■密入国ルート
検挙された事例の一部でさえこの数であるから、実際に密入国に成功した人数は相当な数であった事は間違いない。また摘発を受けた場所を見てみると、福岡県の福岡市から現在の北九州市の玄界灘沿岸部。広島、関西の都市となっている。朝鮮半島から日本本土への海路は玄界灘を超えて来るのだが、この海域は小船にとっては非常に難しいルートだ。特に冬場は海が荒れる。場合によっては命がけの渡航となる。
昔遣唐使が辿った、対馬や壱岐を経るコースが安全ではあるが、監視の目も多く密航には適さない。従って朝鮮半島から一気に福岡県沿岸(博多から若松市(北九州市若松区)辺りの海岸を目指すのが最短距離となる。対馬海流によって船が東に流されても、山口県の日本海側の沿岸に到着できる。戦前は博多から若松間、山口県の下関から先は大きな町がなく、人家も少ないために密航の上陸地点としては最高の場所であった。
また、戦前若松市は背後に筑豊炭田や八幡製鉄を控え石炭の積み出し港として繁栄していた。同じく門司市(北九州市門司区)は支那(中国)や朝鮮へ向かう航路の玄関口として栄えていた。ごんぞ(港の荷役を行う人夫)や炭鉱労働者など密航者の仕事には事欠かない環境があった。
記事を見ると大掛かりな密航ブローカーが暗躍し、国内にも手引きをする朝鮮人組織があったようである。福岡沿岸に到着した密航者はここで日本の船に乗り換えて瀬戸内海経由で広島や神戸、大阪を目指したのである。広島や大神戸、大阪には早くから朝鮮人が定住し、市内に朝鮮人の街やを形成していたから、身を隠すには最適であり、大都市だけに仕事も得やすかった。
朝鮮半島からの密航ルートは、戦後の大量密航者の渡航にも利用されたし、後の北朝鮮の拉致事件もこの地域で多発している。万一、朝鮮半島有事の場合、難民が大挙して押し寄せるのは佐賀、福岡、山口の沿岸地域となるであろう。この辺りにお住まいの方は十分に注意が必要である。
■戦前の国内在住の朝鮮人
明治40年の日韓併合条約締結以後、日本の内務省によって朝鮮人の日本移住が許可され、昭和5年には約3万人の朝鮮人の移住者があった。やがて昭和10年(1915)には、62万人に一気に膨れ上がり、終戦時の日本本土に居住する朝鮮人は約200万人(諸説あり)と見られていた。当然ではあるがこれら人々の全てが密航者ではない。
昭和10年というのは4年後には日本でアジア発のオリンピック(戦争で中止)を開催使用というほどに、日本の経済状況がピークを迎えた頃である。この昭和10年前後に密航摘発件数も大幅に増えているのが見て取れる。
好景気に沸く日本本土に密航のリスクを犯してまで、なぜ日本に来ようとしたのか。それにはいくつかの訳がある。南北朝鮮人や在日の人達は、日帝の植民地政策が過酷で生活に困窮した人々が・・・と言いがちであるが、それはとんでもない嘘である。
■李王朝時代の悲惨な朝鮮
日本が朝鮮併合を行う以前の朝鮮半島の実態は、悲惨の一言に尽きた。農業以外の主要産業もなく、その農業でさえ何百年も変わらぬ遅れた農法に頼り、生産性も極端に低かった。李王朝時代の農村の人口統計を研究者が分析すると、どの集落でも三代以上続く定住者がいないのである。それは支配者層である両班の過酷な収奪に喘ぎ、今日食べる物もないような生活の中で農民たちが大挙して村を捨てて逃げたからである。
至近な例で恐縮だが、妻の実家は農家であるが信州の同じ土地で18代続いている。18代といえば昔の平均寿命を考慮して、一代20年余りとしても360年から500年は定住していることになる。支配者は次々と変わっても政治が良ければ民は変わらないのである。
李王朝時代の朝鮮を訪れた西洋人の手記を見ると、その当時の人々の生活や朝鮮民族の特性が記されている。大便や小便を通りや人家の周りで排泄する。臭気に満ちた最悪の衛生状態。疫病の蔓延。首都でさえ宮廷と両班の住居以外は建物らしい物もなく、草葺の粗末な小屋が立ち並び、人々は慢性的な飢餓に苦しんだ。
また民族性として、「計画性に欠け、堪え性根が無く、高慢で怠惰である」と記している。現在残っている併合前の写真をネットで検索してご覧になると良い。そこには今の朝鮮人たちが日本人を軽蔑する際に例える(ケッセキ、チョッパリ)犬や豚、、牛馬など畜生以下の生活が写っている。
★日本併合前の朝鮮の写真
■外国から見た李氏時代の朝鮮人観
「じじ登場の巻」補足資料から引用
「雨森芳洲」 上垣外憲一 1989年 中公新書
●新井白石の朝鮮観 (江戸中期の儒学者・政治家 1657~1725)
日本に送られてくる通信使は、日本向けには将軍の襲位祝賀をうたいながら、朝鮮の文献を読んでみると、敵情探索を目的としている。これは恩義を忘れたものである。大体、朝鮮は信義のない国であって、明が清に攻められた時も一人の援兵も送ろうとしなかったではないか。「夫朝鮮狡黠多詐、利之所在、不顧信義、蓋○狢之俗、天性固然」(朝鮮人は狡猾でいつわりが多く、利のあるときには信義をかえりみない。狢(むじな=タヌキの異称)の類の風俗は、天性からしてそうなのである 「国書復号経事」)。
●「新・韓国風土記 第1巻」 ソウル市根の深い木社編 安宇植訳 1989年 読売新聞社
