文字で 書き始めているのか? そんな設問もありました。 答えは「季節を擬人化しているから...」だったと思います。 「春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが...」 と歌う、童謡「春よこい」の歌詞でも、「春」を擬人化している ようにも感じられます。 雪に閉ざされた冬の越後で、静かに春を待ち望む人々の思いが、 歩き始めたばかりのみぃちゃんのあどけない視点を通して 伝わってくる歌詞と言われています。 | |
小さな愛らしいつぼみの中では、花びらが開花の日のための準備を進めているのですよね。
今年は、梅林散策をのんびりと愉しめるでしょうか...
そんなことを思いながら、家への帰り道を歩きました。
新型コロナウイルス禍の収束の日を、1日も早く迎えることができますように...
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