ecoる・・Ⅱ・・

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楽しく、丁寧に、精一杯に・・

父親..

2020-10-13 22:17:00 | ブレイク・・
私の父親は..

2011年6月に亡くなった。

その時..

悲しい感情と同時に

私は正直なんだかホッとした。

それは嬉しいという感情に

少し似ていたかもしれない。



私の父は昭和10年、京都で生まれた。

その後、戦争が関係しているのか..

家族で北海道へ移住している。

父の父親(祖父)は..

祖母が若くして(父が7歳の頃)

急死してから..

よく、お酒を飲んでは子供(父達兄弟)に

辛く当たったらしい。

お酒を飲み始めると..

学校に納める予定のお金で

「酒を買ってこい!」と怒鳴っては

空の一升瓶を投げつけられたらしかった。



そんな祖父に育てられた父は..

愛情を示すのが下手くそで..

私は父の愛情を感じたことがないまま

大人になった。

頭を撫でられたことも..

幼い頃に抱きしめられた記憶すらない。



そんな父は..

私が5歳の時に再婚した。

継母がいきなり一緒に住み始めた。

その人の子供はすぐに生まれた。

今考えると..

結婚した時にはすでに

お腹は大きかった。

だから、私の実母は出て行ったんだ。

追い出されたのかもしれない。  

喧嘩ばかりしていたし。


継母の子供が2人生まれ..

すっかり父親は..継母と..

その子供達に取られてしまった。


父親の愛情を感じたことはなくても

私は父が大好きだった。

怖くて、叱られたり..

怒鳴られたり..

褒められようと..学校の勉強を頑張っても

褒められたことなんてない。

でも、大好きで、心の支えだった。



父は祖父が反面教師になったのか..

普段からお酒は飲まない人だった。

でも..

私が思春期で..

夜の帰りが遅くなった日は
(門限を破った日)

お酒を飲んでいた記憶がある。



私は高校卒業と同時に

大きな会社の寮に入ることにした。

看護学校への進学は諦めた。

とにかく家を出たかった。

家に、なんの未練もなかった。


寮から父に、話があって電話しても

継母は取り次いでくれさえしなかった。

継母の思いのまま、小学生の頃から

父親とは引き離された。

その思い通りになっていた父も父だな。


私が子を持つ親になっても

それは変わらず..

家に遊びに行っても継母から

(早く帰ってよ)感が伝わってきていた。




父が継母と少しの間別居していた

10年前..

かなり遅れて私が

中学生の頃からの夢であった看護学校へ

入学した時..

嬉しそうに、私のことを喜んでくれる

父親の顔を初めて見た気がする。


その1年後..

父は亡くなった。

とてもあっけなく。



それはそれは、悲しかった。

まぶたが浮腫んで開かなくなるくらい

泣いたけど...でも、

なんか、少し嬉しかった。


やっと、やっと..父親が..

やっと私のところに

戻ってきてくれた気がした。






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