少し、時間が空いたので懐かしい、撮っていたビデオを観ていた。
皆さんは、日本で初めてなった女医さんは誰か御存じであろうか
「荻野吟子」という熊谷市生まれの元々はごく平凡な主婦であった人である。
医者になろうと決めたのきっかけは自分が淋病という性病に侵されたのが原因だったと
NHKの「歴史ヒストリア」で語られていた。
自分が不倫してなったわけではなく御主人の方が吉原でうつされてその病原菌をもらったためである。
明治の時代の当時はいまのように性病に対しての抗生物質を飲んで病巣を簡単に治せるような薬はなく
放置しておくと卵管から子宮すべてが癌のように病原菌によって脅かされる病である。
激しい腹痛に耐えながら入院していたところも、同じ性病に悩む女性だったので
当時、女性の医者がいないため、その女性たちを見て女性にも医者が必要だと頑なに思ったそうである。
10年近くも猛勉強して医師国家試験に受けようとしたが、女性の試験は前例がなく
やっと受理できたのはそれから2年後。
見事、試験に受かって現場に出ても周囲の反応は厳しく
周りから「生意気」だとか「体力がないくせに無理だ」とさんざん言われ続けていたらしい。
だが、ひるむことなく反論し続け医者としての立場を確立させていった結果、
女性医師が続々と誕生したそうであるし、
津田塾大学やお茶の水のように女性が進んで学校を立ち上げる基盤になった。
それを見たからではないけれど、もう少し自分が若くて今のような考え方ができたとしたら
もっと違った人生が開けていたかもしれないと、若い時の怠けほどの後悔はないと改めて痛感。
そうしたら、少しは今の自分には味方になってくれる人もできたのではないかと
そう考えるこの頃。
病気のおかげで子供が産めない体になり離縁した「荻野吟子」は
新しく養女をもらう決意と決し、その育て方には勉強を押し付けて無理やりさせる教育より
常識から逸脱させない強い力を身につけさせるため
甘やかさずに自立できる、一人で決められる人間に育て、周囲から反論があっても自分は間違っていないという潔さの育て方が
子供を大きくさせたようである。
こういった出来事が後に続く女性の道しるべを明るく照らす糧になったそうである。
そういったことをつらつらと観ていて感じたわけだけれども
なんか、ちょっと勇気をもらえた気がしました。
で、歴史ヒストリアの主題歌がkalafinaでこの歌も綺麗だけれど力がこもったいい歌だと思います。
Kalafina 『夢の大地』