実家の母の調子が悪く帰省することに。
写真はその日の夕方の風景
大学病院の近くの風景
3週続けて、食中毒、熱中症、そしてまた熱中症で救急搬送された
朝イチの飛行機で熊本に降り立ち、
目の不自由な弟は妹の家にお世話になってて
たまたまその日は忘れ物したから実家へ帰ってきてた弟
その弟にお昼ご飯を買ってきてね!
って妹から言われてたので
弟の好きなケンタッキーを買い実家へ。
ただいまぁー!ケンタッキー買ってきたよ!
と玄関入ると口から血を流し倒れてる弟が。
呼び掛けにも反応せず、意識がない
モー焦って焦って救急車に電話と思うが
何番か忘れてしまい、スマホの電話帳で妹に連絡するも名前が出てこず
一緒に帰省した主人が救急に電話してくれた
今まで生きて来て始めてパニックった日だった
救急車が来た時はほんとにほっとした
弟は隊員の呼び掛けにも反応せず
近所の病院では処置出来ないってことで
ドクターヘリで大きな病院へ搬送
救急車の後に来た妹が同乗したがその日は意識戻らず。
写真はその日の夕方の風景
嫌なことが忘れられた瞬間だった
大学病院の近くの風景
次の日、色々と準備をし大学病院へ向かった
面会10分と決まっててICUに通された
弟の名前手を握り呼びかけると反応してくれギュッて握り返してくれた!
よかった!意識が戻ってた!!
気管挿管してるから話せず
目も見えないから意思疎通も手を握ることしか出来なかったけど一応安心
元々お酒が好きで
母が入院してる間、お酒をたってたけど
我慢できなくて実家へ帰ったみたい
それで買い置きしてあったお酒を一気飲みほしアルコール中毒に。
胃の内部からの出血だったらしく
吐いた時に肺にその血液が入り誤嚥性肺炎にもなっててしばらく入院することに。
母は40度の熱が出て食事もできなかったけど
日に日に良くなりご飯食べれるようになり
よかった!とひと安心
ただコロナの関係で県外者は面会できず
事情を話しLINEでテレビ電話できることに。
顔色もよくツヤツヤしててほっとした。
ただ弟のことは話せず
退院するまで黙ってよってことになり
3泊4日はあっとゆーまにすぎた。
こんな時に観光なんかしてもつまんないかもしれんけど
そばにいてあげることも出来ず
他にやることないし
とりあえず母も弟も回復に向かっているので
観光して帰ることにした
高千穂峡
昔と変わらない風景
昔と変わらない風景
ここがあたしの故郷
アマテラス鉄道にのり
昔は東洋1と言われた鉄橋へ
山、谷、渓谷自然は癒してくれる
そして阿蘇 大観峰へ
根子岳
高千穂から阿蘇へ移動する時何故か寒気が。
エアコンの風が寒くて寒くて。。
大観峰では歩けず主人1人で観光
次の日朝イチの飛行機で名古屋に帰る予定だったので空港近くのホテルを予約してて
チェックインが12:00だったから
私はそのままホテルへいき主人は熊本観光へ
いきたかった熊本城
路面電車が走ってて車では走りにくかったみたい
私はと言うと寒気が収まらず
ダウン
夜中暑くて目が覚め熱が下がったみたいで翌朝予定通り飛行機にのり名古屋へ。
そしてまた寒気・・・。
電車乗り継いで駅に停めた車に乗り帰宅
熱測ると38.4
夕方病院の診察受けると
人生初のコロナ感染!!
帰省中、弟のあの光景が焼き付き
夜中何度も目が覚め、寝付きも悪く
睡眠不足だった
身体も弱ってたのかな
マスクもアルコール消毒もしてたのに
感染してしまった
あれから10日
やっとあの光景も思い出す事なく
日常が戻り
母は退院し
弟も今週末近くの病院に転院することが決まりほっと一息
また咳と喉の痛み、鼻声と完璧でなはいけど
母の元気な顔、声聞けたし
弟も近くに来ればまた電話で話せるかもしれないしで
この2週間は一生の中で忘れられない出来事の連発だった
健康第一!
ほんとそう思った。
皆々様も、元気で毎日を過ごせることに
感謝して日々お送りください。
とりあえず記録としてここに残します。
不快な思いされた方がいらっしゃったら
すみません(;_;)