冥土院日本(MADE IN NIPPON)

平和憲法と言う名の呪縛

更新を中断してから4年余りの歳月が経ってしまった。再開を決めてから、準備のために自分のブログを見てみると驚いた。訪問者などほとんど無いのではと思っていたら、以前と変らぬほどのアクセスが継続していること、多数のコメントが残っていることが分かった。更新中断の間、ご訪問あるいはコメントを頂いた方々に心からお詫びと共にお礼を申し上げたい。


現在ニュースで取り上げられている話題をざっと挙げてみると、オリンピックのエンブレム盗用騒動、維新の党分裂、山口組分裂、JRの信連続号ケーブル火災、マイナンバー制導入、相次ぐ凶悪犯罪、安保法案、などがある。一見して何の脈絡も無いように見えるこれらの出来事が、実は全部が根っこでひとつに繋がっている。

それは70年前、大東亜戦争(太平洋戦争)終結後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が行った占領政策に端を発している。占領政策という名の癌細胞は今や全身に転移し、日本国と日本人の心と体を蝕んでいる。

占領政策の概略は下記の通りである。
1 戦争犯罪人の逮捕
2 公職追放
3 言論統制
4 非軍事化
5 民主化
6 農政
7 教育改革
8 非共産化と再軍備
9 「慰安所」の設置(※進駐軍を対象としたもの)
10 対日講和
11 日本語のローマ字化計画

開戦前の日本の実力は、戦後の洗脳教育を受けた我々の認識をはるかに超えていた。大東亜戦争は物量、資源共にはるかに勝るアメリカに挑んだ無謀な戦いと教えられてきたが、その実力はアメリカにとって恐怖を覚えるほどであった。日本も総力戦であったが、アメリカも必死の総力戦で戦った。占領政策はその痛い経験を踏まえて、日本を工業大国から農業小国とし、無害な属国とする日本人骨抜き政策であった。その占領政策の総括と言うものが『日本国憲法』である。

終戦時20歳であった方もすでに90歳、戦争を体験した世代も本当に少なくなってしまった。戦後生まれの方も最高齢は70歳。「団塊世代」も65歳以上となった。私も団塊世代に近い「戦後間もなく世代」である。戦争の直接的な体験談を語る事は出来ないが、親世代から聞かされた戦前、戦中の話は次世代に語り継ぐ事が出来る。そして最も重要なのは自らが体験したGHQの占領政策によって、どのように洗脳されてきたかの戦後洗脳史を語ることだと痛感している。

多くのサイトを見てみると、『60歳以上の世代に憲法9条を絶対視する傾向が強く、憲法改正アレルギーが強い』との声が多い。それには理由がある。戦争の傷跡が残る環境の中で、戦争の悲惨さや残酷さ、恐怖を、親世代からつい昨日の出来事として聞いて育った子供達には、後の軍拡競争の中での核兵器と核実験による死の灰の恐怖と相まって、戦争は常にリアルな世界であった。そのような状況で学校や書籍、テレビ、新聞等で戦争放棄のお題目を耳元で囁き続けられれば、平和憲法が如何に魅力的なものに感じられたかをご想像いただきたいと思う。

私がこれらの洗脳の事実に気づき、政治の表と裏の仕組みを理解してからも、暫くの間は憲法改正と核の問題については複雑な心の葛藤があった。自分自身の体験を振り返ってみて実感するのだが、団塊世代や戦後間もなく世代にとって洗脳の後遺症は根深く、深層心理に深く影を落としているのである。

今、周りを見渡せば世界の嫌われ者、厄介者、ならず者と呼ばれる困った国々が暴走し、虎視眈々とわが国への侵攻の機会を狙っている。それらの国々に共通する点は、捏造、歪曲された歴史観の洗脳による反日感情への煽動である。日本が置かれた状況は元寇、幕末、日露戦争、先の大戦に続く五回目の国難ともいえる局面を迎えている。(その詳細は次回に) 

切羽詰ったこの時に、平和憲法を絶対視し、集団的自衛権さえも認めないではこの国の未来を誤ってしまう。いや失ってしまうかもしれない。同世代の方々に訴えたい。『もういい加減にGHQがこの国に仕掛けた平和憲法という『呪縛』から眼を覚まそうではありませんか。

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