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私的戦後史② お盆の宴

前回の続きです。

終戦記念日が8月15日であった事は幸いであった。それは子供の頃から家族や大人達の戦争体験談を聞けたからだ。

私の故郷のお盆の行事は8月に行う。終戦記念日ということで自然の流れで戦争の話が話題の中心となる。我が家では精霊流しのある15日に、近隣に住む身内が一同に集まって宴会を行うのが恒例であった。それは私が高校生の頃まで続いた。
幼い私は父や叔父の膝の上に抱かれながら、大人たちの話を聞いた。宴の話題は世間話から始まって、亡くなった身内の話、そして戦争の想い出話へと移っていった。

私はかなり小さいころからの記憶がある。古い記憶から順に辿ってみると、最初の頃の大人達の話題は、戦中戦後の食糧難、生活物資の不足等の苦労話は多くとも、戦時中の悲惨な話はあまり聞いた覚えが無い。戦争の本質に迫る残酷かつ悲惨な話は記憶も生々しくて、思い出したくない話したくないというのが大人達の思いであったのだろう。

大人達の話ぶりには、戦後の混乱期の今日生きるのが精一杯という時代を切り抜け、ようやく暮らしも落ち着き、先の見通しが立てられる平和な時代になった。「良くぞここまで頑張ったものだ」という喜びと明るさの雰囲気があった。

座敷の中央に大きなテーブルが置かれ、今ほど豊かではないが、出来るだけのご馳走とお酒が並べられていた。子供達にはサイダーやジュース、果物、普段は食べられない珍しいお菓子がたくさん用意された。

大人達は子供達にやれ飲め、やれ食べよとけしかけた。そして父は私を膝の上に抱くと。決まって頭を撫でて頬ずりをした。「ひげが痛いよ」「タバコ臭い」と私が嫌がると、周りの大人達はどっと笑い転げた。

自分が人の親になってみて、その時の父の思いが分かった気がする。
「多くのものを失ったけれど生きて帰れて良かった!」そんな思いがあったのだろう。自分で言うのもいささか照れるが、幼い子は『生きた証であり、生きる希望』であったのかもしれない。

前回の家族の戦争体験談の概略はすべて、両親や叔父、叔母から聞いたものであるがそれはもう少し時が流れてからの事である。

次回に続く


【今日のミコトノリ】僕は管理人の生きる希望だにゃ!

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