両班階級は常民との約束は到底信用できないもの、彼らに誠意や真実、信義や正直、良識などの徳目を期待するのは無駄なことと決め付けた。さらには、そうした徳目を悪魔に売り渡した階層として扱うより他ないとまで認識するようになった。常民階級が徳目に背を向け… したがって彼らは、ほんのわずかでもおのれの利益につながると判断すると、喜怒哀楽の感情を度が過ぎるほど、行為や言葉によって示した。大声を張り上げたり、暴言を吐いたり、下卑た言葉で口汚く罵倒したり、時には腕をまくったり拳を振り上げたり、目を剥いて睨んだり胸ぐらを掴んだりするのもそのためであることが少なくなかった。そうしてこうした粗野な言動こそが、しばしば彼らに利益をもたらしたのである。
●「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫)
暮らし向きの楽な人々は一軒また一軒と場所を変えて時間をつぶす。政治については危険すぎるので話題にしないが、宮廷や市内のゴシップや著名人をさかなにした冷やかしを受け売りしたり、ニュースを仕入れたり、披露したり、でっち上げたりする。(中略)庶民は通りや家の前で宿屋で人と会う。そしてお互いの商売、仕事、ふところぐあいなど、かなりぶしつけと思われることについてえんえんと尋ね合ったり最新のニュースを仕入れ合ったりするのである。どんな男もできるかぎりニュースを集め、あるいはつくる。耳に入れたことを嘘と誇張で潤色する。朝鮮は流言蜚語の国なのである。朝鮮人は知っていること、というより耳にしたことを人に話す。
●ノース・チャイナ・ヘラルド紙 1905年5月5日号 (「外国新聞に見る日本3」 1992年 毎日コミニュケーションズ)
朝鮮ほど贈賄や腐敗がよく見られる国もないだろう。また、この半島ほどなんの理由もなくだましたり、だまされたりすることが広く行なわれている国もない。そして、これまで朝鮮政府ほど詐欺、うそ、横領が満ちあふれ、骨の髄まで堕落した政府はなかった。しかし、朝鮮はそのような自分たちのやり方に慣れ、これには気づかなくなっており、他人の欠点ばかりが見えるのだ。 (エッソン・サード記者)
●「悲劇の朝鮮」 アーソン・グレブスト 1912年 (高演義・河在龍訳 1989年 白帝社)
(学者である両班は)礼節上、天地の間に起こることならすべからく知っていなければならないし、質問されたことにはことごとく答えられなければならないわけですが、ただ、わざと騙そうとするのではありませんが、その嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず悪びれる様子がほとんどない。もし誰かが彼の言うことを受け入れないで別の論理で反駁を加えたりすると、彼は礼を守り抜くために必死の努力をするんです。なかなか信じようとしない人を説得したり、または自分の正しさを納得させたと自分自身思えるまでは、決して投げ出したりはしません。
●「朝鮮の悲劇」 F.A.マッケンジー 1908年 (渡辺学訳 1973年 平凡社東洋文庫)
韓国人は、遺伝と教育とによって、その大部分が、おおげさな物言いをする人間か厚顔無恥の嘘つきかである。それで、日本人の非行についての彼らの陳述は、検証なしに、これを受け入れることはできない。(ジョージ・ケナン、ニューヨーク・アウトルック紙の論説から引用している)
■朝鮮併合
朝鮮併合については簡単に経緯を述べておく。
朝鮮半島は地政学的には清やロシアの東進を阻止するには意味合いがあったが、日本にとって国土や民族性から、益の無い国として韓国併合に反対する国内の意見が多かった。ハルピンで朝鮮人テロリスト安 重根に暗殺された。伊藤博文は強力な反対派の一人であった。
伊藤の暗殺によって、日本国内の朝鮮併合の意見が高まったのは、朝鮮民族にとっては甚だ皮肉な結果となった。歴史にタラレバは禁物であるが、もし伊藤が生きていて朝鮮を併合しなかったならば、日本にとっても、朝鮮にとっても???これ程の幸せは無かったであろう。
当事のヨーロッパ列強諸国はロシアのアジア進出をけん制する意味で、日本の朝鮮併合を歓迎した。朝鮮に色気を示していたのは中国大陸進出の足がかりが欲しいアメリカであった。しかしアメリカは朝鮮への進出はリスクの割には余りにも益が無いと判断し、フィリピン進出へと方針を切り替えた。アメリカは日本にフィリピン進出を認めさせるために、日本に対し朝鮮併合を積極的に薦めた。
一方、朝鮮国内においても併合を望む親日派と反対派、独立派が対立していた。親日派は当初「合邦」という形を望んでいた。日本やアメリカを視察するうちに、当時の国際情勢と自国の実力を認識すると共に、日本との国力の差を実感し、独立や合邦などは有り得ない事を実感。「併合」に方針を切り替えた。後に韓国大統領「朴 正煕」は石原新太郎との話の中で「韓国併合は朝鮮にとって最良の方法であった」と述べている。こうして国際法上何の問題も無く、欧米列強からの同意と薦めによって朝鮮は平和裏に併合されるのである。
40年ほど前の事であるが、朝鮮併合を進めた親日派の子孫の方とアメリカでの出会いがあった。その時の話はいずれこのブログでご紹介したいと思う。
長くなったので続きは次回に
【今日のミコトノリ】
怠惰な奴だって! 猫は寝るのが仕事だにゃ。
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