私が漢字を少し読めるようになった小学校低学年の頃の話である。近所の古い家の玄関の上に『貴族の家』と書かれた青地の金属プレートに気がついた。
家に帰ると母親に向かって言った。
『鈴木さんちって貴族なの?すごいね』
母は一瞬、この子は何を言っているのだろうという顔をした。そして私に尋ねた。
『今、貴族って言った?』
『そう。貴族の家って玄関の上の青い札に書いてあったよ』
母は笑いをこらえていたが急に真顔になって言った。
『あれはねえ、イ・ゾ・クって読むのよ。鈴木さんちのおじさんは戦争に行って死んじゃったの』
『あの札はお国のために尽くして亡くなった兵隊さんの家族っていう、名誉の印なのよ』
今思い出しても顔が赤くなる。とんだ勘違いであった。
その後、私は学校の行き帰りやお使いの途中で、家々の玄関を見るのが習慣になった。『遺族の家』のプレートは私が思ったよりも多くの家に貼られていた。そして鈴木のおばさんはいつも明るかった。
皆それぞれに心に深い傷を受けながらも健気に頑張っていたのである。
古い記憶を辿ってみても、身内や近所の大人たちから『戦争がなかったら』とか『戦争に勝っていれば』という愚痴を聞いた覚えがない。また『戦前の政府が・・・』とか『軍部が悪かったから』などという恨みがましい言葉も聴かなかった。
今、改めて考えてみると。周囲の大人達が戦争中の苦しかった戦争の想い出を語らなかったのは、単に「想い出したくない」という理由だけではなかったようだ。
そうでなければ当時のあのカラリとした明るさは理解できない。
戦後GHQが実施した占領政策に日本人がすんなりと順応していった要因の一つを、『日本人のあきらめの良さ』と分析している評論も少なくない。だが、それこそ占領政策の思想コントロールの術中にはまった分析だ。それは『あきらめ』ではなく、日本人特有の『潔さ』が作用していたのである。
あきらめと潔さは似て非なるもの、天と地ほどの違いがある。
あきらめには過去への未練と弱さがある。潔さは過去をすっぱりと切り捨てて、新たに前進しようとする強さがある。戦争体験世代は戦後世代にはない強さがあった。この強さこそが日本の復興と繁栄に結びついたのは間違いない。
次回に続く
【今日のミコトノリ】お爺ちゃんお婆ちゃんありがとね!
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